君は光、僕は影 <中篇>
君は何 僕は何 君は誰 僕は誰――― |
駅馬 如
差し込む光に催促され、沈んでいた意識が緩やかに浮上する。寝台の横に位置する窓から確実に注がれる眩しい程の朝日が、直江の覚醒を促している。 「…………」 右の片肘をつき、ゆっくりと上体を起こすと、彼は窓の外に目を向けた。 ……直江のいるこの病室の窓には、落ち着いた色調のカーテンがかけられている。それはこの病室に限られたことではなく、ほぼ全室に共通している。 医療機関の財政難が騒がれている現在、この病院は患者の安楽に気を配っている。身体的なことは第一として、主に精神的安楽を考えているのだろう。 カーテンの色調がその一例である。少しでも心安らかにすごせるように、と、室内全体を落ち着いて見せている。 ―――だが、その反面、直江の心は落ち着ついてはいない。 原因は判っている。たった一日前に起こったことが、心に引っかかっているのだ。 昨日、偶然に起こったことが様々な感情(もの)を引き連れ、直江を襲った。 直江はベッドから出ると、窓の前まで歩く。そして、シャッと音を立ててカーテンを引く。途端に倍の量で差し込んで来た眩しい光に、思わず瞳を細めた。身体(からだ)を捻り、全体で光から眼を逸らす。 とてもではないが、こんな光を眺めていられる気分ではない。ただでさえ起きた直後である。それでなくとも、直江の心は決して晴れやかとは言えない状態であるのに、こんな爽やかな朝日に晒されていると、自分の中のどんよりとした不可解な部分が明らかにされてしまいそうな気すらした。 直江はそれが避けたかった。 棚の上に飾られている花に目をやる。ところ狭しと並べられている花々は、全て《彼》の持ってきたものだ。 つい先日までは直江の心を和ませていたそれらも、この時は、別の感情を齎(もたら)している。見つめていると、何かが浮き上がりそうで―――直江は視線を逸らした。 「……っ……」 後ろ手にカーテンを閉める。そのことにより、室内は僅かに明るさを落とした。その様を眺めると、直江は僅かに胸をなで下ろす。 明るいと落ち着くことができない。 直江はカーテンを掴んだまま、背中から窓に寄りかかる。僅かに後頭部を上げると、静かに瞳(め)を閉じた。 ―――閉じられた瞳の奥で、昨日の記憶が甦る。
あの日―――また明日来ます、と言い残して八海が部屋を去ったあの日。事態は思わぬ方向に展開した。 直江はあの後、時が経つことにも気づかず、ベッドの上に座ったまま、閉められたドアを長い間眺めていた。 実際に幾ばくかの時間が過ぎた後、直江はハッと気づいた。止まっていた彼の思考を動かしたのは、静かだが確実に近づいてくる足音だった。 直江のいるこの病室は、個室のなかでも更に奥まったところに位置し、ここへ来るためには長い廊下をひたすらに歩かなければならない。 隣の病室(これも個室である)との間には、幾らかの距離があった。 つまり―――厳かに廊下から響くこの靴音は、まぎれもなく、直江の病室に向かっているのである。 考えることを一時的にやめていた筈の心が、ざわざわと騒ぎ出す。何故なのかは解らない。だが、次第に近づいてくる足音に、心は確実に反応していた。 一時も外すことなく、視線はドアへと注がれていた。 「…………」 次第に音は大きくなり、すぐ近くまで近づいてきたことが分かった。 そして―――連続して聞こえていた音の中で一番大きな音がして、その音はドアの前で止まった。 「よう、元気にしてるか?」 開けられたドアと共にかけられた声は、直江の記憶にはない声(もの)だった。 八海である訳がない。彼が訪れるであろう時は明日である。ましてや、あんな事態で、今日再びここに戻ってくるとは考えられない。 それに―――直江としても、突然の方室者が八海であったとしたら、どんな顔をすれば良いのか判らない。八海にまた【あの瞳(め)】で見つめられたら―――そう思うと、彼でなくて良かった、と思うべきかもしれない。 だが―――だとしたら、ドアの向こうから覗いた男の顔を認めた瞬間にふと頭を掠めた感情(もの)は何なのか。 自分の考えが違った方向に向かった時に、誰しも感じるもの―――その名は……。 「……おい? どうしたよ、お前?」 ひとの顔をじっと見上げたままの直江に、男は訝しげに声をかける。男にしてみれば、直江が何の反応も返さないのだから当たり前である。 直江はその声に、自分が身動きもせずに自分の考えの中に深く入り込んでいたことに気づいた。 「……っ……」 顔を背ける。 失望? まさか。思わず頭をよぎった感情(もの)の名に、直江は慌てた。 失望するということは、期待していたということだ。では、自分はあれが八海であると―――靴音の主が八海であって欲しいと―――期待していたというのか? 直江は自分の心情(こころ)が解らなかった。 「……それにしても、お前が怪我してるとは、ね」 方室者は、直江のそんな様子を気にすることをやめたのか、揶揄を含んだ声で話しながら近づいて来る。 「元気そうじゃねーか」 ベッドの傍らで男は言った。ん? とでも言いたいのか、意味ありげな笑いを向ける。 直江は視線だけを相手に向けた。そして男の姿を、改めて眺める。 その男は、緩くパーマのかかった少し長めの髪を後ろで1つに纏めて止め、眼鏡をかけている。目鼻だちのすっきりしたそのつくりは、男を知的に見せていた。 「記憶を無くしたって聞いたが、本当か?」 「……誰だ、お前」 「……事実、って訳か」 一瞬、形の良い眉を顰めたが、すぐに元に戻すと、男は続けた。 「俺は千秋修平。お前の―――仲間だ」 それを聞いて、直江は僅かに目を瞠った。 仲間―――確かに、この千秋と名乗る男は自分の知り合いなのだろう。自分に向ける口ぶりは、明らかに既知の人間に向けるそれだ。 だが、直江は千秋を知らない。正確には覚えていないのだが、知らない(覚えのない)人間に馴れ馴れしくされるのは、不快、とまではいかなくとも、良い気はしない。 自分は仲間だ、と聞かされても、とてもそうは思えなかった。少なくとも、八海と―――彼といた時に感じていた雰囲気とは明らかに違う。 一体、何だというんだ……。 再び自分の思考の中に入り込んでいた直江は、急に目の前が暗くなったことに気づき、俯いていた顔を上げた。 ―――初め、何が起きたのか分からなかった。考える前に思考が止まった。 自分の目の前にあったものが千秋の顔であり、唇に唇が触れていたことに気づいた時には、既に千秋は身体(からだ)を離していた。 「……な、何を……!」 数瞬後、視界の上下が反転した。両腕は押さえつけられ、身動きもままならない。 「どうした? 抵抗してみろよ、いつものように―――」 抑えつけておいて千秋は言う。 目の前の男の―――千秋の真意が見えない。そもそも、直江は千秋のことを知らないのだ。この行動の意味するところに、彼が気づくはずがなかった。 直江は力を入れて押しどけようとした。だが、数週間に及ぶ入院生活は、知らず直江の身体(からだ)に影響を与えていたようだ―――どんなに暴れようとも、千秋の身体はピクリとも動かなかった。 「離せ、何のつもりだ……っ!」 抵抗を始めた直江を見下ろし、千秋は、ふんっ、と鼻で笑う。 「……お前の記憶が残ってるのなら、言わないつもりだったがな」 記憶がないからこそ言うのだ―――言外にそう告げる。 「何がだ!」 「お前の事故とその怪我の原因―――教えてやろうか」 「……!……」 思わず、抵抗する手足の動きが止まる。その様子に千秋の瞳(め)が細められたことに、直江は気づかなかった。 両腕を押さえつけたそのままの体勢で、顔を近づけていく。殊更ゆっくりな動作であってが、直江は何もできなかった。 目的地である直江の耳元に到着すると、千秋はおもむろに口を開く。 直江の視界に映ることはなかったが、千秋の瞳が妖しく光った。 「―――八海だよ」
その日、直江は夢を見た。 彼は闇の中を走っていた。ただひたすらに駆ける。 息が切れても、苦しくても、ただただ走った。 背後から追いかけて来るのだ。今いるこの闇より尚暗く、直江を苦しめる闇が。 今にも直江にその手を伸ばし、取り込もうとする闇――。 必死に走る直江の前に、光が現れる。眩しくて、目が開けていられないほどの光。 それが何であるのかは分からない。ただ、この闇から逃れたくて―――直江は手を伸ばした。 そして衝撃。
握りしめていたカーテンから手を離すと、直江は溜息をついた。静かに吐き出された吐息の音が、静かな室内に僅かに響く。 気分が重かった。何をするにも気が乗らない。 こんなに朝早く――あくまでも入院中の直江にとって――に何をするでもなかったが、ただただ億劫だった。 ゆっくりとした歩調でベッドまで歩く。キシリと音を立てて座ると、乱れた寝衣を直した。 襟元を正し、腰紐に手をかけたその時、直江はハッと息を呑んだ。触っている腰紐を握りしめる。 聞こえるのだ。―――昨日、千秋が来た時のように、廊下を歩く靴音が。 直江はいそいで振り返り、ベッドサイドの時計を見る。いつも彼が訪れる時間まで、1時間は悠に余裕がある時間だ。八海はこれまで、必ず同じ時刻に訪れた。 まだ早すぎる。 それに、昨日の今日で、いつもより早くに来たりするだろうか―――。そもそも、こっちに向かっているのが何も八海だとは限らない。朝の検温に来た看護婦かもしれないし、全く別の人物かもしれないではないか。 だが―――直江には、それが八海であると判っていた。理屈ではない。それでも、判ったのだ。 直江が記憶を失ってから傍にいた八海という人間は、直江が見る限り、一度口にしたことを破ることは決してしないだろう。記憶がある頃のことは分からないが、少なくとも今直江が知る限りの八海は、自分が言ったことを通すだろう。 つまり―――昨日「明日また来る」と言ったからには、八海は必ず来るだろう。ただ―――そんな口約束がなくとも、直江は、あの足音の主が八海であると、無意識の内に理解していた。 ……来ないでくれ。 次第に近づいてくる足音に、直江はそう思った。 知らず鳴り出した鼓動を無意識に押しとどめ、苦し気に息をつく。 視線がドアから離れない。―――否、離せない。 千秋の時のように靴音が直江の病室の前で止まり―――ドアのノブがゆっくりと回された。
事態の急変を告げるための運命の扉が、正に今、直江の目の前で開かれようとしていた―――。 |
to be continued ……
■ コメントという名の言い訳 ■ |
ぎゃ〜〜〜っ!(叫) のっけから失礼(汗)。いやでも、ご・ごめんなさいです……(涙)。お・終わらなかったです……。いえ、本気で、マジで、終わらせるつもりだったんです! でも…書けば書くほど、収集がつかなくなって……。 「いっそのこと、このままラストまでいっちゃうか?」 とも思いましたが、それだと読むのも大変だし、スクロールがいくらあっても足りないかも…というコトで、切りました(汗)。 ホント言うと、この<中篇>も、2つに切ることも考えてたんです。途中から。 だって、打てども打てどもラスト(<中篇>のラスト)まで辿り着かないし、焦って(汗)。駅馬、この《君は光、僕は影》だけは、1,2,3…という形では続けたくなかったんですよ。この話だけは、<前・(中)・後篇>という形にしたかったんです。……駅馬的には、<○篇>っていうのが、綺麗なニュアンス(?)っぽくて好きなのでv なので、もしこの<中篇>を2つに切ろうものなら、<前・(中)・後篇>という形で終われないじゃないですか。だから必死(?)で短くしました(汗)(←そんなコトに必死になるな)。エピソードも幾つか削ったし、極力文章を少なめに……というカンジなので、判りずらい展開かも(泣)。唯一(どこらじゃないけど)、それが心残りで……(汗)。 BBSで「頑張る」とかほざいてた割に、結果がこれかい(死)。でも今はこれが精一杯で(汗)。
そしてもう1つ。皆様、これ……八×直ですよ?(汗) 何でイチイチ<中篇>に入る前に注意のページを作ったかと言うと、……不安だったんですよ、彼を出すことに。そして彼の行動に(←特にこれ……)。 勿論誰のことかはお分りのことと思いますが、千秋です。彼については……色々とあるんですが(ええ色々と)、ここでは敢えて何も言いません(何故)。いつかどこか(きっとBBSか<後篇>のコメントかな?)で語ると思います。ので、ご勘弁を(土下座)。 1つだけ言うと、彼の存在は、ある意味、布石ですよね。駅馬なんかが《布石》なんていう言葉を使うことすらおこがましいですが(ホントにな)、実はそうなんですよー。 ……ああ、ホントに不安……(焦)。だって、千秋はあんなんだし、何より八海が……! ……全然出てきやしないですしねぇ(汗)。いや、出て来るって言えば出てないこともない……気がしないでもないですが、あれじゃあ……(遠い目)。
BBSでも<前篇>のコメントでも語ってますが、駅馬は八×直が大好きです。ええ、三度の食事より大好きです(笑)。 んで、何が言いたいかと言いますと―――この話は八×直ですし、ハッピーエンドです。ってコトかな?(いや聞かれても) 「八×直でハッピーエンドだしぃ!」っていうことで、ちょっと変な彼ら(え?)については、笑って見逃してくださいませ……(汗)。そして、「つまんなかったぞ!」でも「あんなん嫌!」でも、何でも良いので、BBSに書き込んでやって下さい。または、メルフォでご連絡下さいませ☆ そこに、何か一言でも構わないので、感想をちょろっと付け加えて頂けると……嬉しいです♪
最後に一言。 これは八×直のハッピーエンドなんです〜〜っ!!! 信じて下さい!(←無理かも…/汗)。 |