■晴れポタと謎の貴婦人   東海道・元吉原〜吉原   2009.07.12

梅雨明けも近い晴れた日曜日、いつものポタリングに出かけた。春ポタで富士−岡部間の旧東海道を走ったので、今度は近場の吉原宿あたりをウロウロする。

富士宮の自宅を9時過ぎに出発。「旧道(昔の馬車軌道)」と呼ばれる県道を南下する。入山瀬先で潤井川に出る。河岸を下り、母校近くに出る。更に南進して、合同庁舎北側の道に出る。これが旧東海道ではないだろうか。東進し、臨港線あたりで旧国1に出て、更に東進する。岳南鉄道を越えて、娯楽施設が林立するところを過ぎる。新幹線・国1の高架をくぐり、海に向かって右折する。沼川を渡ると吉原駅に着く。吉原駅はJRと岳南鉄道のターミナルだ。富士市内にはJR・岳鉄あわせて18も駅がある。これは浜松、静岡に次ぐ数ではないだろうか?そんなことを考えていたら「元吉原小にC57があったなあ」と浮かんだ。東海道から一段あがったところに小学校がある。


C57 30 は1938年製
流麗な姿から「貴婦人」といわれる


以前は屋根だけで乗り込めた
今はりっぱな博物館です


りっぱな愛鷹神社

校庭の西側にSL博物館があり、展示してあるのだが休日は閉まっている。15年ほど前は自由に見学できたのだが…残念!学校のある台地をそのまま西に進むと愛鷹神社があり、略式参拝する。ハイキングコースにしたがって木之元神社へ。今日は祭事があり、神輿が用意されていた。ここも略式参拝。東海道に戻る。旧国1を渡って少しで名勝・左富士となる。左富士神社でも祭事が行われるらしく人が集まっている。神社から次ぎの交差点あたりまで道の左側に富士山が見える。その間150mといったところか。緩やかに左に曲がると右富士となる。製紙会社の中を抜けると平家越(富士川の戦いで水鳥におどろいて・・・のとこ)の碑がある。更に進むと岳鉄吉原本町駅。中学生のとき、初めてこの駅に降りたら、ハンバーガーの自動販売機があり「都会だなあ」と思ったもんです。今は古ぼけた、イヤ、趣のある駅舎だ。


吉商本舗
同校は甲子園予選を戦っていた


道の左側、笠雲を被った
富士山が見える(神社前から)

そして吉原商店街となる。ん〜ん、活気がない。所々シャッターが下りているのはしょうがないにしても、人通りも車通りもないのだ。日曜の11時だ。面白い店を探す。3往復して吉商本舗、つけナポリタンは目を引いたが、入ってみようとは思わなかった。商店街を抜けたところで東海道散策を終えた。

名勝「左富士」物語
富士市依田橋町の左富士。東海道を東から西へ行くとき、富士は常に右側で左側は太平洋。しかし唯一、富士山が松並木の間から左手に見える名勝である。江戸時代に中吉原宿として栄えた場所で、東海道の左側に富士山が見えるようになったのには訳がある。はじめ海際にあった吉原宿(元吉原宿)が津波などの災害のため、寛永年間(1624〜44年)に中吉原宿、天和2(1682)年に新吉原宿とより内陸へ2回移転した。このため、東海道の道筋が大きく北へ曲がり、街道の左側に見えるようになった。また150メートル南にある左富士神社(悪王子神社)の北側に一里塚があったという。現在の左富士は1本の老松が往時をしのばせている。


 TOP-PAGE