@いじめと武道空手
私は仕事として、ライフワークとしても学校教育や社会教育に携わってきました。
そこで、現在の教育問題で特に問題になっている「いじめ」についてお話しします。
私の子供の時代に比較しても、いじめはどんどん陰湿になっています。
いじめをまったく無くす方法は残念ながらありません。
なぜなら、成熟した大人の世界にもあるからです。これは無くすことは不可能です。
この「いじめ」というものは、人が生きていく上で、良い意味では、肥やしとなって、
人の成長の糧となることも実際にあります。
でも、人それぞれ顔が違うように、性格や、心身の強い弱いがあります。
最悪な場合自らの“命”を絶つことで、その苦しさから逃れようとする人もいます。・・・
《いじめる側の人には、いじめられる苦しみ、痛さ、辛さを。》
《イジメられる側の人には、イジメられない強さを。》
この二つが今求められています。
この二つの考えをもとに、教育的発想で大人が導いていく。
特に教育の現場でそれを行い、お互いを心身ともに健全な道に戻していくこと。
これが最も大事な教育であると信じています。
いじめられた人の相談窓口をもうけて心のケアをする、いじめの現場を見逃さないよう
巡回指導を強化するなど、どれも対症療法であり根本的な解決になっていません。
いじめの根幹にある「人」(親も子ども)というものを変えていく必要がある。
そこに“武道空手”なんです。
中学校の武道必修化になった柔道、剣道、相撲でもよいのですが、実際に殴られ、蹴られ、投げ飛ばされたときの痛みがわかる。
この痛みを実際に自分の体で感じること、これが大事です。
相手の体にどれだけの攻撃を加えると、どれだけ痛いか?どれだけ苦しいか?
どれだけ辛いか?それら「痛み」、「苦しみ」、「辛さ」を自分の体で知ることができるのです。
そうすれば、無抵抗な人を思い切り殴る蹴るといった非人道的な行為ができなくなります。
武道家に優しい人が多いというのはあながちこれらの痛み、苦しみ、辛さを自ら知っている
ということと無関係ではないと思っています・・・
でも、イジメには暴力でない言葉のイジメもあります。
腕力に自信のある人がいじめられるでしょうか?否、腕力に自信のある人を
いじめるでしょうか?イジメたらぶん殴られるかもしれない、イジメてきたらぶん殴ってやると。
双方にイメージの力が働き、それが歯止めとなるのではないでしょうか。
この歯止めは、一生懸命稽古してはじめてオーラのごとくその子供から現れるものです。
これは、大人になっても絶対に自分を守るお守りになるでしょう。
これが武道の「戦わずして勝つ」「戦いに来た相手と友達になってしまう」
この発想につながります。
武道空手の教育性
我が禅道会(総合空手)は、打撃だけの攻防ではありません。
実戦では、余程力の差がない限り、もつれ合い、取っ組み合いになります。まさに何でもアリの世界・・・
日常生活(学校生活・社会生活・家庭生活)も何でもアリだらけ→言葉の暴力、予想外のイジメ、セクハラ、パワハラなどなど
どのような場面や状況、立場におかれても、自分がどのように行動すれば良いか瞬時に判断し、適切な対応ができる。
そこには、「いじめ」の矛先が自分に向けられてきた時、冷静・沈着に対応する能力育成。
問題の起こる一歩前で歯止めをかける心と体を養うことができることにつながります。
道 | 場 | 長 | の | メ | ッ | セ | ー | ジ |