太郎杉(たろうすぎ)

・東海バス バス停「滑沢渓谷」下車 2km

樹齢400年以上、高さ53m、幹周りは13.6m。静岡県の天然記念物でもある天城山中最大の太郎杉。長年風雪に耐えてきたその姿はまさに男性的で、周りの樹木を圧倒しています。脅威を誇るその姿から『森の巨人たち100選』にも選ばれています。

湯ヶ島の温泉街から国道414号を河津町に向かうと、天城トンネル(新道)の手前3kmほどに「滑沢渓谷(なめさわけいこく)」バス停があり、そこから砂利道の林道を車で南西に2kmちょっと走りますと太郎杉の下に出ますが、かなりの悪路のため四輪駆動車以外はやめたほうが無難です。太郎の名を冠するとおり、天城山系で最大のスギですので『天城山中で迷ったら、木に登って太郎杉を探せ』と言われたこともあったとか…。また、その大きさもさることながら姿が美しいことも特筆すべき点です。滑沢渓谷から太郎杉までは遊歩道も続いておりますので、滑沢渓谷駐車場に車を停めて、そこから歩いて太郎杉まで、ちょっとした散策にはちょうど良いのでおすすめです。

浄蓮の滝 (じょうれんのたき)
浄蓮の滝は伊豆最大級の名瀑で、玄武岩の岩肌を幅7m高さ25mに渡り流れ落 ち、「日本の滝100選」にもその名を列ねています。 かつて、昭和の天皇陛下も来られた際に、ご歎賞されたとのことです。 また、滝には女郎蜘蛛伝説が残り、滝の周囲に生い茂る昔ながらの原生林が醸し 出す静寂な雰囲気の中、激しい音を立てて流れ落ちる姿はとても迫力があり、こ の滝をよりいっそう神秘的にしています。 滝への道は明治末期に開かれ、昔は人も近づかぬ神秘的な場所であったといわれ ています。周辺は夏でも涼しく、滝の周りや滝壺の岩肌には、県指定天然記念物 のジョウレンシダ(別名ハイコモチシダ)が群生しています。

玄武岩の岩肌を幅7m高さ25mに渡り流れ落 ち、「日本の滝100選」にもその名を列ねています。
天城峠・旧天城トンネル
(あまぎとうげ・きゅうあまぎとんねる)
東海バス バス停「水生地下」下車

天城トンネル(正式名称=天城山隧道)は、静岡県伊豆市と、同県加茂郡河津町を結ぶトンネルです。現本線の新天城トンネルと区別するため「旧天城トンネル」と呼ばれています。明治38年に築造され、全長445.5m、アーチや側面などすべて切り石で建造しており、石造道路トンネルとしては、日本に現存する最長のものです。総石造りの馬蹄形をしたトンネルの入口や内部は、非常に重圧な構えとなっていて明治末期を代表する歴史的トンネルであるとし、平成10年9月25日に有形文化財に登録され、平成13年には道路トンネルとしては初めて国の重要文化財に指定されました。

第105回 5月29日 天城 踊り子コース
天城踊り子コース 楓観光バスハイク 
小雨の霧の中のウォーキングで体も心もリフレッシュ

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水芭蕉 わさび田 滑沢渓谷
しゃくなげ(天城グリーン ガーデン) わさび 筒の中で育てる
天城グリーンガーデン
道の駅「天城越え」の天城グリーンガーデンは、
緑に囲まれた山の斜面
広さ54000平方メートルの園内に
500種・13000本のシャクナゲが植栽されています。
4月中旬から早咲きのシャクナゲが咲きはじめ、
最盛期には園内はシャクナゲでいっぱいになり、
遅咲きのシャクナゲは5月下旬まで楽しめます。
園内を巡る遊歩道沿いには、
シャクナゲのほかに季節の草花も見られ、
展望台からは天城の山々と富士山が望めます

水生地下


歩35分


水 生 地

歩10分

旧天城トンネル

歩25分


寒 天 橋

二階滝

歩10分


二階滝園地


約80分

踊り子歩道コース

このコースのメインである天城隋道(旧天城トンネル)は天城山の標高711メートルに位置する延長446メートル
幅3.5メートルで石を積み上げて造る石巻工法により総工費十万三千十六円をかけ明治37年に完成した。
昭和45年に新天城トンネルが完成するまでの53年間を天城越えの主要道路として活躍した。

森林鉄道車輛
滑沢渓谷・太郎杉コース
滑沢渓谷とその隣にわさび沢をながめながら歩いていくと樹齢400年を越える伊豆最大の杉「太郎杉」が姿をあらわす。
歩道から斜面を登り太郎杉の根元へと近づくとその巨大さに驚かされる。
高さ48メートル周囲メートルの大木はみごとである。
昭和の森会館
(道の駅天城越え)

歩15分

井上靖文学碑

滑沢渓谷

歩25分

樹齢400年太郎杉


太郎杉までの
片道約40分
昭和
天皇お手植えの杉がある広場に出ることが
できました。
この杉は昭和21年に天皇陛下が八丁池に
御幸行された際に植えられたとのことです。
立派に育った2本の幹からは、過ぎ去りし
長い時間を感じることができました。
日本を代表する文豪井上靖は、少年時代の3歳から13歳を、ここ湯ヶ島で送りました。
29歳から15年間、新聞社に勤めた後に文学の道に入り、昭和51年に69歳で文化勲章を受賞しています。
1991年享年83歳でこの世を去りました。
井上文学の源は、湯ヶ島での少年時代にあるとされ、自伝小説「しろばんば」は当時の暮らしぶりを書いた秀作とされています。
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