「コンピュータで碁が打てないだろうか・・・」
先輩のそんな話を耳にしたのは大学の囲碁部のOB会の席だったと思う。今から十余年前のことである。その時は気にも止めなかったが、数年前、パソコンをいじりだしてから、ふと思い出した。先輩が頭に描いていたのはコンピュータを相手に碁を打つことなのか、画面上で誰かと碁を打つことなのか・・・。或いはもっと広く、コンピュータによって棋界を近代化することであったのかも知れない。
そんなことを思いながら分析してみると、囲碁に関わる作業工程、アマチュアの楽しみ方は意外に多く、かつ、伝統的であることに気がついた。
作業工程はまず打つことから始まる。碁盤を挟んで対局者が座る。時計係と棋譜をとる人が盤側を飾る。解説者と聞き手が、解かり易く参考図を示してくれる。次の一手はなかなか当たらない。
対局者の局後の検討では並べ直しがおこなわれる。途中で変化図がいくつもできて元に戻る。テレビでおなじの光景である。裏方は大変である。新聞、雑誌の記者はこれを記録し、何枚もの局面図と部分検討図を作り、解説を加える。一局の碁で一体いくつのシロとクロの丸を罫紙に写すことか。時々へんな所に石があるのも、作業を思えば容認できる。
アマチュアの楽しみ方も雑多である。大半が打つ、見るでおわる。上達しようと思えばプロの打碁を並べ、次の一手や詰碁、手筋など書物による学習も必要である。自分の打った碁を棋譜にとり、高段者に見てもらうこともある。遠隔地の愛棋家とは郵便碁でという楽しみ方もある。
そんな作業や楽しみ方をシステム的に捉えて少しだけ近代化してみたいと考え、技術者で好敵手でもある築地克彦氏と共に、パソコン用の囲碁ソフトの開発に着手した。完成したソフトでPC8801、FM7によるデモンストレーションの結果はまずまずであった。その過程で次のことに気がついた。
まず打碁である。やはり碁盤の上で打つのがいちばん、パソコンの画面上では興が沸かない。ただし、打掛け、打継ぎが可能であり、昼休みの好局を放棄する必要はない。何よりも棋譜がとれるのが強みであるが、第三者として棋譜をとる場合、アマチュアの着手の速さに追いつかない悩みは依然として残る。
救いはコウや中手の注書きが要らないこと、石が混んできても棋譜を書きかえる必要がないことだ。
写譜は手順を追わなくてもよいように工夫してあるから、誰にでも短時間で写せる。漏れも生じない。終われば並べる途中で「次の一手」が自由に設定できるから、上達にはもってこいだ。オリジナルな打碁集の作成もできる。自分の打った碁を打込んでおけば、数年後には棋力向上の軌跡が楽しめる。郵便碁は一度に何局でも管理できる。
編集作業はかなり楽になる。局面譜は何手目からでも再現でき、部分検討図も自由にプリントできる。シロ、クロの丸はもう書かなくてもいい。この囲碁ソフトが少しでも棋界のお役に立ち、先輩に喜んでもらえることを願うものである。
(昭和59年10月16日 日本棋院 週間「碁」掲載)
後記
このソフトの開発途上で、参考データとして江戸時代の棋聖、秀策の有名な「耳赤の一手」の局を入力したところ、コンピュータが、それまで白番、秀策の三目勝ちと伝えられてきたのが誤りで、実際には二目勝ちであることを発見した。その時の胸の高鳴り、確認のエピソード、関係者の驚きなどについては後日、改めて掲載します。