青春の色はキツネ色



          

おまけ


翌日の宿毛砦幹部室。

コンコンッ。
室外からドアを叩く音に気付いて、高耶は先ほどまで睨みつけていた調査資料から目線を上げた。

「入れ」

返事と共に戸を開けて中に入ってきたのは、昨晩ぶりの武藤潮だった。
その姿を確認した途端、高耶は顔をほころばせて腰掛けていた椅子から立ち上がる。

「写真ができたのか、武藤」

実は仰木隊長、先ほどから潮が来るのを今か今かと待ちかねていたのであった。
ツカツカと歩み寄ると、潮が片手に持っていた写真の束とフィルムを差し出した。高耶はそれを大事そうに受け取ると、ズッシリと重い束を、一枚一枚丁寧にめくっていく。
そこには昨夜のままの、学ラン姿の直江と自分の姿が映っていた。その内のいくつかは、やはり近寄りすぎたせいか惜しいことに見事にピンボケしてしまっている。
しかし、それ以外は概ね綺麗に撮れている。
一通り見終わった所で、高耶は嬉しそうに微笑みながら潮を見た。

「おまえやっぱカメラ上手いな。よく撮れてるよ、おまえに頼んで良かった」

ニッコリと、滅多に無いほど愛想良く潮に笑いかける。しかし潮からの反応は無い。普段こんな高耶の表情を見ようものなら、「シャッターチャーンス!」とここぞとばかりにシャッターを切りまくるのだが、潮は未だ催眠状態なのでそれも適わない。
高耶は丁寧な手つきで備えつきの机の引き出しに写真を入れると、振り返って尋ねかけた。

「ところで岩内に頼んだ方はどうなんだ?」

その言葉に反応して、潮は懐に入れてあったもう一束の写真を取り出した。
その束を再び嬉しそうに受け取ると、高耶は感嘆の声を上げた。

「やっぱあいつって、写真写りいいよなぁ」

こちらの写真には、黒いTシャツ姿の直江の姿が映し出されていた。
先ほどの写真と違ってカメラと目線が合っていない。……つまり、いわゆる隠し撮り写真というヤツだ。
実はこれは、昨日高耶が岩内に依頼して、日中仕事に励む少年直江の姿を盗撮させたものであった。
幹部会議に出席する潮には頼めないので、広報部の人間を上手く利用してみせたのである。
満足そうに高耶は写真を胸に抱くと、

「岩内に後で礼言っておいてくれよ」

そう言って、パチンッと指を鳴らした。
その途端、潮の体がガクンッと前かがみに傾いだ。体勢を整えるために足踏みをして、顔がスイッと上がった時にはもう潮の顔は正気に戻っていた。

「……れっ」

焦点が合わない瞳をパシパシと瞬かせる。
やがて明確な像を成した人影を捉えて、潮は不思議そうに呟いた。

「おう、ぎ?」
「ごくろうだったな、武藤」

三秒ほど事態が飲み込めずに首を傾げていた潮であったが、高耶の声を聞いた瞬間思考が戻ったらしく、途端、みるみる疲れた表情となってゲンナリと肩を下ろした。

「……仰木、計画は上手くいったのかよ」
「おかげさまでな。いい写真が撮れたぜ、ありがとうな」
「そっか、そりゃ良かったな……」

潮は複雑そうな顔つきでアハハ、と力ない笑みを浮かべた。
高耶のためと思ってしたことではあったが、まさかこんな目に合うなどとは夢にも思っていなかった潮である。
実際、暗示に掛けられていた間のことはこれっぽっちも覚えていない。何があったのかもよく分からない。だからこそ、心境は複雑だ。

(まあ、仰木がこんだけ喜んでくれてるんだから良しとするか……。うん。そうとでも思っていなくちゃやってられない)

潮はそう心の中で自身を無理矢理納得させると、少しぎこちない笑みを顔に貼り付けて、高耶の肩をポンポンと叩いた。

「……それじゃあ、俺は行くよ」
「ああ、また今度な」
「うん。おまえ、あんまり無理するんじゃねーぞ?」
(今日はやけに血色がいいけどな……)

そんなことを心中で思いながら、潮はヨロヨロとした足取りで部屋を退室した。

ドアが閉まる音を聞くと、高耶は再び手元の写真に視線を落とした。
写真の中の直江は、中性的で涼やかな横顔を硬く張り詰めさせて、手元の資料を真剣な目つきで睨みつけていた。
次の写真は部下に命令を出す直江。その次は隊士が運んできたコーヒーを無表情に啜る直江。
次々と写真をめくりながら、高耶はウットリとため息を漏らした。

「アルバム、作らなきゃな……」

今朝は直江にああ言ったものの、やはり17の直江は魅力的だった。今の彼が一番良いことには変わりないが、昨日の直江の姿も、一生の思い出として大事に記憶に保管しておくのだ。

そうやって感慨に耽っていた時、高耶は一つの写真でめくる指を止めた。
マジマジと覗き込むと、そこには床に座り込む隊士に手を差し伸べて助け起こそうとする直江の姿が……。
だが問題はその隊士だ。遠目にもしかと分かるほど、隊士の顔が紅潮している。高耶はそこに、はっきりと同類の匂いを嗅ぎ取ったのだ。

(こいつ……っ)

こめかみをひくつかせながら次の写真を見ると、今度は直江に差し入れをする2・3人の隊士達。次は指示を仰ぎながらジジッと直江の顔を見つめる隊士。よく見ればさっきのコーヒーを渡している隊士も、端っこの方に小さく映る隊士も……!

ワナワナと震える腕をどうにか御し、高耶は机の上に静かに写真を置いた。見開かれた双眼には、ギラギラと燃え盛る悋気の炎が舞い踊っている……!

(こいつら皆、宿毛から強制左遷だあああぁぁーーーーッッ!!!)

口内に飲み込まれた絶叫が、かわりに全身から沸き出ずる紅蓮のオーラとなって幹部室を揺るがした。
仰木隊長は自分のことにはめっぽう疎いが、直江に関することは驚異的なほどに鋭かった。




直江は今日から通常の生活に戻った。体が元に戻ったのだから、これ以上室内に引き篭もっている理由も無い。嶺次郎や中川にも了承をもらって、普段どおり山と溜まった仕事に忙殺されていった。

しかし昨日の今日では、擦れ違う度に色んな人間から声を掛けられる。鬱陶しいことこの上ない。

「たちばな〜。なんぞね〜!もう元に戻っちまったんかい。まだまだ昨日のあんたのこと見てない白鮫の子がいるっちゅうのにさ〜」
「……それは悪かったな」

「ああ、橘さん。あんまり無理せんといてくださいね。原因が解明されていない以上は用心するに越したことはありませんから。それに仰木さんも怖いですしね……」
「……全くだな」

「つくづくおんしは人騒がせな男じゃな。おまんのような疫病神は赤鯨衆には必要ない。隊長の傍らにも相応しくない。とっととここから失せることじゃな」
「……勝手にほざいていろ」

「げっ、橘!……そのぉ〜、昨日はご苦労さま、な。まあおまえも大変だよな、イロイロとさ。でもさホラ、あいつってやっぱ放っておけないし。頼むよな、仰木のこと」
「……おまえもご苦労だったな」(同情の目)

「……ガルルルルルッ」
「…………」

そんな風に話を受け流し、黙々と廊下を歩んでいた時であった。

「あの、橘砦長!」

呼び声に反応して顔を上げると、、廊下の前方から何人かの隊士達が、バタバタと直江に近寄ってきていた。
見回すと、面々は宿毛の平隊士。つまり直江の部下ばかりだ。しかも何やら一様に興奮で頬が紅潮している。

「……なんだ?」

直江が不審げに尋ねると、中央にいた小隊長の青年が一歩前に出た。そして少し上ずった口調で話しかけてくる。

「砦長、ご無事で何よりです。我々宿毛砦隊士の一同、砦長のご帰還を心より嬉しく思っております!」
「……はあ」

別にどこにも行っていないのだが……、と心の中で思いながらも、ふと直江は気付いて呟いた。

「そういえばおまえは、昨日廊下でぶつかった……」

その瞬間、青年の顔がババッと赤くに染まる。

「そ、そうです。昨日は大変な失礼を致しました。憧れの砦長に間近で覗き込まれたもんですから、ついつい舞い上がってしまって……」

青年は熱く語った。そのなんとも言えぬ熱気に、直江は思わずたじろぐ。

「……そうか」
「ええ、砦長はどんな姿でも橘砦長です!我々はいついかなる時も、最後まで砦長に着いていきます!」
「そうです、砦長!」
「わしら砦長に一生着いてきますきに!」
「後方のことはわしらに任せてください!」

口々に直江に訴える隊士。以前とのあまりの豹変に、流石の直江も狼狽してしまった。

「あ、ありがとう。その心意気、各自の任務で示してくれ」
「「「はいっ!」」」

それでは失礼します!と、深く頭をたれてその場を離れていく隊士達の後姿を見つめながら直江は、似た状況ながらも昨日のそれとは比べ物にならないくらいに激しく愕然として呟いた。

「一体……何が起こったというんだ」
「随分な人気だな、直江」

かぶさるように背後からかけられた声があった。
驚いて振り返ると、そこにいたのは……。

「清正っ」
「久しぶりだな」

そこにいたのはお馴染み、学ラン武将・加藤清正。
その清正が検分するように直江の顔をまじまじと見つめている。

「どうした直江、顔色が悪いな」
「どうしたもこうしたも……」

直江は眉根を寄せて隊士達が歩いていった方の廊下を肩でしゃくる。
その意図を察して、清正は「ああ」、と頷いた。

「それにしても凄いじゃないか、宿毛の隊士達をたった一日で手懐けてしまった」
「手懐けた……?俺は別に何もしていないぞ」
「昨日のおまえの姿だよ。わしも遠くからチラッと見ただけだが、随分と雰囲気が柔らかくなっていた。普段のおまえは始終空気が張り詰めてて、取っ付きにくいったらありゃしなかったからな」

直江は首を傾げた。別に昨日だって普段と同じだった。どころか、高耶の冷たい態度を捉えちがえてピリピリしていたぐらいなのに……。

「外見の効果もあるさ。成人のおまえは一分の隙も無い感じがするが、やはり十代となると同じ人間でも受ける印象が違う。以前から信頼できる上司だと思っていたが、どうにも近寄りがたい=Bそう思っていた隊士達も、昨日のおまえさんと接して隔たっていた壁が崩れたんだろう。今や宿毛の隊士だけなら、おまえの人気は景虎に勝るとも劣らないぞ、きっと」
「……そういうものなのか」

そういえば昨日はやたらと隊士達からの面会が多かった。率先して自分のもとに集っているといった感じだった。
自分も外に出られないおかげで仕事が減って、隊士と交流を持つ余裕が無くも無かったのだ。
続々と来る隊士を見て、少年になってしまった自分が物珍しいのだろうと思い込んでいたのだが、まさかそんな理由があったとは……。

「ま、何にせよ今回のおまえの若返り事件は、景虎が喜んだ以外にも他にちゃんとメリットがあったようだな」

これで宿毛の結束は高まる。直江自身にとっても、信頼できる部下ができ、手持ちの駒が増える。
思わぬ副産物に感心していたのだったが、ふと直江は気づいたことがあった。

「そういえば清正。高耶さんからおまえに学生服を借りたと聞いたのだが」

そう直江が口に出した途端、ピシッと清正の表情が固まった。
それから恐ろしく渋い顔をして、疲れた声で直江に言った。

「……景虎に学ランは返さなくていいと伝えておいてくれ」
「どうしてだ?いらないのか?」
「あの状況でおまえらにどうやって使われるかなんて、ちゃんとわしは分かっているさ……」

直江は押し黙った。心当たりがありまくりだったので、何も言うことが出来ない。
思えば清正には以前、思考パターンを接触読心されたことがあったな……などと、よく分からないことを考えてみた。

「悪いな……」
「いや、いいさ。元より景虎に貸し出した時点で分かっていたことだ」

察するに、潮と同じく半ば強制的に略奪されたのだろう。しかも任意という形をとらせて。
それにしても……と、清正がボソリと呟く。

「よくまぁおまえ、あんな主君に四百年も仕えていられたな」

あんな傲岸不遜で臣下を人とも思わぬ主君、自分にはとても無理だ……と、顔を左右に振って見せた。
直江はジトッと清正を横目で睨むと、ふいに目を瞑って、そっと、小さく微笑んで言った。

「自分でも時々そう思うさ」

脳裏に思い浮かべるのは、他の誰でもない、愛しい人。
誰に頼まれたわけでもない。自分が生きたいと思ったから、あの人と共に生きてきたのだ。
長いようで、短いような。そんな四百年だった。今思えばあっという間だったような気もする。
この時が永遠に続けばいい。何者にも侵されることも無く、ただ、二人で生きていけたらいい。
四百年と言わず、五百年も、千年先も、何千年先までも……。
この、母なる大地が滅亡するその日まで、どこまでも行けたらいいと思う。

清正は直江の微笑を見て、今度こそあきれ返ったように直江を見た。

「おまえみたいな奴を見ると、成仏しないで良かったと思うよ」

清正の肩をすくめる様子に、直江は苦笑して薄茶の髪をかき上げた。

「死人冥利に尽きるな」
「何を馬鹿なことを」

フンッと鼻を鳴らすと、清正は踵を返して、

「あんまり人様に迷惑かけるんじゃないぞ。このオシドリ主従」

そう背中で言って、廊下の先を進んでいった。
直江はその様を目で追って、やがて見えなくなると、目線を窓の外に移して午前のまぶしい日差しに輝く木々の緑を見たのであった。



その後、浦戸本部の人事部にて、仰木隊長が一騒動起こしたとか起こさないとか。


〜チャン チャン♪〜



        
           






はい、これで本当に正真正銘完結。
ちょっとアクシデントでサイト開設が遅れて、
時間に余裕が出来たのでこんなモン書いてみました。
「直江信綱愛好会」様に置かせてもらっているモノのラストを、
詳しく付け足してみたんですが、どでしょう?

こうやって見ると、
やっぱ潮くんとキヨマっしゃんが可哀想ですね(笑)。
高耶さんは最後までコワレたままだったですし。
あと、心残りは楢崎くんを出せなかったこと。
赤鯨衆隊士の直江ファンと言ったら、
やっぱ彼が筆頭ですもんね!
私はナラッチ大好きなんで、いつか絶対に出したいです!

それでは、ここまでお読みいただいて
本当にありがとうございました!


2002/9/29



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