韮山 江川邸 見学

第115回20年2月26日
伊豆歴史散歩・長岡温泉寿荘1泊2日3食 富士市内から送迎バスつき
玄関武家屋敷の正式な出入り口であり、身分のある来客と、主人が使う。
 この写真は、’08年の大河ドラマ「篤姫」のシーンで、分家から本家への出立や、お嫁入りの時などは、女子も玄関から出発のようだ。
表門 元禄9年(1696年)に建てられ、文政6年(1823年)に修復され、平成12年に解体修理をした。門の形態(構造)は、薬医門と言われる。
玄関この場所は篤姫と西郷隆盛が対面した、あの撮影場面です。
武家屋敷の正式な出入り口であり、身分のある来客と、主人が使う。
 この写真は、’08年の大河ドラマ「篤姫」のシーンで、分家から本家への出立や、お嫁入りの時などは、女子も玄関から出発のようだ。
篤姫の実家から、本家の島津家へ養女として出発するシーンはここで撮影された。玄関
パン祖の碑
長崎のパン職人「作太郎」が江戸に来たことを知って、手代の柏木忠俊に、その製造法を学ばせた。 作太郎は、江川邸に来て、パン窯の作り方、パンの焼き方の実際を示した。全国より砲術を学びにきた多くの若者が、このパン焼き法を身に付け、それぞれの国に帰った。 全国パン協議会では、坦庵公が西洋式パンを全国に広めたこの功績を称え、昭和28年にこの碑を建てた。
江川邸内部 生き柱礎石そせきがなく、削り方が他の柱と違うなどに気付く。
 文化年間の修理の時、不審に思い根元を130cmほど掘り下げたが、途中であきらめた。 江川家がこの地に移り住んだ時に、生えていた欅をそのまま柱として利用したものと考えられ、大事にされている柱で、生き柱とよばれている。
江川邸 屋根裏民家における50坪(約162u)の土間というものをご覧になったことがありますか?  小屋裏は、たくさんの桁・ 貫で組まれ、くぎや、ねじ類を使わない柔軟工法が耐震構造となっている。  1600年頃に建てられたもの ヘー ウーン と感心しながら 説明をききました。
熱心にガイドさんの説明を聞いてきました 土間には大かまど、ぺりーの大砲、パン釜、生き柱 などの展示がある
 床を土で固めた部屋を土間というが、コンクリートがない時代は、赤土、砂、石灰に苦汁にがりを加えてねり、たたき固めたので「たたき」といわれ、 三和土と書いた。 土間は火を扱う台所や、わら仕事など作業場として使われ、苦汁が適当な湿気をよぶので、ほこりがたたない。
竹林にて 千利休で有名な韮山竹
根元にひび割れ(雪割れ) 花器の景色として珍重されている 韮山竹で作られた 花器 雪割れでできた ヒビ割れが 特徴です。
鎌倉時代には、日蓮上人を江川家に数日お迎えして、自筆の棟札(むなふだ)をいただいているのです。それで、そのご利益により、江川家は、以来700年以上火事などに遭わずに保たれているのだと・・・・。 韮山反射炉う
銑鉄せんてつ(鉄鉱石から直接製造した鉄で、不純物を多く含む)を溶解して優良な鉄を生産するための炉です。銑鉄を溶解するためには千数百度の高温が必要ですが、反射炉の場合、天井部分が浅いドーム形となっており、そこに熱を反射集中させることでその高温を実現する構造となっています。
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