株式会社 法地学研究所
江戸時代初期、古郡三代によって富士川扇状地上端左岸に築かれたW型延長約2.7kmの雁がね堤。扇頂部を固め、富士市街地(下部)を今も守っている。中央の橋は東名高速自動車道富士川橋、下端はJR東海道線富士川橋。
日蓮宗実相寺のある岩本山から左側にのび、写真中央上の水神森まで約2.7km続く雁がね堤。左上に駿河湾が見える。
沼津市原の安泰山徳源寺にある古郡重高墓(左大)と重高の父安摩左金吾尉孫十郎重嗣の50回忌供養塔(右大、孫の古郡重政が建立したもの)
鎌倉時代初期の和田義盛の乱の加担した古郡一族は、敗走して都留郡内で全員自害し果てた。生き残った子孫が富士郡下に来て善徳寺城を守護したが,このとき和田義盛を祭ったものであろう。
雁がね堤 JR富士駅上空より雁がね堤と富士川をみる。2007年4月4日