1924年に生まれた深澤幸雄は、美大生だった戦争末期、東京大空襲に遭い
右足に打撲傷を負いました。その傷が五年ほどして悪化し、歩行困難、外出不能
に陥りました。大作の油彩画を描く夢が絶たれた画家は、机上で制作できる
銅版画表現に、絶望を乗り越えて行く手段を見出しました。
この作品は、その当時制作されたものです。人間まがいの三体が、岩石か雲の
塊がびっしり詰まって今にも落下しそうな天井と、鋭い円錐がひしめいている床
との間の狭い空間をギリギリに飛んでいます。作者の置かれている困難な状況を
描いたものと言えます。飛翔しているとはとても思えないこの作品に、作者は
「飛翔体」と名づけました。そこに、作者の詩的感受性と、自由に行動できる
身体への強い願いが滲み出ているようです。画家は、この作品等によって春陽
会賞を受けました。この数年後に傷は回復しました。先年には日本版画協会の
理事長を務めました。