「ふじ川上り舟」

 富士川は、徳川家康の命を受けた角倉了以(すみのくら・りょうい)
の尽力により、江戸初期に甲州と東海道を結ぶ川の輸送路として
整備されました。甲州鰍沢(かじかざわ)と岩淵の間約70キロを、
荷を積んだ笹舟(高瀬舟)は、下りは六時間、上りは人力で引いて
三、四日かかりました。その上りの情景を描いた木版画です。
 三人の人夫が身を前にぐっと倒し、画面右端の舟を、ぴーんと張った
綱で引いています。応援するように、背後の木々は斜めに傾いています。
人夫の提灯や背景の民家の明かりが、これがきょうの締めくくりの
一踏ん張りであることを示しています。力いっぱい働いている市井の人々を
ゆったりと包むように、富士山が悠揚迫らざる全容を見せています。横長の
画面が見事に生かされた構図です。
 高橋松亭(本名松本勝太郎)は、1871年(明治4年)に東京浅草で生まれ、
1945年に東京で病没した木版画絵師です。絵は、伯父にあたる松本楓湖に
習ったようです。後年、弘明(ひろあき/こうめい)とも名乗りました。
江戸の面影を色濃く残す風景木版画を数多く描きました。
少数ですが、美人木版画も手掛けました。