■がむしゃら1200km 静岡県富士宮〜兵庫県浜坂 2004.12.10〜12

何故か無性に遠出をしたくなるときがある。そんなときは、無理やり目的を作って、大雑把な計画でとりあえず出発する。

今回の目的地は兵庫県浜中町。日本海に面した、鳥取との県境の町だ。登山愛好家の中では有名な不世出の単独行者・加藤文太郎の出身地である。その町営図書館に文太郎展示室がある。そして、その道すがら余部(あまるべ)鉄橋を観ることが目的だ。

0日目
金曜日の仕事を終え、そのまま清水ICから東名高速に乗る。愛知県に入る。名古屋に近づくと新しい道路やJCTが増えていた。この春開幕する愛知万博に合わせて工事が急ピッチだ。結局休憩無しで春日井の叔父宅に着いた。

1日目
叔母が作ってくれた2食分の弁当を持って出発。春日井ICから高速に乗る。米原から北陸自動車道に入る。車の数がガックリ減る。今にも雪になりそうな小雨が降る。敦賀 ICを下りてR8号からR27号に入る。海沿いの道に出ると「カニ、カニ、カニィ!」の看板。三方五湖の山側を通り、再び海沿いとなる。小浜に入ると益々「カニ、蟹」。越前蟹の季節なのです。しかし、まだ8時。店は当然やっていません。カワイイ2両編成の小浜線に並行して走る。前方に巨大な橋が見えてくる。道路もきれいだ。橋の先には大飯原発がある。続いて事故のあったばかりの高浜原発。敦賀原発をいれて3つも原発がある。都会への電力供給のリスクを辺境に押し付けた構図がクッキリ。節電を2分だけ考えた。舞鶴を抜け、由良川河口から由良海岸に出る。ここは快適ドライブだった。宮津で天橋立を少し観る。時間に余裕があるので丹後半島をグルッと回ることにした。道がドンドン狭くなる。舟屋で有名な伊根町に着く。舟屋は趣があってなかなかよろしい。ここからが大変だった。入組んだ海岸線の道は思う以上に長く、好天の景色が無かったらもっと辛いものになっていただろう。久美浜で丹後半島に別れて、豊岡へ。城崎温泉に寄りたかったが、半島回りで時間を食ったため断念。香住町で海に出る。この海岸には奇岩が多く飽きさせない。山側に一旦入り、川沿いに海に向かうと前方に大きな橋が見えてくる。余部鉄橋だ。真下が公園として整備されている。地上41m、長さ309mの橋は圧巻だ。今にも列車が落ちてきそうだ。

 

光の加減のせいかカメラマンは見当たらなかった。海側からも写真を撮ったが、なかなかよいアングルが見つからなかった。峠を越えると浜坂はすぐだ。浜坂は蟹と温泉の街だ。しかし、山陰の小さな町である。車で5分も走ると街を出てしまう。道も狭く、案内板は歩行者用のようだ。なんとか目的の加藤文太郎記念図書館を見つけ出す。1階が通常の図書館で2階の1/3が加藤文郎の展示室になっている。(多分「写真撮影不可」だろう)文太郎の遺品、写真パネル、当時の新聞切り抜き、書籍などが展示してある。道具の発達していない時代の冬山を一人で進む文太郎の精神力、体力は想像を絶する。

     展示室入口  文太郎のレリーフ               説明パネル

1時間ほど居て、帰路に着く。往路をたどり、久美浜から宮津に抜け、舞鶴に出た。一泊4500円のビジネスホテルをみつけて泊まった。

2日目
ホテルを早目にチェックアウトし、往路を戻る。目的のない帰路は退屈だ。敦賀からR8号を南進、木之本から琵琶湖東岸を進む。長浜手前でR365号に入る。左手に伊吹山がひとり威風をはなつ。古代史の英雄・ヤマトタケルが氷雨に倒れたところである。いつか登りたい山のひとつだ。関が原で古戦場を見学した後、名神高速にのる。養老SAには予想通り「伊勢名物・赤福」があり、土産に2箱買った。あとはヒタスラ高速道路を走るのみ。小笠PAで遅い昼食を摂っただけで富士宮に戻った。

 
      
西側からの伊吹山               関が原古戦場。公園化している

3日でほぼ1200km。高速道路を使ったとはいえ、まだまだ長距離ドライブも行ける!自信を取り戻せた旅だった。


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