JR2AVW
たのしい遠洋漁船生活
たのしい遠洋漁船生活
Copyright(C) M. Ishizaki(JR2AVW).
1/Aug/2006
2/Sep/2006 写真を大幅に追加しました。スキャナで撮り直しました。
21/Sep/2006 落水事件とマンボウのはなしを追加
22/Sep/2006 無線のはなしやその他若干を追加
まだ途中ですがどうぞ。
台風が近い
航海中の遠洋漁船の操舵室から 結構揺れてます(デッキには出られません)
本船は、ちょっと変わった丸窓のブリッジです。
モノクロですが、船の全景です。御前崎港に回航中です。
うちの車がちょっと邪魔ですが、母港、御前崎港入港中の本船です。
御前崎の民宿は美人のおかみや従業員(奥さんも)が多かったです。Hi.
既婚者は大抵はご主人が船乗りです。
今は知りません。(って御免なさい。怒られちゃいますね)
かつおぶね(Bonito) Fishing boat
昔々約30年ほど前、静岡県御前崎港所属の遠洋カツオ1本釣り漁船に無線の仕事で乗ってました。
通称カツオ船といいます。(マグロ船は縄船)
主に缶詰用のトンボ(ビンナガ)マグロ・キハダマグロ・カツオを釣ってました。
無知とは怖いもので私は赤道方面に行くとばかり信じて、半袖しか持たずに乗船したら、
キャプテン(船長)から「行き先はミッドウェイ沖!北海道より寒いぞ!」と言われ
キャプテンから長袖の黒いセーターを頂きました。
もっとも、その後、私が乗船期間中、キャプテンは3人変わりましたが。
実際、セーター着て、ゴム引きカッパを着てゴム長靴でも寒かったんです。でも船内にはもっと寒い部屋が!
遠洋カツオ船はほとんどミッドウェイ沖(北)や赤道前後(南)付近までの航海です。
総トン数が59トン等の近海カツオ船は小笠原諸島辺りまで航海します。
私が乗っていた船は約300総トンです。航海は長くて2ヶ月でした。
全長は約50m、幅は7〜8m、内部は機関室、ブリッジまで入れて5階です。
上の写真で車との比較で多少はわかるかな?
デッキでは何とかキャッチボールが出来ます。船対抗戦のソフトボールもやります。
私もグローブを持ち込んでました。九州や外地での対戦試合もやりました。
ほとんどの船が船体は真っ白の化粧をしてました。
船酔いとカステラ
初め御前崎港から館山までは何ともなかったんですが、館山を出航して北東に進路を取った直後
ダウン! それから1週間は寝たきり状態でした。
死んでないか誰かしら毎日見に来ます。
人間は1週間飲まず食わずでも死なない事を実体験しました。出るものも出ない(御免なさい)。
8日目の朝ようやく慣れ、船頭(漁労長)が「カステラ」と「みかんの缶詰」を持って来てくれました。
それを食べ始めて、今度は死ぬほど嬉しかったのを覚えています。
その日以来、ケーキの夢まで見るほど毎日毎日甘い食べ物が欲しくなりました。
その当時の自分の航海日記には2ページに渡ってチョコや砂糖菓子等の食品名を書き込んでありました。
入港して水揚げが終わって、また翌々日未明には出航なので陸(おか)で最初に買って食べたのはケーキでした。
その初航海で、船頭が「おまえ運がいいなあ、最初の航海がミッドウェイ沖だから、
一番がぶる(=荒れる)ときに乗ってきた。これでどんな船でどこ行ってももう酔わないよ!」と
言ってくれました。
余談ですが、その翌々日出航した2度目の航海の途中、
6月6日(日)当時のNSB(現ラジオ日経)の番組「ぼくらのアマチュア無線局」で、
5月末の「沖ノ鳥島DXペディション(7J1RL)」が無事成功との放送をやってましたが、
まだ、この時は2航海目の見習いの身で、無線機(DC−701)などは持ち込んでいませんので、
歴史的ぺディション局7J1RLとの交信は出来ませんでした。
(船の無線機使えって?そりゃ違法です!)。
それ以後、のちに2千数百トンの船(国所有のお船)にも乗ってましたが1度も船酔いはありません。
小学5年で伊豆大島に4泊5日のキャンプ行った時乗った客船では行き帰り共みごとに酔った私でしたが。
どうやら甘い食べ物というのは船に慣れたか試すのに最適のようです。
船酔いしてる人に甘いもの食べさすと、吐きます。だからすっぱい梅干や(普通の)みかんを与える?
台風が近いので館山港に一時避難です
みんな館山に遊びに行ったんですが、私は船に残り写真撮ったりアンテナ碍子の塩チェックしたりしてました。
この日は大抵の船が「シケモヨウノタメヒルヨリハクチウ」なんて打ってます。
無線
さあ、無線室はブリッジ内の1階です。当時は通信の90%以上がモールスでした。
「船舶託送発受所」(タクソウ)と言ってモールスによる無線電報の発受信も業務です。
500トン以上の漁船では船舶電報取扱所として細かな扱いが違います。
年賀電報は正直いうと年内の相当早い時期に来てしまいます。
空中線電力は250W、電鍵叩くとフルブレークインなので無線室内だけでなく、
通路や外まで切り替えリレーの音が聞こえそうなぐらいガチャガチャとうるさいです。
これじゃサイドトーンモニターなんか要りません。
なんでフルブレークインかといえば、符号不明瞭のとき、ツーッとキーダウンしてやれば、
相手が送信中でもすぐ気が付いて再送できるからです。
送信周波数切り替えハンドルを回すとモーターでオートチューンです。
カージオイドの方探は実はほとんど中波のラジオとして使ってました。
本船は既に一般的なロランと当時最新鋭のオメガ(航法)の受信機が、
チャートルーム(海図室)に鎮座して利用していたんです。
チャートルームは操舵室のすぐ後ろにありますが、夜、操舵室が明るくならないように、
黒い遮光カーテンが貼ってあります。海図の順番があるので、勝手に引き出し開けると
怒られます。そのまた奥に船長、船頭の部屋があります。
オメガの送信所は日本では対馬に建設されました(現在はもうありません)。
今はGPSが使えますね。
それでも時々チョッサー(1等航海士)がセクスタント(六分儀)を使って測定することもありました。
中波の500kHzで海外の無線局と通信することもあります。
通信連絡設定(400kHz台の通信周波数にチャネル設定)までは略語とQ符号でいけますが、
ある事情があり、そのときの通信は英語でリアルタイムのモールス通信を4時間!
連続でした(頭の中は時々パニックに)。船頭が辞書を持ってベンチに腰掛けて見守ってました。
英語で打たナイト!?
アッパーデッキからアプラ港入港中
ああ、それでも高校のときからアマチュア無線でDX(海外局)とモールス交信やってて良かった!
入港時は船長経験豊富なパイラ(パイロット・水先案内人)がトランシーバ持って乗り込んできます。
10トンぐらい?のタグボート(曳船)のキャプテンと交信しながら接岸してもらいます。
一番手前が
若かりし頃の私です
乗組員の1部です。 右写真の後ろの船は鹿児島県串木野港所属の遠洋マグロ船(なわぶね)です。
この後、アガニャ球場で第1M丸(本船と同じ母港で同じカツオ船)とソフトボールの対抗試合をやったんですが、
全然整備されてなくライトを守ってるときに、タイムを掛けずに落ちてる空き缶を捨てようと、
拾って1塁線側に移動したとたん、相手のバッターが、ライト定位置に速いゴロを打ってきたんです。
間に合わず、打球を追いかけていったら、ボールはサンゴ礁の海まで一直線!
濡れながら返球した時すでに遅し、ホームランにしてしまいました。
普通ならライトゴロでアウトとれたはずが、
結局私のせいで負けてしまいました!(悔しくていまだに覚えてます)
なぜか、今、ソフトボール第3種公認審判員の資格も持ってます。Hi.
陸上の無線局(海岸局)
当時の普段の通信相手の海岸局漁協と県の2重免許
漁業用海岸局JFG静岡県無線局(当時)の局内です
一路 ポナペ近海へ向けて...
おもて(舳先・へさき)に小さく数名写ってます。一番手前に座っているのが私です。
(ほとんどわからない?Hi)。
水平線と雲たちが同心円上につかずはなれずしているのが、わかります。
ピッチング(進行方向の縦揺れ)が大きいと体が浮き上がった感じがします。
デッキは絶えず、海水散布しておきます。鮮度と魚のキズ防止等のためです。
写真には写ってませんが、左舷側には自動釣機が4台付いてます。
リモートスイッチひとつで勝手に1本釣を始めます。
始まると後ろ(デッキ)を通るのに勇気とタイミングが必要で慣れないとちょっとこわいです。
人が釣るのは全て左舷側で、右舷では釣りません。
とも(船尾)はベテラン達が座ります。
ともには自動釣機はありません。
航海
さて、カツオ船は夏から秋にかけては、まず九州は佐賀伊万里で餌の生きイワシを積み、
南方へカツオを釣りに(鰯は大バケツ400杯分余り)。
餌場
港外で停泊中
それ以外の季節は、まず千葉館山で生きイワシを積み東方はるか沖で(ミッドウェイ沖、非常に寒い)
ビンナガ(とんぼ)マグロやキハダマグロを釣ってます。たまにメジやシイラが掛かる事も。
生きた鰯を撒く専門の係りもいます。本船では1等航海士(チョッサー)が担当です。
航行中
少しだけうねりがあります
商売!
カツオは釣った途端に縞模様が腹に現れます。
釣ったカツオは鮮度が落ちないうちに−40〜−50度Cで急速冷凍します。
冷凍液はアンモニアです(設備は機関長と冷凍長が担当)。
操業は用語があって、釣るは「商売」、魚の群れを「なぶら」、なぶらを双眼鏡と魚探で探す事を「調査」。
サロン(食堂)の黒板に「明日から調査」と書いてあれば明朝から調査開始という意味です。
落水!(人が釣られた!)
南方でカツオを釣っていた時です。ともで釣っていた1等機関士がカツオに釣り込まれて、
落水してしまいました。大物が掛かり、漁師の意地でグラスファイバー製の竿を離さなかったのです。
ご本人は上の写真には写ってません。船は商売中は微速ですが走っています。
あっという間に、機関士は数百メートル後方の海上に。すぐにボンデン(浮き球:ビンダマ)を
とものだれかが投げ込み、ボンデンまでは泳ぎ着きました。そこからは30分以上漂流です。
船頭がメガフォンを使って大声で「泳ぐな!泳ぐな!、時々下を確認しろ!」と、
アッパーブリッジから放送しています。泳ぐと位置がずれるからです。下とは海中のことで、
サメに気を付けろという意味です。(サメに気を付けろって言ったって...)
ちいさな船ならすぐ回航できますが、本船では回航するだけで、数百メートル必要です。
結局舷側近くまで寄せるのに30分、その後救命浮環(浮輪:きゅうめいふかん)
にロープを付けてそれを持って機関員が飛び込み、救助に泳ぎました。
さあ、これで大丈夫とみんなでロープを引っ張ったら、なんとロープが切れてしまったんです。
今度は2人で漂流です。もう1度、救命浮環に今度はナイロン(クレモナ)ロープを付けて、
次はナンバン(ナンバー・ワン・オイラー:No.1 Oiler=操機長)が飛び込んで行きました。
落水後約1時間やっと3人共怪我もなく、無事に船上の人に戻りました。
ロープを引くのを手伝っていた私は、これが船なんだ、漁師なんだ、と感じていました。
お昼は毎日カツオ・マグロのサシミ
商売が始まるとその日からお昼は毎日カツオ(北に行くとマグロ)の刺身がおかずです。
毎日刺身なので、飽きないように薬味は使わず醤油には、生姜に代えてマヨネーズを混ぜます。
これはうまいです。同じように刺身マヨネーズ茶漬けも。これでどんぶり2・3杯いけます。
あと、「ガワ」というのがあります。氷水に味噌、ねぎ、カツオは頭から全部ぶつ切りまたはたたいて放り込む。
一種の冷製生味噌汁または冷製生スープといったところですが、これも美味です。
船にはアイスやアイスクリームを大量に積んでるのでデザート代わりや午後の休憩にアイスをよく食べます。
これが南方海上で食べると甘くておいしいんです!アイスの夢も見ました。
前後してしまいましたが、マグロやカツオの刺身。
コック長(司厨長シチュウチョウ)に頼んでおくと好きなとこ切り身にしておいて出してくれます。
カツオの切り身をファンネル(煙突)の所で天日干し、それをさっと焼いて夜食のおかずにもします。
ほとんどの船は1日4食です。5食の船もあるようです。まあ、夜はラーメンが1番多いですが。
マンボウを食べる
初航海のときの13日目、昼12時頃マンボウが浮いているのを発見。
まさに漫画のように、横になって昼寝してるようです。
モリでついて船に上げました。長さというのは相応しくなく、直径1メートルほどです。
触ってみると表面はざらざらで硬く、皮の厚さは3センチ位あります。
腹を割いて、肉、腸と肝臓を取り出しました。マンボウ本体は米を掛けてまた海に返します。
当然ですが、死んでいるので、しばらく漂っていましたが、そのうちに沈んでしまいました。
こうやって海に戻すと、その船は満船(大漁)になると言われているそうです。
肝臓から肝油を、肉と腸は炒めたり、煮たりして、
翌日と翌々日のお昼のおかずとして、コック長が出してくれました。
味はなんとも表現しようのない物でしたが、まずくはありませんでした。でも硬い!
だれかが、「人間の食うもんじゃない!」と言ってるのが聞こえました。
それでもこのときの航海は本当に満船でした。
南太平洋の(南緯10度前後)夕日です
航海中、とてつもなく大きな火球(UFO?)を観測しました。思わず月と夕日と両方出てるのを確認。
数秒間飛行を続け、突然消えました。色はオレンジ色です。
ひとまずここまでとします。
水揚げの事とかはまた続編へつづく(ほんとかなあ?)
To be continued!(?) Maybe!
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