|
はじめにより
2002年、(平成14年)7月15日、私は右乳房全摘手術を受けました。
43歳の夏でした。
はい、猫の闘病記ではありません、まぎらわしい題名で失礼します。
術後2ヶ月ほど経ってリンパに転移があることがわかり放射線療法を25回行い、術前には抗がん剤による化学療法も受けていました。5年生存率は36%と聞いています。今のところ大事もないので、あの頃を回想して総合病院の大部屋でのドラマとその後を一挙公開させていただきます。
過去に乳がんを患った方、これから乳がんに罹る方に愛と希望を差し上げられたらなんて大それたことは考えておりません。
何気なく開いたページから私の世界へお入りください。
入院より
田中さんとぴぃちゃんはこの後2ヶ月一緒にすごし、共に喜び共に怒り共に泣いたのである。
心強く頼りになる人たちである。
あ、共に泣いたことはなかったっけ。つい勢いで書いてしまった。お詫びと訂正。
私が一番困るのが病棟がすべて禁煙で、吸いたい場合は外まで出なければならないことだった。
男との縁は切れるがタバコと猫だけはどうしても断ち切れない。
むすめに詰られようと歌の文句にあるように、やめろといわれたら余計に燃え上がる、のだ。
私にとって老後の茶飲み友達より不可欠なものかもしれない。
かばんの下のほうに1カートン隠し持ってきたはずの赤い箱が無い!
母が没収して持って帰ったに違いない。無念。麻薬捜査犬なみのバサマに拍手。
入院した日はほとんど眠れなかった。
隣のベッドより
2日おきくらいにシャワー室で洗髪するたびによく抜ける。
しかし田中さんもぴぃちゃんも3クールくらいでほとんどぬけてしまったらしい。
ぴぃちゃんは一緒に風呂へ入ったときにほらほらって見せてくれたが、痛々しい感じがした。
毎日の回診では外科の先生が触診して体の具合を訊いてくれる。
藤田先生は先にぴぃちゃんのところで長いこと不調を聞いてから、私のところに来てくれる。だが私は「毎度変わりありません」と答えて実にそっけなく終わる。
「何か気になることはありませんか」と尋ねてくれるが何も無いのだからしかたない。
「そうだ、抗がん剤が早く効くように量を増やしてください。」
却下。
「それなら、週一回を一日おきにしても大丈夫そうです。」
却下。
藤田先生のことだから優しく危険性を説明してくれたのだが以後はもとどおりの「何も変わりありません」の返事しか出来ない私であった
×婆登場より
私も夜はやかましい女だし、今までもいびきの大きな人はいたが夜通しではなかったから眠れないなんてことはない。
隣の人は寝つきがすばらしくよく、消灯から朝の6時半ころまで実によく寝る。寝ている間中轟音を響かせていることを本人は知らない。
入室してきたとき、部屋のみなさまの前でご主人を指して「この人はすごく大きないびきをかくの、太っているから余計に大きないびきでね。とても一緒に寝てられないから別々の部屋で寝てるの」と、のたまわった。
わかっちゃいないのである。
夫唱婦随で婦響夫随・・・・琴瑟相和で音質相和の仲良し夫婦だ!
私は5クールから一週間がたちCT検査を受け、結局最後まで治療が功を奏さないので追加の投与もないだろう。私のように効かない患者もいるのである。
お料理されるのを待つ俎上のオニオコゼである。(高級魚だかんね、今どきコイでは猫も跨ぐかんね)
手術までより
このころには髪もだいぶ少なくなった。後で知ったが、しぶとく残った髪も結局は全部抜け落ちて、新たに生えてくるので薬の投与が終わって残っていても喜べないのである。
久美ちゃんは5クール後も信じられないほど残っていたが、時間をかけて全部抜けてから生えてきたと聞いた。
却って早く抜け落ちたほうが再生も早いということだ。カミの毛よりシモの毛のほうが先に無くなった。産毛は抜けないが眉毛、睫毛、腋毛、下の毛ぜーんぶ抜けた。
鼻毛はどうだったかな?忘れてしまった。
時折耳から毛の生えているおじさんをみかけるが耳毛はどうかな?
胸の手術でも剃毛をすること、病院によっては浣腸、硬膜外麻酔を併用するっていうのも最近知った。どうせ私には無用だった。
手術より
とうとう明日Xバアが退院する。久々に静かな夜が戻ってくる。
追憶・・・・10日ほど経ってもXバアには退院の気配が無く、久美ちゃんと私の我慢の限界は頂点に達しようとしていた。 久美とミケの二人は中嶋先生に「お代官様、こう連夜の嵐では米もダメになっちまうでごぜぇます。どうかお慈悲ある決断をおねげぇしますだ。」(この会話文のみ脚色である)と直訴に踏み切ったこともあった。
だがその後もなんの動きもなく過ぎていった。
そんな時、朝の検温にやってきたナースがおもむろに言った。「Xバアさん、(とは言わないが)すごいいびきかいてたねえ」Xバアは驚いて「エーっ!本当?本当にあたしいびきかいたぁ?」と訊いた。
頼もしいナースは以前の当直で見回りの際にXバアの轟音を聞いたのだ。
このナースはのちに、私が集中治療室にいた時に点滴いじるなといったTナースである。
やってしもうたより (その1)
しかも森さんの咳などXバアの象アザラシの咆哮に比べたら、子ぎつねの独り言のようなものだった。みなさまで森さんに同情せずにはいられない。女の園ではこういう悪役がいるとたちまち盛り上がり、こき下ろし、話のネタにするものなのだ。
60代そこそこの白と黒のまだらの長いレイヤードカットが不気味、背が高く骨っぽい、病衣を着て無愛想に歩く姿はオバケのようだ。
たいしたこと無い泌尿器の病気だそうだ。
そこで我々はこの人のことをオバケと呼ぶことにした。
森さんの話ではオバケは我儘を言うのでナースに嫌われていて、食事や待遇に文句を言うそうだ。
お茶を容れてもらうときは湯飲みや急須ではなく、空き缶やペットボトルを差し出すという。大きな薬缶の口から小さなカンの口に茶を注ぐのは大変な作業である。
早速夕方のお茶を配る時間に隣の部屋を覗きに行った。
久美ちゃんと廊下で話してるふりをして隣の部屋を盗み見る。
やってしもうたより (その2)
右上がりの楕円の終点は縫い止めの玉縁のようになっている。
あとでわかったが乳輪にもメスの入った痕がいくつかあった。やはり縫いどまりの玉くりだった。当初玉が2つに見えた。
みなさまにもお披露目してのご対面だったので、この頃には私と漫才バトルで張り合うほど元気になった森さんが「チクビが2つもあるじゃん!」と茶化す。咬みついてやりたい。
手術室の外で妹らが見た乳首は中身だけで、空になったソレがココに付いているのだ。
これでは恥ずかしいではないか。
何も無い胸ならほれと見せられるが下手にこんなものが付いていたらかくさなくてはならない。みなさまが私の傷跡がすごくきれいだと褒めるが全然嬉しくない。
今回もまた奈落のそこまで転げ落ち這い上がってこれない私だった。
エンジェルHにお会いしたとき、残してほしくなかったと不満をぶつけたことがある。
ところがどっこいエンジェルおどけて「乳首を残して文句を言ったのは今村さんが初めてだよ、まだ若いんだから再建手術
退院までより
入院していればリハビリに通院しなくていいし、リニアックの位置決めも入院中に出来るし考え直してみては?と仰る。
久美ちゃん、森さんもさびしくなっちゃうから退院しないでと言ってくれるが、この石部金吉、わがままきいてくれるまで引き下がらない。
リハビリは今日終了しました。
リニアックは外来で来ます。
ぴぃちゃんもいない、田中さんも明日出て行くなら一緒に出してください。
お願い、退院許可書ください。
とうとう藤田先生も承諾してくれて、明日許可を出してくれると仰る。
これで安心して夜を迎えられる。ありがとう*やっぱり貴方は白衣の王子
これが最後の夜になるのだと感傷的な気分にどっぷり浸ろうとしていたところへ、あのわがまま婆さんが「あたしゃこの蚊取りのニオイが嫌いだから、どっかほかのところへ持ってってよ。くさいくさい」
退院後より (その1)
久美ちゃんは田中さんの居た窓辺のベッドに居た。
明るくて気持ちよかろう、鏡を見るたびシミだのシワだのアバタなどが嫌でも目に鮮やかに飛び込んでくる場所だが・・・
ささっと部屋を見回すと、わがまま婆さんと、なんとあのオバケとつるんでいた鬼太郎婆さんが、むくみと黒く変色した顔で久美ちゃんの隣のベッドに居るではないか。
あとの半分は初めて見る患者さん達だった。
シルバー色に染まった部屋であった。
久美ちゃんと3人でお喋りしながら笑っているうち
「いいねえ、若い人は」
「若い人が来ると華やぐねえ」
「若いときれいだねえ」
気が付けば老樹の森に迷い込んだお姫様を取り囲むモグラ達のように皆がうっとりとこちらを見つめているではないか。
若い人というのは私も含まれているらしいのだ。
否定はするものの内心ほくそ笑む。
例の婆さんたちは、私がやくざな元患者であるとは気づかないのだ
退院後より (その2)
夜は家で何もかぶらずにいたので、或る日私の後ろに居たむすめが母の頭をキャンバスにしてみたいと言った。
普通なら聞き流して終わるところだが、生身の人間に絵を描く楽しさを私は知っていた。
前回の航海のとき、もうじき出航するだんなの体にマジックで絵を描いた時は心が躍ったものだ。
これは暫くの間思い出に残ると、背中や腹に好き放題描かせてくれたのだ。
後日それを忘れて身体検査に行っただんなは医者やナースに白い目で見られ、同僚の笑いものになった。
しかし今私が、ささやかなむすめの欲望を満たしてやらねば、毛の無い後頭部をキャンバスに出来るチャンスなど一生のうち滅多にあるもんじゃない。
そこらの坊さんに頼んでも断られるに決まってる。
いいよと許可したら、むすめは喜んでサインペンを持ってきた。
5年生存率と代替療法より
しっかりくっついて「まだ取れんわ!」と云っている。
次の診察までに取らないと、エンジェルが鋏みを振り回し「取りましょ、取りましょ」と迫ってくるかもしれない。
悩んだ末、数日後にとうとう決心してかさ蓋剥がしを実行する。
痛い!痛い!これは痛い、みなさまの傷口はどうなっているの?
血が滲む、涙も滲む、血も涙も出りゃ普通は痛いのだ。
潤んだ瞳で消毒液を探すが、家には薬があまり置いてない、仕方が無いから焼酎を綿にひたしてつけた。沁みたー!
こうして術痕は新たなミミズ腫れの赤いビンとなって現在に至っているのである。
Nさんは傷口から糸が出てきたので主治医に言ったところ、内縫いの糸だから心配しなくてよいと言われたそうな。
それは私にとって寝耳に水、傷口から糸。縫ってあったのか?接着剤でくっついているのかと思っていた。(どアホである)
鎖骨の近くにあった3本の短い傷は本に写真入りで載っていて、鉤型のフォークの様な物で、皮膚を引っ掛け引っ張って患部を露出するための器具の跡だった。
おわりにより
自分のキャラを生かして敢えて明るく軽い体験記として表現することで、楽観的に病気と向かい合って生きていくほうがいい。乳がんになって乳房を失ったけれど、もっとたくさんのものを得ることができたと笑って答える。
病院でのドラマはみなさまのプライバシーの関係上、一部偽名で登場させてもらい私の「ミケ」もペンネームである。色っぽい名前は伏せさせていただくことにした。
この本の出版を心待ちにしてくれるナースやみなさまに感謝の意を表し、現在は築地の国立がんセンターにお勤めの藤田先生、がんセンターの激務と薄給のせいで「彼は野たれ死んでるかも」と教えてくれた後輩思いのエンジェルH、そして二十歳になったむすめに私の「遺稿」となるかもしれないこの真実の記録を贈りたい。
2005年 5月 吉日 今村ミケ
|