この山の幸せは、百名山に選ばれなかったことのある。
北アルプスでいえば、常念、蝶といった位置にあるが、未だに静けさを保ったままでいる。
また、冬の安倍奧・八紘嶺からの遠望、雪を纏った黒木の山の姿に捨てがたい魅力を感じる。
夏の一日白根南嶺の雄峰笊ケ岳に登ろうとして、一人で車を転がす。
夜、畑薙ダムの売店の横に車を止めて、仮眠を取る。
朝、まだだれもこない時間、4時頃になって起床して、握り飯とインスタントラーメンによる朝食をとる。
そのまま中の宿まで車を走らせる。当時はゲートがなく、自由に二軒小屋まで行けた。
5時には行動を開始する。
大井川に架かる釣橋は長く、所々板が腐っていて気持ちが悪い。
対岸にわたり、ガレをへずる所で、釣り人2人と出会う。
釣果について言葉を交わす、あまり釣れていないとのこと。
中の宿は大きな木をふんだんに使った小屋が今は使われなくなり、壊れていくつかが残っている。
トイレを使わしてもらう。
中の宿沢をわたり、伐採地の登りとなる。
途中、振り向くと聖岳がよく見える場所があり、ここで休憩を取る。(ここへは後日もう一度来たことがある。)
更に伐採地をジグザグに登る。
一旦小さな尾根の端に登りく、ここでも聖岳がよく見える、休憩をする。
樹林のトラバース道に入る。ほとんど上下せず、緩やかに登る。
2、3箇所道が抜けているが余り危険は感じない。(但し、冬は嫌なところだ。)
数時間のトラバースで、やや登りとなり、左手に樹林の間から赤石、聖が見える。
所の沢に登り付く。小屋の跡らしく石段だけが残っている。
所の沢の源流である小さな流れが、静かに流れている。
やや暗いが白樺の林の中、静かで良いキャンプサイトになると思われる。
少しの登りでイワカガミが咲き乱れているコルにつく。所の沢越だ。
ザックを置いて記念撮影をする。
道は、右手が稲又山、青薙山に続く、正面は雨畑に下っているが今は廃道となっている。
笊ケ岳へは左手のやや広い尾根を行く、まず、布引山の登りにかかる。
道ははっきりしているが、植林された杉林で暗い。
植林地を抜けると、雑木の林となる。
雑木林が切れて、いきなり布引崩れに飛び出す。その縁を登る。
右手は足元からスパッと切れていて、のぞき込むとガレの底は霧が巻いている。
霧でガレの底は見えなく、何処まで落ちるか分からない、危険で嫌なところだ。
下から吹き上げてくる風に助けられて、どうにか通過する。
布引山につく。笊ケ岳まではまだかなりありそうだ。
布引山を下る、雑木の中を行く、危険な場所はなく、迷い易い所もない。
笊ケ岳直下は急な登りで、ハイマツとなる。
ほんのひと喘ぎで頂上となる。
頂上は膝の高さまでのハイマツの丘で、360度の大展望が広がる。
天候はやや曇ってきて、ピーカンとはいかないが、南アルプスが全望出来る最高の場所だ。
遠く、北から、北岳、間の岳、農鳥岳、塩見岳。
正面に、赤石岳、悪沢岳、荒川岳、聖岳が見える。
上河内、茶臼岳ときて南に遠く、光岳となる。
写真を撮る、夢中でシャッターをきる、ザックを記念に入れる。
目を東に転じると、すぐ目の前に小笊が見える。
富士山は遠くに微かに見えるだけ。
時間が無いので、食事もそこそこに急いで戻る事にして、下りにかかる。
布引崩れの縁が恐くて、通過できない。
仕方なく右手の雑木の中に逃げる、木の間をくぐり抜けて通過する。
所々に赤布が付けてあり、結構みんなここを通っているようだ。
下りは、一人ではとても通過できない。
所の沢越に付き一息入れる。ここまで来れば一安心だ。
右手に下る、所の沢の源流が静かに流れている。
後は下るだけで、駆けるように下る。
トラバースを終わり、伐採地の下りで右足の膝の裏側が痛み出す、歩き過ぎだ。
右足を引きづりながら、吊橋をわたり車に戻るとほっとした。
正味で約十二時間歩き通しだった。
右足を傷めたが、車に戻ると笊ケ岳に登った満足感がこみ上げてきた。
この時の右足の痛みは足の疲れのバロメーターとなり、後々、疲れて来ると痛みだす。
(1975年頃の夏、1998年秋に記す。)
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