宗傳寺の寺歴

宗傳寺は、文和元年(1351年)真言宗、後に浄土宗
に転じた藤枝市西光寺の別院として創立された。
その後、応永10年(1403年)、4月1日時の住職、
宗伝律師が藤枝市日蓮宗大慶寺大円院日遵上人と
法論の末、上人の感化を受け帰伏して名を日聞と改め、
寺名も宗傳寺と改め日蓮宗寺院として再興した。
その後明治32年京都日蓮宗大本山本圀寺より
差し向けられた.当山第四十世、妙詮院日龍上人により
復興され現在の本堂が建立され今に至る。

当山安置の日蓮大聖人像は、
海中出現宗祖日蓮大聖人像と申し、
文化3年(1806)2月に安置され、
中老僧の和泉阿闍梨日法上人により
彫刻、点眼された宗祖像である。
総本山身延山久遠寺、大本山池上本門寺等の日蓮大聖人像は、日法上人の作である。

そう でん じ

海中出現宗祖日蓮大聖人像とは?

寺歴に拠れば、文化3年(1806年)以前のことであるが、
焼津城之腰の海岸に木像が流れ着いた。
この木像を近くの子供達が見つけ、縄を掛けて引きまわ
して遊んでいた。その中の、茂十郎の子供が高熱を出し
何日も熱が下がらなくなってしまった。
すると茂十郎の夢枕に日蓮聖人が出現し、
「吾は日蓮なり、題目(南無妙法蓮華経)修行をなすべし。
病気は平癒疑いなし」
と告げられた。目を覚ました茂十郎が
懸命に題目を唱えると、子供の病は朝露の如く消えた。
その後茂十郎は熱心な法華信者となり、
流れ着いた木像(日蓮聖人像)を拝んでいると、
再び夢の中に日蓮聖人が現れ、
「我を朝日に向かいたる寺に安置すべし」
とのお告げがあり、茂十郎は近隣の寺に相談し、
宗傳寺に安置することになった。
 この尊像は今まで海水に浸かり、子供達に引き廻されたりして傷み、汚れていた。
そこで宗傳寺では京の仏具屋を通し仏師に補修を依頼した。
彩色が施され補修された尊像は見違えるほど素晴らしいものになった。
ところが、京の仏具屋は尊像が素晴らしいものになったことから、
ふと悪心が起こり、別の尊像にすり替えてしまった。
宗傳寺ではすり替えられたことはわからず、本堂に安置しお祀りをして拝んでいた。
ところが、その頃仏具屋の夢の中に日蓮聖人が現れ、
「我は藤枝宿宗傳寺に安置されるべきものなり。早くそのようにせよ」と告げた。
驚いた仏具屋は自分の邪心を懺悔し、このことを宗傳寺に伝えて来た。この知らせに驚いた宗傳寺では、檀家の望月権右ヱ門を名代として京に行かせ、尊像を奉還し宗傳寺に安置されたものである。今現在、二体の日蓮聖人像が祀られています。