'03.12.02 更新
其 の 弐
ユニコーンにハマリし、その理由
UNICORN
1987年10月、アルバム「BOOM」でデビュー。1993年、惜しまれながら解散。
メンバーは、リーダーの川西幸一(Dr)、手島いさむ(G)、堀内“ebi”一史(B)、阿部義晴(Kb)、奥田民生(Vo&G)。
私がユニコーンを知ったのは'89年。
友人が、当時放送していた「いかすバンド天国」(略していか天・・・懐かしい)を見ていたとき、「注目バンド」として紹介されたユニコーンのプロモ(ちなみに「××(ペケペケ)」だったらしい)のEBIくんの見目麗しさに一目ぼれし、私に「すごくいいよ」と勧めてくれたのだ。
最初は「ふ〜ん、そう」などと軽く聞き流していたんだが、数日後、状況は一変した。
今でもそうなんだが、私はプロ野球の中日ドラゴンズの大ファンで、その中でも、「江本晃一」と言う投手がイチオシだった。
が、その江本投手が、その年のトレード期限ぎりぎりの日(注:プロ野球では選手をトレードできる期限が決まっていて、6月30日が最終日となる)に某チームにトレードされてしまったのだ。
「なんてぇこったい・・・」と失意のどん底にいた私の耳に有線(注:私はサービス業に勤めていたので、仕事中に有線が聞けたのだ)から「この悲しみをどうすりゃいいの/誰が僕を救ってくれるの」などと聞こえてくるではないかいな。
「お兄ちゃん・・・何てタイムリーなことを言ってくれるのさ」なんてカンドーしていた私は、ふと、数日前の友人の言葉を思い出した。
「ああ、これがユニコーンね」
そしてその日の帰りにCDショップに立ち寄った私は、その曲、「大迷惑」が入っている3rdアルバム「服部」を購入したのだった。
で、さらにそのアルバムの1曲目「ハッタリ」を聴いているうちに、有線で聞いていて気になっていた曲がユニコーンのものであることが判明し、即効に「服部」以前のCDも買い揃え・・・、以降ずるずるとユニコーンにハマり、現在に至るというわけだ。
ユニコーンは、あの当時活躍していたバンドの中でもズバ抜けて演奏が上手かった。
民生さんは「VERY RUST OF UNICORN VIDEO 〜Vol.1〜」で自分たちのことを「アイディアだけで突っ走ってきたバンド」と称してたけど、そのアイディアを実現する為には演奏が下手だったら話にもならないわけで、演奏能力が高かったからこそ、まるで箱根細工のからくり箱のように複雑で綿密な計算の元で築き上げられたあの楽曲たちが生まれ、そして、彼らはそれを、さらに解体したり組み立てなおしたり・・・なんてことを事も無げにやってのけていたのだ。
本来なら、もうちょっと評価されててもよさそうなもんなんだが、彼らにとって不運(?)だったことは、メンバーそれぞれルックスがよく(特に民生さんは・・・、おっと、この先は「奥田民生の巻」で語るとしよう)、アイドル性を兼ねそろえていたので、人気層が中高生の女の子に集中してしまい、「アイドルバンド」と思われてしまったことだと思うな。
でも、業界筋にはその音楽性の高さから支持している人が多かったことも事実だったと思うんだけど・・・。
ライブが大好きだった彼らは、毎回、これでもか!というくらいに凝った演出をしていて非常に面白かった。
特に、初の武道館から始まった阿部さんのショーが一つの見ものだった。いろいろやってましたなぁ・・・。
だからかは知らんが、ライブのチケットは即日完売してしまうのに、CDの売上が伸びない、という不思議な現象も起きていた。
EBIくんのソロアルバムリリースや、3ヶ月連続アルバムリリース(この記録は未だに破られてないらしい)、演歌チックな「ブルース」キャンペーン、2週間おきのソロシングルリリース・・・とさまざまな離れ業を披露していた彼らにも、暗〜い「影」がどよ〜んと押し寄せる。
'93年2月、8thアルバム「SPRINGMAN」のレコーディング途中に川西さんが脱退。レコーディング、その後のツアーも何とか乗り切ったものの、明らかに違う方向を向いてしまった各メンバーの今後の展開を踏まえ、9月、解散の道を選ぶ。
彼らが解散する、とファンクラブからの通知で知ったとき、非常に悲しかったが仕方がないなとも思った。
多分あれ以上続けるのは無理だったと思うし、無理して続けてもいい音楽は生まれないし、彼らも言っていたけど「活動休止」じゃ周りにも迷惑が掛かっただろうし。
メンバーの誰もそんなこと言ってないのに『全力出し切った』などとスポーツ紙(確かあれはスポニチだと思う)に書かれていたけど、ある意味それは本当のことだろう。
'02年は結成15周年だったので、記念本や記念ベストアルバムが発売された。NHKの年末番組『懐かしの80年代バンド特集』の全国アンケート「再結成希望No.1バンド」で、ブルーハーツやBOФWYを抑えて、見事1位になったり(「別冊宝島・音楽誌が書かないJポップ批評」記事より)、さらに、'03年は解散から10年ということで、「別冊宝島・音楽誌が書かないJポップ批評」でも特集されたり・・・と、周辺が騒がしくなっている彼らですが、多分、彼らは再結成されることはないだろう。いくらファンや関係者が望んでいても、彼らにその意思が全くない(手島さんにはあるんだけどねぇ・・・)以上、求めるのは酷ってモンだ。
それよりは、それぞれの道で活躍している彼らを応援していく方がいいのだ。
・・・なんて分かった風なこと言ってるけど、本心を言えば、私だって彼らの再結成を強く望んでいる一人だったりするのさ。
今の彼らが作る「音」を聞きたいし、昔の曲なんてやってくれなくていいから、もう一度ライブを見たいのさ。
※ この章は、'03年3月発行の同人誌「アリスの亜細亜」に投稿した「あの丘へ・・・」を一部アレンジして載せてあります。