君は光、僕は影  <後篇>

 

駅馬 如

 

目を上げて

 僕を見て

僕はここにいるよ

 いつもずっと、君の側に

ずっとずっと、ずっと―――

 

 

 厳かなエンジンの音を立て、車は静かに進んで行く。

 市街を通り抜け、景色は次第に閑散としたものになっていた。

「…………」

 お互いが何も話さない。

 何も言わずアクセルを踏んでいた八海は、バックミラーごしにチラリと隣を見遣る。

 助手席の直江は、窓の外を眺めているのか、僅かに前方を向いている。そしてこちらを見ようとはしない。

 八海の運転する車は、何事もなく目的地に向かっている。

 視線を前方に戻し、八海は思った。

 果たして、直江は自分が―――自分達がどこに向かっているのか、分かっているのだろうか。それとも。そんなことは、彼にとって、どうでも良いことなのだろうか。

 この流れる沈黙は、一体どのくらい続いているのだろうか。

 実際には、車が出発してから今までずっと続いているのだが、何かを話す訳でもなくただ運転しているだけの八海には、どの程度の時間がたっているのかなど分かる筈もない。その程に、車内の2人は言葉を交わしてはいなかったのだ。

 手前の信号がちょうど赤に変わる。今まであまり信号に引っかからなかったことを思えば、珍しいかもしれない。

 八海は、緩く、そして何回かに分けてブレーキを踏んだ。さほど振動もなく、車は停止線の前で止まる。

 助手席とは逆の窓の外を何気なく見た八海の眼に、横断歩道を横切っていく若い男の後ろ姿が映った。トレンチコートの裾をなびかせて歩く男。

 顔までは見えないが、間違いなく見ず知らずの男だ。だが―――そのトレンチコートが、ある男とある光景をフラッシュバックさせた。

 八海の心の中に、出発するかなり前から消えずに残っていた光景(もの)。

 信号はまだ変わらない。ハンドルを握っていた手を離し、僅かに眼を伏せると、鮮やかに思い出される。

 

 八海はあの日―――気まずい別れをして「明日また来ます」と告げた翌日、朝早くから、病院の駐車場から一身に見つめていた。558号室―――直江の居る、その病室を。

 ただ、見つめていた。その部屋にいるだろう人物に、伝えたい―――否、伝えられない想いを込めて。

 その日、彼は本当は、それまで訪れていた時間より早くに直江に逢いに行くつもりだった。だが、そうもいかず、長い時間その場に留まっていた。

 そんな彼が、意を決し、直江の元に向かうエレベーターを降りた、その瞬間。

 一歩を踏み出した八海の眼に映ったのは、一人の男。

 その男の名を、知らない筈がなかった。ただ、驚いた―――否、不思議に思わずにいられなかったのは、何故彼がそこにいたのか、ということだった。

 彼がそこにいること―――それ自体は、或いはさほど不思議なことでもないのかもしれない。だが、八海は違和感を感じずにはいられなかった。

 千秋修平。上杉の夜叉衆の一人。一度は離れていたとしても、まぎれもなく―――直江の仲間。

 『仲間』という言葉で括るのならば、八海自身とてその仲間である。だが彼は、何故か、千秋に対して『仲間意識』というものをもてなかった。理由は解らない。―――否、あの時までは解らなかった。

 病院の廊下で会い、すれ違ったあの時。自分に向けられた視線。そこに込められたもの―――それは恐らく、敵意だろう。

 その瞬間、八海は理解した。なぜ自分が今まで千秋に対して仲間意識が持てないでいるのか。彼がここ――直江のいる病院――にいることに違和感を拭い得ないのか。

 そして千秋の、直江に対する感情……。その視線の奥に潜むものに―――彼は気づく。

 今までも、うすうすとは気づいていたのではないか、と、今となっては思う。だが、少なくともあの時、それは確信となったのだ。

 自分に気づいた途端に口元に浮かべた、千秋の嘲笑とも挑発ともとれる笑み―――あれが気になる。それとも、そう感じてしまう自分は、それほど狭量だということなのか。

 だが―――それも仕方のないことだとも思う。自分にとって、直江のことに関して譲れない部分があることに、八海は十分に気づいていた。

 千秋はあの時、直江の病室から出てきた。そして自分へ向けられたあの笑み―――。

 八海はふと顔を上げ、隣を見た。

 直江様・・・彼は、貴方に何を告げたのですか……。

 貴方は何を聞いたのですか。貴方は―――。

 彼は心中で問いかける。だが、見つめるその横顔からは、何も答えは見えなかった。

 こちらを向いて欲しい。答えが欲しい。だが、例え直江が今振り向いたとしても、自分が何を言ったら良いのか―――何を言うべきなのか、八海には分からなかった。

 ―――そしてもうひとつ。彼には気になることがあった。それは、すれ違いざまに千秋が言った言葉。あまりに小さく、確かなものとしては聞こえなかったが、僅かに八海の耳に届いたそれは―――。

 確証はないまでも、自分の聴覚を信じるのならば、そう、あれは―――。

 自分に対して告げられた言葉(もの)ではないのかもしれない。もしかしたら、あれは彼の独り言だったのかもしれない。それは定かではないが、それでも八海は、あれは………あの言葉は、意図的に自分に向けられたものだと確信していた。

「………」

 八海は何かを告げようと口を開き―――そしてやめた。僅かに眉を顰めると、視線を前に戻す。

 今はただ、この沈黙が壊れる時がくることが―――恐かった。

 突然、後ろからけたたましい音が響いた。早く行け、と急かせるクラクション。

 八海は顔を上げると、慌てて急発車することもなく、ゆっくりと車を走らせた。

 

 

 

 

 直江は今日、退院することになった。記憶は依然として戻ってはいなかったが、頭部外傷の後遺症は記憶以外に現れてはおらず、その他の擦過傷や打撲もほとんど治りかけていることから、医者が退院しても問題はないと判断したのだ。

 そう診断され、退院が決まったことを告げに、八海は直江の病室を訪れた。

 軽くドアを叩く音。それを待ち受ける直江の心情(こころ)を、八海は知る由もない。そして直江もまた、八海の心情(こころ)を、知る由もなかった。

 厳かな音を立てて、ドアが開かれる。

「おはようございます、直江様……」

 いつもと同じセリフ。だが、纏っている雰囲気が違う。何かに戸惑っているような、それでいて何かを決心したかのような。そして―――何かを迷っているかのような。

 それとも、それは、直江の単なる勘違いなのだろうか。

 ―――少なくとも、直江にはそう感じられた。だが、それは八海にも言えることだった。

 彼が病室の中に一歩踏み出したその途端、僅かな違和感を感じた。何かが違う。はっきりとしたことは解らない。ただ、直江の―――直江の周囲の雰囲気が、昨日までとは明らかに違うのだ。理由は解らない。

「直江様」

 例えお互いの何かが変わっていても、否、変わっていなかったとしても、八海は普段通りに接するつもりだった。そうしなければならない何かが―――直江の纏う雰囲気にはあった。

「今日、退院できるとお聞きしました」

 努めていつものように振舞う。直江の方を見、更に足を進める。3歩程進んだところで、不意に彼の足が止まった。

 直江はベッドの上に座ったまま、真っ直ぐに前を見ている。その視線は、八海には向けられていない。

 拒絶、ではない。だが、直江が入院してから今まで感じられた、自分を受け入れてくれている雰囲気が感じられない。

「……お迎えに参りました」

 何故、こちらを見ては下さらないのですか。

「緒手続きは私が致しますので」

 貴方は一体、何を……。

 前を向いたままの直江と、彼を見つめたままの八海。数瞬後、直江が不意に口を開いた。

「今日は遅かったんだな」

 それは、今日初めて聞く直江の声。その事実だけで、八海はほんの数瞬前までの自分達の状況を忘れてしまいそうになった。それに、聞き様によっては、自分の来訪を心待ちにしていたとも取れる内容。

 これまでの自分ならば、素直に喜んでしまって良いのかもしれない。いや、喜んでしまうだろう。

 だが―――。

 だが、その言葉の内容の持つ、もう1つの意味に気づいた途端、別の感情が八海を支配した。

 『もうここには来るな』 ―――そんな言葉が八海の頭を駆け巡る。

 実際には、直江はそんな言葉を告げてはいない。それは八海も分かっている。それでも、彼には直江の台詞が後者の意味を持つように思えてならなかったのだ。

 堪らなくなって、彼は目を閉じる。途端に眼の奥に浮かぶのは、昨日までの直江と今の彼の台詞―――。

「……車の準備をして来ます」

 八海は徐に身体(からだ)の向きを変えた。直江に背を向けると、それ以上何も言わず、ドアに手をかけると廊下へと姿を消した。

「…………」

 だから八海は気づく由もないのだ。彼が病室を出る時、それまで一度も彼の方を見ようとしなかった直江が、不意に横を向き、八海の背中を見つめていたことを。

 そして、その唇がそっと何かを形づくろうとしたことを―――。

 

 

 

 そうして今、直江は八海の運転する車の中にいる。

 彼は、八海がどこへ向かっているのかを知らない。直江は一度も問わなかったし、八海も敢えて告げはしなかった。

 病院を後にし、八海の開けたドアから車に乗り込んだ時も、「どこへ」と言うことはなかった。

 だから、直江の心が―――解らない。

 景色は変わり、街中というには人家の数が少なくなってきた。窓の外には、のどかな田園風景が広がる。

 車はもう、数十分以上走り続けていた。

 もう幾つ目になるのか解らない交差点を過ぎた後、八海は徐に車を停めた。視界の端で、直江が僅かに身じろいだのが分かった。

 八海は先に車を出ると、反対側に周り、助手席のドアを開けた。ちらりと彼に視線を向けると、直江はゆっくりと車から降りる。

「どうぞ……」

 八海の差し出した手を取る。直江はその手を離した後、目の前の建物を見上げた。

 その時、一瞬だけだが彼が頬を緩ませたように見えたのは、八海の気のせいだろうか。すぐ後には、感情を窺わせない表情に戻っていた。

「……ここは?」

「……私の、家です……」

「―――……」

 それ以上、直江は何も言わなかった。八海も口を開かない。

 それでも視線を目の前の【八海の家】に向けたまま、身動きすらしない直江の横顔を見ながら、八海は思った。

 もしかしたら彼は、病院で「退院後に行く所などない」と言った直江に、それならば、と自分の家に来るように誘った時に言った、「そこまで世話になる訳にはいかない」という彼自身の言葉を思い出しているのかもしれない―――と。

 ならば彼はどうするのか―――。

 ……そんなことを考えながら、八海は車の鍵を閉めた。車から視線を直江に戻すと、彼はまだ、八海の住んでいるマンションを見上げたままだった……。  

 

 

 

 

 

 

to be continued ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■ コメントという名の言い訳 ■

 

 

 

 

 あぎゃぁ〜〜〜っ! ごめんなさい、終わらなかったです……(泣)。またしても駅馬、嘘っぱちでした!(死)  確か駅馬、<中篇>のコメントで、「【君・僕シリーズ】は<前・中・後篇>という形で終わらせたい」とか何とかほざいてましたよね……。

 ……確かに、この<後篇>で完結の予定だったんです。ええ、そのつもりで書いてました。 が! ……書けども書けども、進まなくて(汗)。このシリーズ(←とく考えてみれば、いつの間にかシリーズ化)の一番の見せ場、というか駅馬が最も書きたかったシーンまで、なっかなか到達しなくて……(汗)。

 でも、ちゃんと(←?)初めは一気にラストまでいくつもりだったんですよ? はじめっから続くつもりはなかったんですよ、信じてください〜〜〜!(←信じらんねぇな)

 ホントは、例えどんなに長くなろうとも、スクロールがどれだけ短くなろうとも、この<後篇>でしっかり終わらせるつもりだったんだけど、何せ駅馬、時間が……(汗)。

 仕事の関係で、あんまり時間的に余裕がなくて、<後篇>のみにすると、アップがいつになってしまうやら分からんので、あえなく切りました(←言い訳)。だって、ただでさえ更新が早いとは言えない状況なのに、これ以上お待たせするワケにもいかないし…とか何とか言ってみたり……(みたり、ってアンタ)。

 それならば、いっそここまででアップしちゃえ!となったワケですよ、まえださん!

……あ、でも、その『一番の見せ場云々』ていうのは、ホント大したもんではないので、期待はしないで下さいね?(←誰もしないっつの)

 

 それにしても、今回はホントに難産でした(汗)(←生んだのか?)

 今回、初めて八海の視線で書いてたの、お気づきですか? <前篇>も<中篇>もみんな直江の視線で書いてたので、今回もそのつもりだったんですが、書いてみたらこれがまた大変で……(泣)。

 話の展開上、八海の視線にしました。どんなもんでしょう?(笑)

で、書いてみて分かったこと。……ウチの八海って、ヘンだ。なんつーか、直江受の中の八×直における異端、とでも言うか……?(汗)

 兎に角、直江のみならず、八海までもが別人。いいんかそれで(←良くない)。まぁ、人生なんてそんなもんさ(←?)。

 ……と、言うわけで、八×直でした。…そう言えば、今回はちゃんと八×直に見えてます?(汗)

 それから! こんな展開で何ですが(←何だ)、これ、ホントに八×直のハッピーエンドですよ?(汗) 今気づいたんですが、同じハッピーエンドでも、甘々がお好きな方には受け入れられない話なんですかしらね、これって……(←今頃気づくな)。

 今回に限って言えば、直江なんか、たった2回しかしゃべってない……(死)。あいたたた……(激痛)。

 

 ああ、とにかく(?)。次こそは本当の本当に完結です。頑張りますので、どうか感想を! こ〜ゆ〜小説が皆様にどう受け入れてもらえるのか、駅馬は知りたいんですぅっ!(汗) BBSにて、ご感想をお待ちしてます!(……文句でも可(笑))

 ではでは、次回の【君は光、僕は影】<完結篇>にて、お会いしましょう♪

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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