月一回くらいは、気まぐれに、日々のできごとなどを書いてみようかと思うけれど、
 しかし、誰かに見られてしまうという気持ちから、ここに書く文章には脚色や誇張が入りそうでこわい。
 そうならないようにと気をつけたいが、自分自身の心を素直な気持ちで見つめることが苦手なのは、もっと問題である。
 その点ご承知おきのうえ、ご覧くださるようお願いいたします。      

  2011年8月

 

      2025年  
 
6月23日
「異常な暑さが普通の暑さ」
     

 暑い夏がやってきました。これから3ヶ月の間堪え忍ぶのか、と思うとげっそりします。冷房しなければ死んでしまう夏になってしまいました。

 私は、冷房を使わずに亡くなった高齢者のことをニュースで聞いたことがあります。しかし、経済的な理由で電気代が払えずに亡くなった人のニュースを聞いたことはありません。

 だからといって、そういう事件は全くなかったのでしょうか。経済的に困窮している人々はいますし、「子ども食道」も存在していますから、ぎりぎりで生活している人達はまちがいなく存在しています。そのなかには「生活保護」を受けたくても助けを求められない人達もいるでしょう。

 今、参議院選挙やら都議選やらの候補者や政党の代表が演説をしています。それは、ある一定の経済的な階級に所属する人達に向かって話しかけているような気がします。

 先に書いた、低所得で経済的な危機にある人達の救済について、もっと理想を語れないのでしょうか。直接、票に結びつかないようなことには関心がないのでしょうか。自分事には関係のない理想を語っても、人は投票しないのだ、と思っているのでしょうか。

 この夏、異常な暑さの中、経済的な理由でエアコンが使えず熱中症で亡くなってしまった方がいたとしたら、それは政治的な責任だと言えませんか。

 地震や津波に対しては、政治が防災対策をします。この異常な夏の暑さも災害ではないのでしょうか。