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ハンセン病を発病し、長島愛生園での海人の闘病は、知覚麻痺、眼痛、気管切開という三大苦に襲われた壮絶な療養生活でしたが、三十をすぎて短歌を学び、その終焉の時まで、「苦渋をその一首一首に放射して」と、知覚・光を失い、声を失い、しかも痛みや熱に悩まされながら、普通なら側で看病してくれる肉親までも失い、なぜ「千本浜公園の歌碑」に刻まれたような美しい歌が出て来るのだろうか。癩を天啓とも思えるのか、人間はこんな状況下で何かに向かって情熱を持てるのか、と凡人の私は思ってしまう。正に冒頭の白描序文の歌が染み込んで来る。海人を知って、この人をもっと多くの人に知ってもらい、今、何か苦しみ悩んでいる人がいたら、絶望の淵に立たされている人がいたら、この人に比べればと、「生きる力」や「勇気」を、たとえたった、1人の人にでも、そう思ってもらえたらこんな嬉しい事はないと、・・・・
勉強不足の私には歌意をつけることは出来ないので、今ある書籍を参考に、多少は私の思った感想などを入れて作っています。少し歌意が違ってこないか心配はしています。専門家(海人の研究者)の方々にその都度お叱りやご注意を頂きながら違っている部分は修正してゆこうと思っています。
そして、専門家(海人の研究者の岡野先生など)の方々には、今の若い人にもわかり易い歌意をもっと多くの歌に付けて欲しいと思っています。
沼津に「明石海人顕彰会」が出来ました。その事業の少しばかりのお手伝いが出来れば幸いです。
そして、「真のバリアフリーとは」を(自分にも)問いかけてゆこうと思います。
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