「北アルプス・槍沢 霧の殺意」 一葉 舞風 著、OKS文庫

あのときの娘がこんなに魅力的な女性になっていようとは…。ヒュッテ槍沢のアルバイト・徳沢あずさは小河の実子である。わけあって父親の存在はないことになっている。それが北アルプスでの偶然の再会である。もっとも再会を認識しているのは小河だけである。あずさも同行の縦山もそれを知らない。無邪気な笑顔で話しかけてきたあずさを縦山は気に入ったらしく、しきりに話しかける。あずさもまんざらでもなさそうである。下山時の再会を約束して槍ケ岳を目指した。ヒュッテが見えなくなると縦山は「愛人に丁度イイ」とつぶやいた。小河は聞こえない風で歩いた。殺意なんてものは案外簡単に湧くものだ。そして小河はややペースを上げた。

小河の予想通り縦山の脚はみるみる遅くなっていった。大曲を過ぎた辺りでは雲が激しく流れ、雨が落ちてくる。雨装備をしているが、容赦なく雨が体力を奪う。縦山の脚が止まる度に小河は「大丈夫か?」と聞く。縦山は決まって「大丈夫だ」と答える。ヤツの性格はわかっているのだ。殺生ロッジ下、ガスと強風で視界は利かなくなった。小河はここで登山道を逸れ、カールの縁の断崖に脚を向けた。そして振り返り、重い脚取りの縦山に声を掛ける「おい、大丈夫か?」・・・。

※この作品はフィクションであり、実在する人物、団体等とは一切関係がありません。(編集部)

 
■暴風雨の殺生平 穂先は拝めず 北アルプス・槍ケ岳 2010.08.15〜17

今年のお盆山行は同行者がいる。いつからか自由人となったピラタス横山氏。先月の霧ケ峰山行から山を再開した。毎朝のウォーキングを日課にしているので脚は問題がない…はず。久々のテント山行ということでキャッチーな「北アルプス・上高地から槍ケ岳へ、梓川を遡上、槍沢ピストン2泊3日テント泊の旅(OKツアーズ)」ということになった

1日目の行程が短いので前夜発ではなく早朝発とした。出発に滞りはなく、予定通り4時に富士宮を出発した。精進湖から甲府に抜け、甲府南ICから中央道に乗る。お盆休みのなごりか車の量は多い。といっても早朝だけに渋滞はない。長野道・松本ICで下り、国道158号を西進する。梓川を遡上し、奈川渡ダムを過ぎれば沢渡はすぐだ。

1日目
沢渡中の駐車場は七分入りというところか。バス停の係員に聞くと「入り客は少ないですねえ。全然少ない…」。最後はぼやきぎみ。バスはキャパ半分ほどの乗客で釜トンネルを抜けた。上高地は曇りで焼岳は霧の中だ。バスターミナルは閑散としていた。しかし、河童橋前はいつも通りの賑い。写真撮影だけで通り過ぎる。小梨平キャンプ場の中を歩く。家族連れの避暑キャンプは楽しそうだ。しばらくで明神に着く。登山者の割合が多いような気がする。徳本峠の分岐を過ぎ、梓川沿いのアップダウンをこなす。このあたりで下山者と多く遭う。涸沢を早出すればこの時刻にすれちがうのだろう。水量豊富な梓川越しに明神岳独標が高い。徳沢で小休止。横尾までの道は人通りが少なかった。ここまで横山氏の脚はしっかりしている。横尾で軽い昼食を摂ってから槍沢に入って行く。整備された林道を進み、一旦河原に出る。この付近に「槍見河原」があるはずなのだが、看板を見落とし、通過してしまった。一ノ俣谷を木橋で渡り、小休止。梓林太郎のミステリーでは何人か上流で死んでいる。現在は通行禁止だ。ニノ俣の木橋を渡ったところから傾斜が増す。横山氏の脚が一気に遅くなる。ロッジまで30分ほどなのだがなかなかキツイ。槍沢ロッジ付近は上流側を刈り、平坦地を広くとって、登山道も少し変っていた。テント泊はここで受付けをする。更に傾斜は増し、横山氏の脚を更に遅くする。途中、槍見と書かれた岩があったが穂先の方角すらわからない。急登の末に飛び出た台地がババ平、旧槍沢小屋跡地だ。もう、張り場所はわずかだった。10分ほど遅れて着いた横山氏と並んでテントを張る。日没の19時過ぎにはシュラフに埋まった。


ガスの明神岳は(小梨平から)
 


ババ平の位置関係

テン場と槍沢(石積の上から)


ババ平の水場


オオバギボウシ・・・だ・な

槍沢キャンプ場

旧槍沢小屋跡、ババ平にある。キャパ30張。水場、トイレあり。槍沢が見渡せる好ロケーション。水はホースで引いている。ややゴミ混じり。トイレは簡易式。

500円/人(槍沢ロッジで受付)

携帯電話、NTTは通話良好。

2日目
学生の団体が2時前から動き出した。しかもそれから2時間強ゴソゴソやっていた。迷惑を考えろよ!でもその時刻、谷間の狭い空にはいっぱいの星があった。テントを撤収、食事を済ますと5時。横尾尾根に帯状の朝焼が見えたものの空は曇天に変っていた。5:15テン場を出発。一旦槍沢の河原まで下り、短い平坦路の後は緩く登って行く。水俣乗越への分岐がある大曲にはあっさり着ける。ニッコウキスゲに励まされながら急登に挑む。天狗原の分岐を過ぎると更に傾斜が増す。頻繁に向きを変えながらジグザグで登る。ここで横山氏の脚が遅くなる。最後の水場で小休止中に雨が落ちてくる。私は合羽を着たが、横山氏は「暑いから」とザックカバーを装着しただけだった。グリーンバンドで傾斜が緩む。晴れていればここから穂先が拝めるはずだが、ガスで方向すらわからない。グリーンバンドで傾斜が緩む。晴れていればここから穂先が拝めるはずだが、ガスで方向すらわからない。ヒュッテ大槍への分岐を過ぎ、播隆窟で休憩。強風が吹き細かい水滴が身体を打つ。合羽を着た横山氏だったが、かなり消耗しているようだ。ここから1時間以上かけて殺生(せっしょう)ヒュッテに辿りつくことになる。私は20分ほど小屋前で待つことになった。なにしろ暴風雨ってやつで、指定地を無視して風避けができそうなところにテントを設営しようとしていたやつらが吹き飛ばされていた。ババ平で一緒だった学生団体の女子ひとりが消耗が激しく、低体温症の兆候が出ていた。それらを見た後で横山氏が牛歩いやデンデンムシ歩で石階段を上がってきた。ヒュッテで休憩し、顔色も悪くないので、カラ身で穂先を目指すことにした。暴風雨の中、テン場を横切って登山道に戻る・・・、横山氏が着いてこれない。「やめるか?」と私、「やめよう」と横山氏。山小屋情報によると「明日も雨」、現時刻、3日目の歩行時間を考慮して「槍沢ロッジまで下る」判断をした。下りになっても横山氏の脚は戻ってこない。播隆窟からは横山氏を先行させ、後から様子を見ながら下る。モレーンを下りきり、天狗原分岐あたりにくると脚が戻ってきた。大曲、ババ平と順調に下ってくる。しかし、ババ平−槍沢ロッジ間は時間以上に長く感じられた。宿泊手続きをし、入浴(石鹸不可)を済ませると横山氏はすっかり回復していた。ロッジは混雑ものなく、蚕棚も「ベッド」として寝れた。


水俣乗越への道を分ける大曲


雲が下がってきている


播隆窟(クリックで拡大)


播隆窟で頭を抱える、いや、
顔を拭く横山氏。疲れてます。


次ぎの休憩での横山氏。
矢吹ジョー状態です

槍沢ロッジ

横尾から1.5時間、槍沢沿いの林の中に建つ。キャパ150名、一泊二食で9000円。(今回は一泊一食で7700円)風呂、バイオトイレと施設は充実している。ベッドは蚕棚だが山では標準的。

携帯電話は全社通話不可。ロッジ内に公衆電話あり。

3日目
登山者があらかた出払った時刻にモソモソと起床。今日は上高地に下るだけだ。で、天気は快晴、これでもかっていう青い空。ロッジ前から穂先は見える。置かれた単眼鏡を覗けば登山者が動いているのが見える。うらやましいが今日ピストンする気力、体力は持ち合わせていなかった。ロッジ前で朝餉の支度をしていると明朗快活な娘が「槍ケ岳、今から行って帰ってこれますかネエ」と話しかけてきた。話によると、数日間東鎌尾根にいたが穂先はおろか眺望はほとんど得られなく、友人のいるこのロッジまで下ってきたとのこと。最低限の装備でなら可能であると伝えると「どうしようかなあ」といいながら仕事を手伝いに行った。朝食が終わる頃、彼女は装備を整え、玄関に出てきた。日帰りピストンを決意した様だ。健闘を祈りつつ横尾に下り始める。槍沢は、清流と木立を通過する朝日で、幻想的な美しさを見せる。横尾尾根が尽き、屏風岩が見えてくれば横尾は近い。天気は良ければここからの景色はすばらしい。梓川から屹立する屏風岩、前穂北尾根、その後ろに明神岳。青空をバックに河原の白、山の緑・深青、横尾大橋の茶色がアクセントとなる風景はここまで歩いてきた者だけが見れる絶景だ。(写真の腕が良ければねえ…)長い横尾街道、姿を変える明神岳を見ながら上高地に向かった。小梨平から下流方面を見ると人だかりの河童橋の向こうに焼岳の勇姿が見えた。


ロッジ前から穂先を望む


拡大図。今山行唯一の穂先


槍沢美女。左が槍ピストン娘


光差す槍沢


槍沢からの屏風岩空が青い!


横尾からの絶景(クリックで拡大)

今回の反省、リーダーとしていくつか判断ミスがあった。

(1)1日目で横山氏の体力を把握し切れていなかった。歩行ペースの変更や呼吸法の指導などやるべきことがあったはずだ。

(2)停滞、撤退の判断が早すぎた。結果的には「殺生ヒュッテ停滞」が正解であった。山小屋スタッフの天気情報を鵜呑みにし、また時刻が早かっため「槍沢ロッジまで下る」を選択。横山氏の体力回復を見る上でも2時間停滞してもよかった。

この経験を次に生かせるようにしたいものです。


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