キリスト教 ひとくち Q&A 88-020603

Q:
ある人を赦せません。私のような者には救いはないのでしょうか


A:
キリスト者は「主の祈り」の中で、「われらが人を赦すごとく、われらの罪を赦したまえ」と祈ります。

確かにこの言葉を字句どおり読めば、あたかも私たちが努力して人を赦すなら、神がその報いとして私たちを赦してくださる、というかのように聞こえます。

しかし、本当の意味は、まず自分が「赦される」と言う救いの恵みを体験することによって、赦すこを、信仰によって、学んで行くのです。

「敵を愛しなさい」という言葉も、歯を食いしばって努力しろと、無理を要求している言葉ではありません。そうではなく、私たちが神の恵みに生かされ、神の愛を戴いて、自分を憎む人、自分にひどい仕打ちをする人にさえ、その愛によって接する様に、という期待が込められているのです。

私たちがなかなか人を赦せないからこそ、祈り、私たち自身が神の赦しをいただき、変えていただき、初めて人に対して違ったかかわり方ができるようになります。

「互いに忍び合い、誰かが他の人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなた方を赦して下さったように、あなた方もそうしなさい」(コロサイ3:13)


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