呉一騏にとって「山の演繹(えんえき)」とは、山という概念から
富士山という固有の山が導かれるのと同様に、画家の心に深く根ざし
ている彼独自の「山」を描くことです。
純白の紙面に一滴の墨水、一筋の墨痕が印された時、その墨の位置、
濃淡そして筆触への鋭敏な反省と思索から次の運筆が決まります。こ
の積み重ねのかなたに「山」が、霧が晴れて見えてくるように、徐々
に紙上に現れてきます。
「山」の全容は、筆を収める時に至って初めて明らかになります。
そこには、画家個人の「山」への哲学的思索の軌跡、水墨で描く行為
への深い内省、そして水墨画への畏敬の念が自ずとにじみ出ており、
濃淡黒白の壮大な画面に清冽な諧調と奥深い精神性を与えています。