Tさんから
Q1: (大弥勒解脱、中段~) 「すぐにのど仏がほどけると、ヘソの7の意味も解けることへのメッセージであることが理解できました」
ヘソの7の意味がわかりません。どういう事なのでしょうか?
A : 明主様は人の額の中心にある天帝を「天」、そしてヘソを「地」と示しています。
地は7になることと、大弥勒の図柄をみると、ちょうどヘソの位置に7つの模様があり、それは首からつるされていることで、首イコールのど仏になるので、仏をほどくことが地の7の意も理解出来ると悟ったのです。
Q2: (同項、下段~) 「我とて3人目の6である」
我とてという表現が気になります。 椙本様で最後ではないのでしょうか。
「3枚目の岩戸を開けた」とありますが、4枚目、5枚目の岩戸はあるのでしょうか。
A:大弥勒の中にも666の型あれば、567の型もある。世界救世教の中もまた同様です。さすれば、明主の腹中(主神)の主が表に出る型も又、666がスタートなので、一人目の大本、二人目の明主につづく、3人目ということで「我とて3人目」と表現してあるのです。岩戸開きは3度で終わりです。
三位一体を基本に考えると、大本6・明主6・日の神6になり、やがて大本5・明主6・日の神7となります。3人で一人(一体)です。
Q3: (Zeus 下段~) 「ガスで隠された惑星、木星がありがたくも主神と拝している太陽よりも神格が上位であるなど、一体誰が想像しえようか」
「一厘とは日の神である」と説かれていたと思いますが、一厘とは主神の魂ではないのでしょうか。
A :一厘は主神の魂です。上記、木星(ゼウス)と太陽の関係も、ゼウスの子が太陽(アポロン)ですから、太陽は木星の子供であると表現したのです。
そうすると、日の神とは太陽なのか否かについてですが、多くの解釈は日の神イコール太陽と考えているが、これは思考が浅い。
日とは○に ・ の型であるが、○とは、この宇宙を含めた霊界までも全て○で繋がっているという大局的な型を意味しているので、必ずしも太陽の日のみを示している訳ではないのです。
太陽の光は影をつくりますが、主神の光は陰陽をつくらない。なぜなら、 の世界は胎蔵界であって、主神がまだ表に出ない型であるのに対し、 を平にすると十になる。これが本当の光だからです。
Q4: (明主のその後no.6~) 「住吉大社の入口の柱が赤い理由」
は考えても分かりませんでした。どういうことでしょう。
A :これは分からなくても無理はない。とても深い話ですから・・。
まず赤い柱ですが、これは赤い鳥居という意味で南方の朱雀(北・玄武、東・青龍、西・白虎)をさし、全般に鳥の出入り口は南ということでしょうか。未来からこの鳥が飛んで来るということなのです。時空を越えて。