君は光、僕は影  <番外編>

  

                  渇愛

駅馬 如

 

 

 初め、それが真実だなんて思えなかった。『信じられない』というのとも違う。そんな陳腐な表現では物足りない。

 自分でもよく分からない感情。

 もしかしたら、『信じたくない』という感情(もの)にも似ていたのかもしれない。

 とにかく彼は、そのままじっとしている気にはなれなかった。何か行動に移す―――そうせずにはいられなかったのだ。

「……ちょっと? もしもし、聞いてる!?」

 急に黙り込んだ彼に気づいたのか、電話の向こうから訝しげな声がかかる。

 聞いてはいるが、いちいち答える気にもならない。詳しい内容になんて興味はない。《そのこと》が分かればあとは関係ないのだ。

「分かった」

 全く答えにもなっていない返答を返すと、彼は一方的に電話を切った。ガタッと音を立てて受話器が定位置に戻る。

「…………」 

 書きかけていた書類が手から落ちるのも構わず、彼は勢いよく立ち上がった。

 

 

 

 

 車のキーを差し込む。勢いよく回すが、エンジンがなかなかかからない。チッ、と千秋は舌打ちをした。

 イライラする。何故こんな時な限って、こうなるんだ。

 何もかもが自分の邪魔をしているようにすら思えて、彼の苛つきがつのる。

 漸(ようや)く車が活動を始める。千秋はアクセルを踏みつけると、乱暴に車を走らせた。

 

 

 開けた窓からは音を立てて風が流れ込んで来る。その勢いの良さが、車のスピードの速さを物語っている。

 吹き付ける風に、長めの髪とつけたばかりの煙草の煙を揺らしながら、千秋は先程の電話のことを思い出した。

 電話の相手は綾子だった。特にこれといってするべきことが何もなく、一週間後までに書き上げようと思っていた書類に手をつけた直後だった。

 居間にある電話がけたたましく鳴る。普段、殆ど鳴ることのない電話なだけに、千秋は少し驚いた。

 出てみて、相手が綾子と分かると、尚のこと驚いた。最近は彼女からの連絡が途絶えていたからだ。

「大変よ!」

 開口一番、彼女は言った。

 何のことなのかは知らないが、綾子は焦っているようだった。だが、千秋は内心、「くだらない」と思っていた。綾子は幾分、物事を大袈裟に捉える傾向がある。それに、どうせまた、闇戦国がどうの影虎がどうしたのと、そういうことを言うに決まっている。

 どちらにしろ、千秋の関わりあいたくない内容だろう。

「なんだよ」

 一応問いながらも、真剣に聞くつもりなんて千秋にはさらさらない。適当に切り上げて、さっさと通信を切るつもりだった。

 だが―――《適当に終わらせてさっさと切る》という考えは、次の瞬間、千秋の頭から消えた。

「直江よ! 直江が……っ!」

「!?」

 右手に持っていたペン(万年筆)が机の下に落ちてインクがシミをつくったが、千秋は気にもとめない。そんなことより、続きが気になった。

「直江がどうしたって……?」

 努めて冷静に、感情を出さないようにしていたことに、綾子は気づいただろうか。

「私もさっき知ったばっかりなんだけど、事故に遭ったのよ、それでちょっと前まで意識不明だったんだって! 今、入院してるらしいわっ」

 ……入院? 直江が?

 何かが、彼の頭の中で動き出した。

「―――どこの」

「今から言うわ、いい?」

 彼女に口から、直江が入院しているという病院の名が告げられる。そう遠くはない。車で20分といったところか。

「でもね、何か変なのよ……」

「…………」

 綾子は、千秋が既に彼女の言葉を聞いていないことを知らない。否、聞いていないというより、頭に入ってこない―――といったことろか。

「だからね・・・」

 電話口から続く言葉は、千秋の耳を通り過ぎて行った。

 

 

 

 

 千秋の運転する車が目的地に着く。市内でも1・2を誇る大きな病院であるにも関わらず、早い時刻であるためか、駐車場はさほど混雑してはいない。

 程よく入り口に近い所が空いていたため、彼はそこに車をとめた。ドアを開け、身を乗り出したその時―――彼はあるものに気づいた。

 一人の男。

 その男は千秋のいる所から少し離れた場所に立っていた。僅かに上げた顔は、何かをじっと見つめている。

 ただ見ている―――なんて、そんなものじゃない。真摯な瞳で『見つめて』いる長身の男―――その男の名を、千秋は知っていた。否、知らない訳がない。否が応にも記憶の中に存在する。

 何故あいつがここに―――。

 そう思って、男の視線の先に目をやる。そして不意に気づく。彼の見つめているもの―――その対象を。

 そこは病院の5階。建物の最も奥まった部屋。そしえ―――そこにいるだろう存在(じんぶつ)……。

 グラリ、と、何かが揺れたような感覚が千秋を襲った。僅かだが、急に息苦しくなったような気すらする。

 もう一度男に視線を向けると、未だ変わらぬ姿勢で一点を見つめていた。

 一体いつからそこでああしているのか。彼は、自分の姿を凝視している千秋の視線に気づくことなく、一点だけを見つめ続けていた。

 揺るぎない視線。だが、時折苦しげに眉が顰められることに、千秋は気づいた。

 チッ。千秋は舌打ちをした。そして視線を逸らす。

 ―――彼の直江に向ける感情の存在を、千秋は知っていた。千秋は、というより、知らないのは直江本人だけなのではないだろうか。恐らく、彼らの周りにいる人間は、誰しもが知っている。

 だからと言って、それを直江に告げる気は、千秋にはさらさらなかったが。

 今度は、病院と男の両方を交互に見遣る。彼らの間には、丁度良く木があり、このまま正面の入り口に向かっても、自分の姿が彼の視界に入るとこはないだろう。

 そんなことを考えていると、まるで逃げているようで釈然としない。【逃げる】とか【後退】というのは、千秋の性に合わない。だが―――今、彼に知れるのは何となく嫌だった。他に理由はない。

 千秋は車に鍵をかけると、おもむろに歩き出した。

 

 

 エレベーターに乗り、5階のボタンを押す。僅かな機械音がし、浮遊感に身をまかせる。

 チンという音と共に扉が開く。長い廊下を歩きながら、千秋は思った。

 今自分が訪れたなら、彼はどんな表情(かお)をするのだろうか。いつものように、自分のすることに動揺するのか。

 期待、ではない。ただ、あいつは変わらない―――そんな気がするだけだ。別に理由はない。

 558号室。ドアの横には直江の名の書かれた表札。ここに間違いはない。

 殊更ゆっくりとドアを開ける。

「よう、元気にしてるか?」

 声をかけた途端、飛び込んできた直江の表情(かお)。その瞬間掠めた直江の感情に、千秋は気づかないふりをした。

 頭に包帯を巻いて寝衣を着ていること以外、何も変わらない。いつも通りの―――直江。

「……それにしても、お前が怪我してるとはね」

 明らかに揶揄を含んだ言葉。千秋のいつもの態度。だが、直江は何も反応を返さない。

「元気そうじゃねーか」 

 歩きながら再び揶揄を含んだ言葉をかけても、何も言わない。

「記憶を無くしたって聞いたが、本当か?」

「……誰だ、お前」

 その瞬間、千秋の中で何かが崩れた音がした。

「……俺は千秋修平。お前の―――仲間だ」

 千秋がそう言うと、直江は微かに下を向いた。こちらを見ずに、何かを考えている。 

 千秋と直江―――思えば奇妙な関係だった。仲が良い訳ではないが、別段険悪な関係な訳でもない。

 単なる仲間―――他人から見たらそんなところだろう。ただ、本人の―――特に千秋の思惑はどうであったのか、それは誰も知らない。勿論、直江も知る由もないだろう。

 だが。何がしかの関係があったのは確かである。闇戦国のことに関しても、直江がいなかったら手を出していたかどうかは、今となっては解らない。

 恐らく、無関係を通していただろう。影虎がどうなろうが―――自分には知ったことではない。

 それなのに今はどうだ。目の前の男は、千秋のことを知らないと言う。「誰だ」と問う。

 ―――身体(からだ)が勝手に動いていた。

 直江に口づける。触れるだけの微かなキス。直江が眼を瞠ったのが分かった。

「……な・何を……っ!」

 何もかもを忘れた彼。自分を―――忘れた彼。

 許せない―――そう思った。

 直江が座っている所がベッドであることをいいことに、千秋はそのまま直江を押し倒した。両の手首を抑え、下肢に力を込めて動きを封じる。

「どうした? 抵抗してみろよ、いつものように―――」

 あからさまな揶揄。言われた直江の頬がカッと赤らむ。そんな彼を、千秋は見下ろした。

「離せ、何のつもりだ……っ!」 

 抵抗と拒絶。いつもと同じ―――だが、いつもとは明らかに違う。それは瞳(め)だ。

 これまで千秋は、幾度も、こうして直江を押し倒した。時には首筋に薄い花弁の印を散らし、罵倒されたことも何度もある。押し倒される度、「金輪際、お前には関わらない!」と言いながらも、暫く時を空けると、千秋の接触を許してしまい、そして押し倒されるのだ。

 そんな直江の単純さが、千秋には好ましかった。だから、抵抗はいつものことであるし、彼は特に気にしてはいなかった。

 だが―――今は違う。抵抗はいつものことであっても、瞳(め)が違う。

 当たり前のことではあるが、いつもは、自分を認識した上での抵抗なのだ。なのに今の直江は千秋を知らない。千秋を見る瞳(め)は、明らかに他人に―――見ず知らずの人間に向けるそれだ。

 そうまでして、お前は―――。

「……お前の記憶が残ってるのなら、言わないつもりだったがな」

 違う。直江の記憶の有無に関わらず、そんな言葉を告げるつもりはなかった。だが―――もう止まらない。

 記憶を無くして、お前は逃げた。闇戦国からも、そして自分を取り巻く全てからも―――。

 何も知らない人間になって、お前は何をしたかった? 闇戦国の中に身をおいて、怨霊を倒しながら生きるとこは、そんなにも辛かったか?

 ……そうまでして逃げたかったのか? 全てから―――この俺から……!

「お前の事故とその怪我の原因―――教えてやろうか」

 言った途端、直江の抵抗が止まる。そんな彼の様子を、千秋がどんな想いで見つめていたのか、直江は知らない。

 突然、直江のセリフが思い出される。

『……誰だ、お前』

 千秋の中で、【何か】が頭を擡(もた)げた。破滅的な思考の中で、もう一人の自分が囁きかける。

 どうせ俺のことを忘れたのなら……覚えていないのなら―――壊してしまえ……!

 ふと、ついさっき見た情景が頭をよぎる。あの駐車場で、この部屋を見つめていた男―――彼はまだ、あの場所から見つめているのだろうか・・・。ここを―――正確には、直江を。今、この自分の腕の中にいる直江を―――。

 千秋の瞳に妖しげな光が宿る。口元には、知らず、笑みの形がつくられる。

 ベッドの上で直江の腕を拘束している腕を僅かに曲げ、顔を近づけていく。そして耳元で囁いた。

 口を開く寸前、男の切なげな表情(かお)が頭を掠めた。

「―――八海だよ」

 

 

 

 ベッドの上で未だぼんやりとしている直江を見ながら、千秋は背を向ける。ドアを閉める前にもう一度直江を見る。

 パタンとドアが閉まる。だが、あの様子ならば、きっとそのことすらも―――自分が部屋から出たことにも気づいていないのだろう。

 来た時と同じように、千秋は廊下をゆっくりと歩く。意図的にではなく無意識的にであったが、表情を消すことで、結果的に無表情になっていた。

 ただ、瞳だけがそれを裏切っていた。もし誰かが今の彼の瞳を見たならば、【何かを諦め、何かを得た瞳(め)】とでも表現するだろう。

 エレベーターまで、あと10メートルもあるかないか、といった位置まで来た時、静かな音を立ててエレベーターが開いた。

 降りて来たのは一人の男。

 男は、そこにいるとは思わなかった人物の姿に、驚きを隠せないらしい。僅かに眼を瞠ったまま、歩みを止める。

 だが、千秋は驚かなかった。それでも、彼の表情は長めの前髪に隠れて、男は千秋の表情を窺うことはできなかった。

 お互いの歩みは止まっている。

 先に動いたのは千秋だった。そのまま動かなかったのは、実際のところ、ほんの数瞬だったであろう。

 千秋が歩き出すと、男も、弾かれたように脚を進めた。

 2人がすれ違うその一瞬―――千秋が視線を男に向けた。

 表情を無くしたその顔のなかで、瞳(め)だけが感情を表していた。ただ、男にはその意味は解らない。静かで、それでいて何かを感じさせる瞳―――強い【何か】を湛えている瞳。

 何かが引っかかり、男は振り返った。だが千秋は振り返らない。

 それまで二人分聞こえていたはずの靴音が、一人分だけになり―――それすらも途絶える。

 エレベーターのドアが閉まり、千秋の姿が消える寸前、彼は口を開いた。だが、その声はあまりに小さく、男の耳には届かなかった。

 

 

 

 千秋は運転席のドアを開け、そこに手をかけると、前方を見上げる。地上から5階の、その最奥。

 彼は今、何を思っているだろう。あの男のとことだろうか。それとも―――自分のことか?

 どちらにしても、色々と考えを巡らしているに違いない。

 そう思うと、自然と口の端が上がる。くくっ、と、喉の奥で笑う。

 まだ、だ。まだ、足りない―――。

 千秋は車に織り込むと、勢いよくドアを閉めた。

 開けた窓からは爽やかな風が入り込む。厳かな夏の香りのするそれは、僅かに季節の移り変わりを告げていた―――。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■ コメントという名の言い訳 ■

 

   

 ……な・なんなんでしょう、これは……(汗)。おかしいなぁ、こんなハズでは……(冷汗)。

 千×直です。「君・僕」本編での彼の登場に、駅馬が思っていたより反響があったため、調子にのった結果がコレ……(死)。

 ……だってだってーーーっ! 書きたかったんだもん、千×直(駄々っ子ですかアンタ)。駅馬自身、千×直が好きで、読みたいのに……見かけない(泣)。皆さん、書いて下さいよぅ(泣)。

 それにしても……千秋、壊れてマス。アンタ、なんか変よー!(←変なのはアンタです!) 

 あ、あのですね、千秋に愛はあるのですよ?(汗) 直江への愛が。あるんだけど……その方向が違っちゃったというか……(遠い目)。

 もしかして、うちの千秋ってば、サ○!? ……いやいや! 愛があるあるからこその行動なのです。ええ、きっと、多分…(やけに自身なさげだな、オイ)。

 も〜っ、まえださんがBBSで「いたぶる」なんて表現するからですよ〜!(笑)(←人の所為にするな)。……嘘です(汗)。「君・僕」における千秋登場は、ず〜〜〜〜っと前から決まってました。

 ……まぁ、実際にこの<番外編>を書くかどうかは、決まってなかったけど(笑)。

 

 取り敢えず、駅馬の初の千×直、如何でしたでしょうか?(どきどき) ああ、初も何も、ネット上ではまだ八×直を2本しか書いてない状況だけど(汗)。それにあれ……あの<中篇>、八×直というにはちょっと……あれですよね?(汗)(あれって何だ) どっちかって言うと千×直かしら!?(汗) 

 それに、本当なら「君・僕」<後篇>のハズだったのに、BBS見たら、急に千×直を先に書きたくなっちゃって(笑)。う〜ん、正に節操なし!?(笑) 直江受なら何でも良いっていう……(笑)。

 あと、今回も、「一体アナタ誰なんですか〜〜〜っ!(汗)」状態です。ただ今、【直江乙女化計画】進行中らしいですよ、駅馬さん(死)。それに、千秋も〜!(笑)

 ―――「まぁ良いか、どーせ駅馬の書くキャラは、別人28号だしぃ」と、自分の中だけで変なオチをつけたところで、終わりたいと思いま〜す(死)。

 

 何だか毎度のことみたいですけど、もし宜しければ、BBSもしくはTOPのメルフォ、に一言何か書き込んで行って下さると嬉しいです☆ 皆様の反応次第では、次も千×直……な〜んてコトもあるかも!?(笑) あ、でも、八×直(「君・僕」)の続きも書かなきゃね……(汗)。それに他のジャンルも〜〜〜っ!

 

 

 

 

 

 

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