キリスト教 ひとくち Q&A 86-020401

Q:イエスの弟子となっても、教会の一員にはならない、という生き方がゆるされますか。


A:
  近頃の若者たちで、「イエスには賛同するけれども、教会はいやだ」と言う人がいます。これは教会の組織、礼典、慣習が自分の感覚に合っていない、と思っているためです。
 でも、イエスが告げた「神の国」の福音のことを歴史的に学ぶと、それが単に一人ひとりの個人にあてた呼びかけでなく、むしろ、「神の民」全体への呼びかけだったこと、人々を神の民として集めようとする招きであったことに気がつきます。
 信仰は、確かに神と個人の心の問題です。しかし、イエスは神を受け入れたものに対しては、何よりも「神の民」になることを望み、目指していました。「神の民」なしに「神に国」はありえません。
 ですから、イエスの弟子となるということは、神の家族である教会の一員になることをも意味するのです。

 聖書に「互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」と言い残しました。
 教会によっては、欠陥のあるところもあります。しかし、欠陥を補って余りあるすばらしい宝もあります。そのすばらしさも発見してください。


Q&A020204へ 目次へ Q&A020430へ