olioreak foliofreakは,医療関係にとらわれないオープンな広場です。
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◆糖尿病との戦闘記                                    米山 順一
 私は平成15年の基本健康診査で、空腹時血糖値が115、ヘモグロビンA1cが6.1で、精密検査の結果糖尿病と診断されました。身長160cm、体重68Kgで、女房から「出産はいつですか?」と言われる体型でした。
 治療には運動療法と食餌療法が不可欠と富井先生のご指導を得、薬を使わず治すことを勧められ7月23日より血糖自己測定を開始しました。
 肥満は糖尿病の最大誘因だと考え、毎日近くのプールに通い約2時間の水中ウオーキング等を始めましたが、70余年蓄積された脂肪は頑固で陥落せず苦戦を強いられました。
 約2ヶ月ほどは体重に何の変化もありませんでしたが、3ヶ月目に入り少しずつ体重が減り、努力目標の8Kgの減量に成功しました。
 食餌療法は過食を避けて食物繊維を多く摂るように緑効青汁を併用しました。私は甘党でコーヒーも砂糖を入れ、10時と15時には毎日間食していましたが、これを一切やめ、コーヒーもカロリーゼロの甘味料を使用しました。私は高齢ですので、1日1200Kcalを目安に油分の多い唐揚げ類は衣を取り、多いと思ったら残すように努めました。
 10月14日の検査の結果血糖値、A1c5.1でした。自分の糖尿病は自分で治す自覚を持って運動と食餌療法を続けます。
 食餌療法は家族の協力が不可欠ですが、努力は必ず報われます。



◆第3回富井医院職員海外旅行記
          富井醫院副院長 富井直子

 2003年11月21日(金)〜24日(月) 第3回富井医院海外職員旅行が実現した。目的地は上海。8年前の開院当初、「研修旅行は専門分野の勉強だけでなく、職員の慰労や親睦も兼ねた良い機会である」との梶原一正設計事務所長のお考えに倣って2年に1回の海外旅行を院長が決断したのが始まりである。私は1回目の台湾旅行の時は留守番係だったため今回は北京に続き2回目の参加だ。今回の旅行に私が同行できたのは、いくつもの関門を幹事岩本、大畑の助言や努力により乗り越えて、また留守番担当相澤ら職員一同の協力によるところが大きい。世界情勢を見てもSARS再流行の可能性の情報や、イラクへ自衛隊を派遣すれば東京がアルカイダの標的になると言う声明を聞きながらの渡航であり、平和であるからこそ全員無事に行くことができたことを実感した旅行でもあった。
 中国の人口は12億4千万人を越え、日本の約10倍。世界人口が64億人と推定されているので世界の5人に1人が中国人といえる。更に、中国の総人口の94%までが漢民族で同じ言語(中国語)を話し、分裂した期間を除いて3500年程統一国家を保っている。その長い文明と底知れぬ力を持つ中国の一片を見聞き出来ることを楽しみに出発した。

11月21日(金)曇り。
 富井医院を朝6時50分に出発してから約10時間半後、上海に到着。バスで古象大酒店(ホテル)に移動した。外灘(ワイタン)のメインストリート中山東一路の西側に、和平飯店や浦東開発銀行など1900〜1930年代に造られた新古典主義、ネオ・ルネッサンス、アールデコ、ネオ・バロックなどのまさに建築の博物館と呼ぶにふさわしい建物がライトアップされ、オールド上海の面影を彷彿とさせる。すっかり異国情緒に浸り良い気分でホテルへ到着したものの、早速トラブルが発生!我々一行の部屋が4つの階に分散されていたのである。即、変更を依頼したが交渉が手間取った。
 その後、和平飯店のジャズバーへ。バンドメンバーは平均80歳のベテランと聞き驚く。演奏者と建築物は変わらないが、イギリス人の社交場だった時のようにダンスを踊る人はなく、席を予約するのが大変なほど観光客で混雑していた。帰りは風も少し出て寒さを感じた。


11月22日(土)晴れ。
 繁華街の宿泊ホテルは交通の便は良いのだが、駐車場難は解決できそうもなかった。私達の乗った大型バスは、ホテル裏の狭い出口を工事中の柵をよけながら(しかもバックで!)道路へ。そのバスは車間5センチも無い道路でもスピードを落とさずすり抜けていく。「赤信号でも右折は行け」というのは左ハンドル右側通行の常識らしい。左折で突っ込んでくる対向車に、バス最前列に座った人達が何度悲鳴を上げたことか。
 スリリングなドライブの後、無事に玉仏寺に到着。僧慧根(えこん)がミャンマーから持ち帰った2体の玉仏をまつるところから名が付けられたそうだ。境内のあちこちが工事中で雑然としていたが、白玉を丸彫りした高さ1.9mの釈迦座像の気品に満ちた色と光沢は観光客を魅了していた。
 午前10時、次の目的地明珠タワー(463メートル世界第3位の高さのテレビタワー)は、抜けるような青空に映えてそびえ立っていた。私達はタワー中程の中球の部分までエレベーターで登ると、360度見渡す限りビルが建ち並んでいた。山が無く緑もない平野一面にコンクリートのビルが占拠している浦東新区では、僅かに黄浦川が自然の景観を呈しているだけだ。
 昼食は緑波廊というレストラン。ここはクリントン元米大統領他、国内外の要人が食事をしたということで、その訪問時の写真が壁に掛けられていた。メニューの中でも特に(大根千切り餅)は舌にとろけるような自然の甘さが魅力的な絶品で、これを食べただけでも今回の旅行は来たかいがあったと思う。帰国後、味を再現しようと試行錯誤している。
 昼食後に豫園(よえん)の見学をした。1559年に潘允端(はんいんたん)が父親のために菜園を庭園に造り替えたのが初めとのことである。荷花池の上の九曲橋を渡り入り口に到着。2haもある庭園なのに1時間足らずで見学した。太湖石を配した庭園と角が跳ね上がった屋根をもつ望江亭、万花楼の東に位置する点春堂の塀の上を龍の形にはりめぐらせた屋根瓦が印象的だ。
 その後豫園商場での楽しいお買い物。さらに上海博物館見学。時間が充分とれず、興味のあるところを絞っての見学となる。その後、院長含め数人は別行動となった。私たち一行は上海展示中心へ行き、続いて洪鴻茶芝坊で中国茶の入れ方、飲み方のデモンストレーションを体験。お茶の作法も珍しく大変興味深かったが、お茶請けの梅ドライフルーツの味が甘酸っぱく食欲を誘い人気があった。やはり作法より食欲なのである。
 次に美林閣では、別行動をとっていた院長グループと合流し晩餐会が始まった。陶強毅先生兄弟のご好意で、上海旅行最高の料理を頂くことが出来た。中でも、甘辛いあんかけと松の実を添えた揚げ川魚の料理や、真っ赤な唐辛子と鶏唐揚げの炒め物、上海カニの黒酢だれの珍味が忘れられない。お腹一杯になった後は明珠タワーの夜景を堪能。昼間と一味違うライトアップしたタワーを背景に記念撮影をした。ただ一人忙しい院長は写真を撮らず某病院院長らに会うためまたもや別行動。忙しい一日の疲れを癒しに足ツボマッサージに出発したメンバーは、「台湾よりマイルドで気持ちよかった」と、ご満悦。

11月23日(日)晴れ。
 別行動の院長を除いた一行は、バスで蘇州へ出発。約1時間半かけて拙政園(せっせいえん)に着いた。園の名の由来は「拙き者が政治を為す」という西晋の『閑居賦』に由来すると言う。1506〜1521年明時代中央の官吏王献臣が退官後買い取って庭園にしたものである。拙政園では紅葉も終わり、菊花展と書かれていたのに菊の花がしおれていたのが残念。蘇州4大庭園の一つと期待したが、写真で見るような美しさは感じられなかった。但し、清時代の黒檀の椅子や窓枠の彫り物は格調高く豪華な王朝の生活を思い浮かべることができた。田舎のトイレを体験したのもここだった。5ヶ所程あるトイレの下水が共通で、流れてくるモノの気配を下方に感じながらの貴重な?体験。
 10時50分虎丘に到着。呉王夫差が父を葬った場所で、47メートルの中国最古の雲厳寺塔は300年前からの地盤の沈下のため3.5度傾斜しているそうだ。寒山寺では唐詩選に選ばれた張継の『楓橋夜泊』の碑と伊藤博文が送った鐘を見学。蘇州では全長1600キロメートルという広大な運河の一部が見られた。風に揺らぐ柳の向こうに船人が櫓をこぐ風景は東洋のベニスと言われる所以と納得した。その後の昼食でまたまたハプニング発生。前のお客が長引いたそうで15分くらい待たされて昼食の席についた。
 とたんに、「皿が濡れている。」「コップに指紋が付いている。」と悲鳴があがる。全員ティッシュで食器を拭いておそるおそる料理と飲み物をついだ。お焦げご飯はスープを吸いすぎて既にふやけているし、川ウナギの料理はまるで蛇のよう。さらに酸化して色の変わったリンゴを出されたため、私はガイドに、客に対するサービスが不足であると文句を言ったものの、贅沢で潔癖な日本人ならではの不満だったかどうかと後で自問した。
 なんとか昼食を済ませた後、蘇州刺繍研究所へ。繭から絹糸を紡ぐところや、真綿布団を作るデモンストレーションを興味深く見学した。特産品の絹製品が安く買えたことにニッコリ。蘇州を後に上海へ向かう車窓から人と自転車で埋まっている道を見た。人の多さを実感した瞬間だった。上海の免税店で買い物をし、上海最後の夕食を食べた。記念すべきは、隣の部屋が結婚式披露宴だったこと。大胆にも宴会に潜入し、花嫁さんとツーショット写真を撮った人も。
 そして定番とも言える上海雑技団。演技だけでなく照明や演出も超一流で、その華やかな舞台を子供から老人まで一同が楽しめた。帰り道、信号の無い広い道路を渡る必要があり、自動車優先で突っ込んでくる車の間を一団固まって猛ダッシュ!向こう側につきホッとするやいなや、バスの前で待ちかまえていた子供にお金をねだられた。この2日間、観光地では必ず物売りや物乞いに言い寄られ、中国全体が豊かではないことを感じた場面だった。

11月24日(月)
 朝のラッシュも無く、朝焼けの美しい上海の街を目に焼き付けながら7時に飛行場に到着した。予定通りのフライトで成田に到着。帰りは渋滞も無く夕方明るい内に無事富井医院へ。見上げると竈の富井医院は2階の鉄骨が出来上がっており、行って来たばかりの上海の工事現場を想わせた。
実質2日間の多忙な旅行だったが、一方では建設ラッシュ、経済発展急上昇中の都会上海と、他方では衛生面でも遅れている蘇州の田舎が同時に体験出来た有意義な旅行だった。
 日本は近代化によってもたらされる自然破壊、公害、精神的堕落や倫理観の喪失、教育問題、家庭や社会の病理などの経験がある。中国には、日本を他山の石として役立たせてもらいたいと思った。



 他山之石可以為錯 他山之石可以攻玉 (他山の石以て錯そとなすべし 他山の石以て玉を攻おさむべし)「他の山の石でもやすりとなって、石を磨くのに役立つだろう 他の山の石でも玉を磨くのに役立つだろう。」つまり、他人のちょっとした言葉や動作も自分の知識や人格を向上させるのに役立つという意味であり、また玉を磨き加工する意味を学問・知徳を研究し修養することに用いる。『詩経』鶴鳴篇より

参考文献:故事成語で中国を読む 多久弘一著 筑摩書房 ;この一冊で中国の歴史がわかる 山口修著 三笠書房; 個人旅行 北京・上海 昭文社