ー宗教についてー

 

 宗教の「宗」というのは、本来「つなぐ」という意味があります。生けとし生かされ、動くもの動かざるものは、全ては繋がっていることを教えるのが、本当の宗教たる意義なのです。

 世界の東西に分れたる神話も、各宗派が枝葉の如き、一陣の風に揺れる様も、元を糺せば同根であることを教えるのが宗教であります。子は親と繋がり、親は先祖と繋がり、先祖は神仏と繋がっています。人は皆、神に繋がっていることを教えるのが宗教であります。

「神仏などいない」という人がいますが、仏の字をみると人にム()と書かせることから、人間が向上すれば仏になり、それを示(ネ)し申す域に達した者を神と言うのです。

無限に広がるこの宇宙にも限りがあるが、天文学はまだ、その答えを出していません。光と同じ速度に達しても、追いつかないからです。


しかし、アインシュタインは「光の36倍の速度で時空を超えられる」と述べています。これは、私も賛成であります。宗教学から解いてみると、「光の36」とは、即ち弥勒(ミロク=36)の言霊が働きますから、人がミロクの悟りを得て仏になった時、光よりも早く時空を超える存在となることを意味します。(既にその謎は解いてあります)

 人魂が移動する時、白光体の玉になります。同様に、仏の魂が移動するとなると、その光も速度も増すはずです。それの具現化がいわゆるUFOなのです。見る者の念によって、その形も速度も違うのもそのためであります。科学と宗教は一致するのか。UFOと神仏の光は関係するのか。この問いは「グッドモーニング」と「おはようございます」の違いを論ずるようなものです。

 サッカー、ベースボール、フットボール、バレーなど、あらゆる球技の技は武道にたどりつき、武道の大枝をたどれば宗教という幹にたどりつきます。

 茶道、華道も元をたどれば供仏であり、能楽、雅楽、美術、芸術、あらゆる文化の根に宗教があります。


 アフリカ大陸が、ヨーロッパが、オーストラリアが、アメリカ南北の大陸も日本も皆、元をただせば一つの大陸の分れです。それを五つの輪で束ねたのが、オリンピックであります。(オリンピアは本来、主神ゼウスへの祭典の意)

 たった一つの細胞が二つになり、やがて億兆の分裂を繰り返し、一人の人間になるのであります。人の体のつくりも、歴史も大地も同じであるならば、億を数える人の世の争いも、やがて一つに束ねられる時が来るはずであります。

 その役割を担っているのが、宗教であります。

 しかし、今既成している宗教の99%は、善の顔をした悪であり、案外本物というのは、見た目は悪人に間違われるが、これは小乗の善は大乗の悪、大乗の善は小乗の悪の理によるものであります。

 本物であるか否かの基準は、まず自分自身が本物であるか、誠を志しているかにかかっている。己の心に偽りある者程、人の誠を疑うと言うが、残りの1%にたどりつく資格があるか否かは、まず己の心を平にして、その上に立ってみるとよいでしょう。

 曲ったものの上に立ちて物事を見ても、見るもの全てが歪んで見えるからであります。(笑)




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