Memories・追憶の山旅

鹿島槍ヶ岳

 一番好きな山は、と聞かれたら何処と答えよう。
一番難しい質問だ。それぞれの山域で好きな山があり、それぞれの魅力を持っている。
北アルプスでは、後立山・鹿島槍ヶ岳。剣岳。常念岳。
南アルプスでは、北岳。聖岳。白根南嶺・笊ヶ岳。深南部・不動岳。とある。
それをあえて一つに絞り込むと鹿島槍ヶ岳となる、この山の良さは、その姿にある。

 まず、ビューポイントは、南方から爺ケ岳から見た朝、夕。冷乗越の朝。
越えて北方から、五竜岳からの夕景。遠見尾根から見る、カクネ里を抱いた姿。
私の好きな所は、以外と思えるかもしれないが、五竜岳からの夕景だ。
逆光の中に左肩をちょっと上げた、かしいだ姿がなかなか良い。
(実はこの写真が一枚だけある、30数年前のネガを探しているがなかなか見つからない。
それと、場所が五竜岳の頂上か、白岳かで迷っていた、と言うより記憶が定かでない。
9月に田淵さんの写真集が岩波書店から刊行されたので、懐かしく、古い写真集を探して見てみた。
と、”山の時刻”に白岳から俯瞰した五竜山荘の写真を見つけた。そこには、五竜岳の左に
顔を覗かせている鹿島槍ヶ岳が写っている。これで五竜岳からの鹿島槍ヶ岳と同定できた。)

鹿島槍ヶ岳登行記
 今までの中で最高の山行といえる。1968年8月5日から7日。
1960年代の後半の夏、梅雨明け10日の晴天を狙ってU氏と鹿島槍ヶ岳を目指す。
梅雨末期の集中豪雨のため梓川が増水し、橋が流されて大糸線が不通になっている。
静岡駅では、松本までの切符しか売ってくれない。もし駄目なら松本から他の山を目指すことにして出かける。
身延線の最終で甲府に出て、中央線の夜行列車に乗り換えて松本へ行く。
行ってみると大糸線の流失した橋の部分は、バス連絡で開通していた。

 大町からバスで扇沢の手前、種池への入口で下車する。扇沢沿いの道でなく、新しく開かれた柏原新道を行く。
登りはじめはまだ小雨模様で、雨に濡れながら種池まで登る。
種池まで来ると雨はやんで霧だけとなる。冷池の小屋まで頑張ることにして爺ケ岳に登る。
ライチョウに出会った。 爺ケ岳山頂に着く頃から空が明るくなりなんとなく霧が薄くなる。
右手下に冷池小屋の赤い屋根が見えてくる。

 安心して山頂で休憩していると、アッ、鹿島槍ヶ岳だ、双耳峰が一瞬現れて消える。
エエッ、剣岳が見える、霧が流れて周囲の景色が幻のように現れる。
U氏と二人してザックからカメラ、レンズを取り出す。
二人ともペンタックスで、U氏が、35mm、85mm、135mm。
私が50mm、105mm、200mmとレンズの焦点距離が重ならないようになっている。

1968年8月5日爺が岳からの「剣岳」

 この6本のレンズを岩の上に並べてとっかえ、ひっかえで夢中で撮影する。
見る見るうちに霧はすっかり無くなり、鹿島槍ヶ岳、剣岳、立山と北アルプスの北部の山々が出現する。
1968年8月5日、爺が岳から「立山」

1968年8月5日、爺が岳から「立山から剣岳」

気が付くと辺りは、薄暗くなりかけていた、急いで冷池山荘にかけ下る。
小屋は、比較的混んでいたが広々とした屋根裏を借りてゆっくり出来た。
この夜は写真家の田淵行男さんにお会いでき、翌朝もお話頂いた。

 翌日は、鹿島槍ヶ岳を越えて五竜岳に登り、五竜山荘泊まりとなる。
天候は期待通りの晴天で、五竜岳の山頂で上を見上げると、まるで成層圏ではないかと思うほど真っ黒に見える。
また、五竜岳から振り返る鹿島槍ヶ岳は、午後の逆光の中で山襞をくっきりと見せ、ちょっと左肩を上げて どっしりと構えている。

 次の日も天候に恵まれ、右手に鹿島槍ヶ岳、左手に白馬の連山を見て、快適に下る。
大遠見辺りから見る鹿島槍は、カクネ里の雪渓を胸に抱いてすっと立ち上がります。
真っ青な空、ハイマツの緑、雪渓の白と一点の非のうちどころもない双耳峰が完璧な姿を見せています。 完璧すぎて恐い。
 延々と遠見尾根を下り(この頃はスキー場も、リフトもない。)真夏の太陽が白く降り注ぐ神城に下る。
(1960年代の終わり頃の夏、1998年9月30日記す。)

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