T 人口増加のために人類が宇宙へと旅立って早数百年。人間は次々と新しい宇宙航法を編み出し、太陽系から遥か遠く離れた星系まで驚くべき短期間で往来が可能になり、活動拠点、生活地として多くの植民星を手に入れた。 ここは太陽系にある人類の本拠地・地球から最新のワープ航法で六ヵ月かかる、現在最も遠い星・レルーア星。この星は半年程前に発見され、植民星計画が進行中の星である。 人間が生活するのに適正な地球とよく似た大気を持つレルーア星は、連合軍司令部のステーションが三箇所設けられている。そこに連合軍司令部から派遣されていた士官が反乱を起こし、新たに派遣された司令官が鎮圧したのは数日前のことである。その際に占拠されていた第一ステーションは、未だに騒然としていた。それもそのはず。反乱に加わった兵の総数は、ここ第一ステーションの兵士の半数にも上り、首謀者は捕らえられたものの、一般兵には何の音沙汰もなかったからである。 焦らされれば焦らされるだけ、結果が怖くなる。いつ沙汰が下るか分からないという見えない恐怖が、兵士たちの間に充満していくのにそう時間はかからなかった。 加担していた者たちは、欲に目が眩んだ己を恥じる者あり、部屋に篭って祈る者あり、こうなりゃ何でも来いと腹を括って開き直っている者、同僚に泣きつく者、司令官に媚を売ろうとする者、やけ食いに走る者、奇行に走る者、などなど実に様々である。 「こうなると、人の本性が現れるな」 と、司令室のデスクに肘をついて溜息をつく青年。まだ十八という年齢のこの青年は、数日前にレルーア星の司令官に着任した、上杉景虎大尉だ。 軍人である割に華奢ともいえるそのしなやかな身体に、濃灰色の上着が良く似合っている。その上着のグレーよりも濃い、漆黒の髪と瞳。司令室に積み上げられた捧げ物の数々――賄賂ともいう――を呆れたように眺める瞳は、戦闘中には強い意志を宿して輝く。たった数日前に見たばかりの惹き込まれそうな瞳を直江は心に思い浮かべる。 「仕方ないでしょう。あなたがあまりに焦らすものだから、加担していなかった者たちまで浮き足立ってきましたよ」 第二ステーションの司令室の副官用デスクから、最近ここの司令室の副官用のデスクに引っ越してきた男は、暗に「そろそろ潮時じゃないですか」と言ってくる。 景虎は献上品の山から視線を外し、軍人にしては温和な笑みを浮かべる男に目を向けた。 色素の薄い髪と瞳。景虎と同じ仕官の軍服を身に纏い、きっちりと黒のネクタイを締めたその姿は、禁欲的なイメージを見る者に与える。 第二ステーションの責任者であった三浦は、先の第一ステーション乗っ取りの主犯者の一人として、現在拘禁されている。よってその副官だった直江が責任者になるのが自然な流れだったが、景虎は第二ステーションから責任者がいなくなるのを承知していながら、直江を自分の副官として第一ステーションに呼び寄せた。 直江は今まで上官になった人間がどうして放って置いたのか知らないが、書類などの実務においても戦闘においても非常に有能な男で、多少仕官の配置に偏りができても、片腕にするのに指名して良かったと、景虎は内心満足している。(ちなみに、第二ステーションの責任者には、長秀の副官だった竹俣中尉が抜擢された) 「特に処罰するつもりもないから、焦らすのを処罰代わりにしたんだがな」 あれだけの人間、処罰する方が大変だ、と景虎は溜息をつく。 「いっそのこと何らかの罰があった方が楽だ、と思えるほど参っている者たちもいますよ」 「軟弱な奴らだな。かと思えば賄賂を貢いでくる奴らも数知れないし」 受け取ったんですか?と訊く直江に景虎は首を横に振った。 「この司令室の前に積み上げたり、オレの部屋の前に、まるで内気な女みたいに無記名で置いてあるんだ」 「無記名で、ですか?」 「ああ。初めの内は名前付だったんだが、オレが礼を上乗せして送り返してからは無記名になった」 一体どんな上乗せがあったかは、押して知るべしである。 「個人的に許してもらえなくてもいいから、少しでも心象を良くしようと思っての健気さと見えないこともないが、ここまで続くと腹が立ってくるぞ」 「何かあったんですか?」 かなりご立腹の様子の景虎はギッと眼差しを鋭くし、 「あった所の騒ぎじゃねぇよ」 ダン、と拳でデスクを叩いた。明らかに不穏な空気だ。それでも、聞かないともっと事態が悪くなると本能的に察知した直江は、景虎の話を促す。 「一体何が?」 「オレが私室にいると、決まって扉の外から微かな物音と人の気配がするんだ。誰か来たのかと思って外を見るだろ?ところが誰もいない。不思議に思って辺りを見てみたら、扉の外にいかにも不器用なヤロー共が結びましたって感じのリボンでラッピングされた可愛らしいプレゼントが置いてある。それに無記名の手紙が必ずついてんだ」 それがこれだ、と景虎はこれまた可愛らしい封筒を直江に投げてよこした。直江は景虎に目で促されるままに、封筒から手紙を取り出して読み始めた。 「これが昼夜問わず数十分おきに起こるんだ。さすがにこんだけやられるとオレも気になって差出人をとっ捕まえようと張ってたんだが、どうなってんだか、ちっとも捕まりゃしねぇ」 しかもプレゼントだけはしっかり置いてってやがる、と景虎は普段よりガラの悪い口調で悪態をつく。 一方、手紙を読んでいた直江はというと……実に形容しがたい複雑な表情を浮かべている。怒っているのか、笑うのを堪えているのか、困っているのか、実に判然としない微妙な顔だ。 「読んだか?」 ええ、と直江が頷く。 その手の中にある可愛らしい淡いピンク色の便箋には、下手な字を精一杯キレイに書こうと努力した、それでもやっぱり汚い字が並んでいる。便箋とマッチしない字面は、まぁこの際良しとしよう。問題は中身だ。その中身は、あの景虎をも十秒ほど石化させた素晴らしい物だった。 要約するとこうだ。先日第一ステーション奪回に来た景虎の活躍の様子が事細かに、まるで小説のように描写されており、それにいちいちコメントやら賛美の言葉やらがついてくるのだ。それも描写と言っても、銃の構え方から撃ち方、その時の体勢、表情まで恐ろしいほど事細かに描き出されているのだ。一体そんな情報をどこから集めてくるのか。過ぎたるは及ばざるが如し。それはもう感嘆を通り越して気色悪い。 「これがここ一週間、毎日毎日数十分おきに送られて来るんだぞ。それも全部違う筆跡で」 故意に変えた筆跡ではないそれはつまり、これが一人の仕業ではない、ということだ。 「このオレが徹夜で見張ってんのに捕まえれねーなんて」 不覚だ、と頬杖をつく景虎の目元にはうっすらとクマができている。 「内容は毎回違うときてるし、量がハンパじゃない」 ちょっとこっち来い、と手招きする景虎のデスクに直江が近づくと、景虎は両手で抱えるほどの大きな箱を差し出した。中は溢れんばかりの手紙の山、山、山。 「ここ四日くらいは、オレの最近の動向全部書き立ててくるようになった」 「読め」と促す景虎に従い、直江は適当に選び出したオレンジ色のチェック柄の封筒に入った手紙を読み始めた。 『P.M.10:30 司令室から私室へと戻る大尉。その足取りは普段のきびきびした足取りよりも幾分重く、目元にはうっすらとクマが見受けられます。寝不足でありますか?赤く潤んだ瞳は大変素敵ですが、やはり力の漲った毅然とした眼差しが一番お美しい。どうか睡眠はしっかりとお取りになって下さい。 お疲れのご様子でありますが、艶のあるさらさらな黒髪をかき上げる仕草や私室の暗証番号を入力するしなやかな指はとてもお美しい。おや、左手首に小さなほくろがあられますね。不覚にも今まで気づきませんでした。でもご安心下さい。このことはしっかりとデータに記載しておきますので。 大尉は部屋に入られる前に、しきりに辺りを見回しておられましたね。もしや私を探しておられたのですか?光栄であります。姿を現したいのは山々なのですが、自分ごときがあなた様の前に立てるはずがございません。本当に申し訳ありません。ですが、こうして自分はいつもあなた様の側におりますので。 そのように油断なく辺りに眼を配るご様子はとても凛々しくあられます。強い光を宿す漆黒の瞳。鋭い眼差しも大変素敵であります。 そして、大尉は小さく溜息を疲れてお部屋に入られました。扉がスライドして閉まる直前に見えたのですが、大尉は私室へ入られると、余程疲れていらっしゃったのか、そのままベッドへ横になられました。どうか着替えてからお休みになって下さいね。僭越ながら、自分が大尉の上着をクローゼットにしまわせて頂きたいと思ってしまいました。もし身の回りの雑用係が必要ならば遠慮なくお声をかけて下さい。 それでは、短いですが今日の所はこの辺りで失礼させていただきます。どうぞごゆっくりお休みなさいませ』 「…………ッ」 手紙を読み終えた直江の手が小刻みに震えている。手紙を持つ手に力が入り、便箋はよれよれになった。 (おまえらはストーカーか!) 思わず心中で直江は叫んだ。 ストーカー。数百年前から地球に出現した犯罪者の名称だ。それが犯罪として逮捕されるようになっても撲滅はならなかった犯罪の一つは、脈々と今も残っているようだ。 これで景虎を隠し撮りしたり、通信機に悪戯通信を送ったりすれば、立派なストーカーだ。(すでにれっきとしたストーカーだが) 「クソッ。そんなにオレを追い出してーのかよ。オレはぜってーこんな脅しなんかに負けたりしねぇからな!」 怒りのボルテージがマックスに達している景虎は、声荒く宣言する。 (これが……脅しですか……) これはどっからどう見てもストーカーの手紙だ。ストーカーといえば、自分の好きな相手をつけ回す輩のことだ。わざわざ嫌いな人間にこんな手間暇をかける物好きなど存在しないが、景虎にはどうも肝心なところが分かっていないようだ。 この行間から溢れんばかりに滲み出てくる行き過ぎな好意も、景虎には全く伝わっていない。それどころか、景虎には悪戯をも越えて脅しと取られている。これでは書いた方も報われないだろう。が、事情は分かっているが、そんな奴らに情けをかけてやるほど、こと景虎に関しては心の広さを持ち合わせていない直江は、彼らの暑苦しい想いをあっさりと無視して景虎の思ったままにしておくことにする。 「景虎様、この手紙は全て目を通されましたか?」 その不愉快な手紙を封筒に戻して箱に放り込んだ直江は、全身に不機嫌なオーラを纏った景虎に問い掛ける。 「いや、途中で嫌気がさして見ていない」 「ならば、それの処分を私に任せてくださいませんか?」 この場に非常にそぐわないが、直江はにっこりと笑んで見せた。 その申し出は景虎にとって願ってもないことだった。 「ああ。一刻も早くこの山をオレの目の届かない所へ持っていってくれ。―――間違っても長秀には渡すなよ」 景虎は怖い目でしっかり釘を刺すのを忘れない。 確かに、長秀なら爆笑しながら読み耽り、その後全員の前で朗読するくらいのことはしかねない。 「もちろんです。あいつに渡すとどうするか分かりませんからね(これ以上景虎様のプラーベートな情報を公開するわけにはいかない!)」 その直江の答えに満足したのか、景虎は珍しくにっこりと笑ってみせる。 (一体誰がこんな物を……調べておかなくては) 景虎の笑みに見とれながら、直江は堅く心に誓う。 ストーカー集団全員に恐怖のメールが届いたのはその日の晩のこと。たった数時間で犯人(ホシ)を全員挙げた天才的な手腕の持ち主の上官を守ろうとする決意は只ならぬものである。その夜、下士官と一般兵の生活する居住区で複数の絶叫が轟いたという。 U 「今日召集をかけたのは他でもない。先のステーション乗っ取り、及び報告書偽造の件についてだ」 全士官と兵士に召集をかけた景虎は、部隊ごとに整列した一同の前に立ち、開口一番にそう口にした。 途端、張り詰めた空気が辺りに満ち、その計画に加担した者もしなかった者も、一様に息を呑んで景虎を見つめる。 景虎の後ろに控える直江は、緊張に固まる全員に油断なく視線を配る。 「今からその処置を伝える。まず主犯であった第一ステーションの開崎大尉、結城中尉、第二ステーションの三浦中尉、以上の三名は、今回の報告書と共に本部へと護送し、指令を仰ぐことになる」 おそらく軍法会議にかけられることになるだろう、開崎、結城、三浦の三人は現在拘置房に拘束されている。 これは予想できたことだけに、皆張り詰めた息を吐くこともなく、声一つ上がらない。 「続いて、この三名に加担した九十四名の者達だが―――」 景虎は言葉を切って、不安そうな面持ちの数々を真っ直ぐに見据える。 思わず手を祈りの形に合わせる者も、全員が景虎に視線を向ける。 「処罰は―――なしだ」 一瞬の間の後、どよめきが漏れる。 安堵の溜息、喜びの荒い呼吸、取り越し苦労の疲れの吐息。中には、処罰を受けることを覚悟していた者もいるようで、肩透かしにポカンと口を開く者までいた。 しかし、しかし。景虎の表情は緩まない。 笑み崩れる輩を鋭い眼差しで一瞥し、待ったをかける。 「だが、こんなことは二度となしだ」 厳しい声音に、ピタリ、と喜び合う動きが静止する。 「地球にこんな諺があったな、「仏の顔も三度まで」。だが残念なことに、オレは仏じゃない。オレは、三度と言わず二度目は許さない。もし、ここにいる誰かが今度また同じようなことをすれば、軍法会議にかけるまでもない。……このオレの手で」 ――――殺してやる。 そう囁いた景虎の声は、静まり返った空間にやけに響き渡った。 後ろに控える直江には景虎の顔が見えない。でも、彼がどんな表情(かお)をしているのかは、何となく分かる。 唇に淡い微笑を浮かべ、これ以上ないくらいに研ぎ澄まされた眼差しで一同を見据える姿が、ありありと目に浮かぶ。 もし、今度同じようなことが起これば、景虎は一瞬の躊躇いもなく裏切り者の額に押し当てた銃の引き金を引くだろう。だが、その時彼は何を思うのだろうか。 (景虎様………) 全員が凍りついた様に景虎の顔を見つめる中、直江だけが、景虎の堅く握り締められた右手を見つめていた………。 *** 広い司令室に、カタカタと淀みない音が響く。 景虎は、司令官のデスクに乗っているパソコンのディスプレイを見つめながら、流れるような滑らかさでキーボードを打つ。 パソコンが発明されてかなりの年月が経過した。その間に小型化や高機能化など、様々な進歩を遂げてきたパソコンであるが、それなのにどうして未だ手動の入力をしているか、と疑問に思うかもしれない。実際、入力方法にはいくつかのパターンがある。声に出して認識させる音声式入力(これは短い文は良いが、長い文章になると喉に負担がかかるため、あまり使う者はいない)、使用者が頭に思い描いた言葉などを電気信号に置き換えて表示する方法(これはヘッドギアを装着しなけらばならず、その上ある程度の訓練をつまなければコンピュータに上手く思考を読み取らせることができないため、使う者は極稀だ)、また、人工知能を搭載している場合はそれに指令を送って文章化するなどの方法(これが最も多く使用されている)がある。だが、景虎は人工知能を介して入力するのがあまり好きではない。一度、宇宙船任務で乗り組んだ時、運悪く搭載した人工知能が狂ってしまい、危うく帰れなくなる所だったのだ。それ以来少し神経質になってしまって、使わないで済む時は出来る限り敬遠してしまうのだ。もっとも、人工知能が狂うなど、ほとんど在りえないというくらい珍しいことだったのだが。 と、いうわけで、景虎は手動で入力しているのだ。 そしてもう一つ珍しいことに、景虎はノンフレームの眼鏡を着用していた。視力が悪いわけではない。むしろ逆だ。最近の眼鏡は優れもので、疲れやすい眼を保護するためのものもある。景虎がかけているのは正にそれだ。 かなり長い間キーボードを打つ軽やかな音が響き渡っていたが、ようやく景虎は動かし続けていた手を下ろし、かけていた眼鏡をデスクの上に置いた。すかさず直江が熱いコーヒーを差し出す。 「終わりましたか?」 コーヒーカップを受け取った景虎が頷く。 「お疲れ様でした」と告げる直江に眼で返事をした景虎は、満足そうに温かいコーヒーを口にする。 景虎が打っていたのは、先の事件に関する報告書だ。直江が作成して景虎に提出したものを景虎が修正していたのだ。景虎と共に事件を解決させた直江が作成した物だから間違いはないはずなのだが、景虎はかなりの量、修正を施していたようだ。 一体何をそんなに修正していたんですか、と直江が、背凭れに背を預けた景虎の隣からディスプレイを覗き込んだ瞬間。 二人の左腕の通信機がピー、と独特の甲高い音を発する。幹部召集の合図だ。 景虎のデスクにある緊急時を知らせる赤いランプは点灯しておらず、けたたましい緊急警報は鳴っていないから、前回ほどの大事ではないのだろう。だが、何だか嫌な予感がする。 即座に飲みかけのカップをデスクの上に置いた景虎は、立ち上がる。 「直江、行くぞッ」 風のように司令室を出て行った景虎の後を追い、直江も管制室へと走り出した。 ドアロックに素早くパスワードを入力し、照合確認のピ、という音をたててドアが滑らかに開くのももどかしく、管制室に飛び込んだ。中では、通信部の吉江軍曹と中川少尉、堂森伍長が待機して二人を待っていた。 「何が起こった」 素早く中心の画面に眼を走らせながら景虎が問い掛けると、 「約十二分前に、所属不明の宇宙船がレルーア星の地表に不時着した模様です」 当直だった吉江が景虎の見つめているスクリーンを指し示す。 映し出されているのは、まだ荒い岩石の地面が剥き出しになっているレルーア星の地表に、銀白色の宇宙船が不時着している映像。戦艦よりは幾分小さめのそれは連合軍のものではない。 「あのような型の宇宙船は見たことがありません」 と機械に関しては腕前と知識に覚えのある中川。 「あれは、太陽系で開発された最新鋭の宇宙船SHV型だ。航行スピードは従来の1.5倍、新開発のワープ機能と20センチ口径のレーザー砲を搭載した、まだあまり流通していない物だ」 それがどうしてこんな所に、とは思わない。おそらくは開崎たちがルースを売りさばくために連絡をつけた連中だろう、と景虎はあたりをつける。 ルース。太陽系に程近い惑星で発見された、合金よりも何よりも強固で、加工に適した性質を持つ金属。宇宙船の材質に適したそれは重宝されたが、希少であり、価値が高い。それがこの星の地質に多く含まれていることを知った開崎たちは、偽の報告書を提出し、売りさばこうとしていたのだ。 「長秀、聞こえるか?」 景虎は第三ステーションの長秀に通信をつなげる。 「イエス・サー」 人前では敬意を払ってみせる長秀が、悪戯っぽく答える。 「あの宇宙船の所有者が分かるか?」 「現在検索中で、あと数分もあれば分かると思われます」 相変わらず素早いな、と褒める景虎に、光栄です、と優秀な部下を演じてみせる長秀。 「戦闘機F9型をいつでも出撃できるようにしておけ。もっとも、最新鋭にどこまで太刀打ちできるか分からないが」 景虎がちらりと隣を見ると、直江も全く同じ指示を第二ステーションの竹俣中尉にしている。 「アイ・アイ・サー。お言葉ですが、すでに優秀な部下が準備をしておりますので」 人を食ったような長秀の言葉は、こんな時でも余裕がある。と、長秀が手元のパネルを操作していたかと思うと、にっと笑みを浮かべて顔を上げた。 「所有者が分かりました」 通信を切った直江も長秀を見つめる。 「大友宗麟の部下、一万田鑑実」 あいつらも厄介なトコに持ちかけやがって、という楽しそうな小声の悪態が聞こえてくる。 その答えに、二人の背後の吉江と中川、堂森はサッと顔色を変えた。 「大友宗麟……っ」 レルーア星から最も近い、アスク星系の大物政治家だ。裏では色々やっているらしく、連合軍本部とも太いパイプを持っているらしいともっぱらの噂だ。しかも一万田は宗麟の腹心だ。おそらく、この件には宗麟自身も関わっているだろう。宗麟が関わっていることの何がマズイかと言うと、たくさんある。アスク星系は富豪の多い裕福な星だ。未だ開発途上のレルーア星の戦力的にも財政的、設備的、政治的にも敵にまわすのは苦しい。その上、大友宗麟を敵に回すということは一番近い星系の軍を敵に回すのに等しい。それが一番のネックだ。宗麟が本気になれば、地球から応援が来る前に(来るかどうかは甚だ不明だが)こちらを壊滅状態にすることも不可能ではない。 仕方ないな、と景虎が溜息をつく。 「まぁ、あの男なら、部下を叩きのめしても怒り狂うことはないだろう」 部下を殺されても逆上はしないだろうが、その後はおそらくルースを手に入れるために本腰を入れてくる。 「会ったことがあるんですか?」 すかさず訊いてくる直江。 ああ、と景虎は頷く。 景虎は、一度だけ宗麟に会ったことがあった。アスク星系に政財界の重鎮を送り届けるよう指令を下された時のことだ。 「終始しゃべらなかったオレの何が気に入ったのか知らないが、部下にならないかと誘われた」 「……断ったんですね」 受けていたらここにいるはずがない。 「もちろん。でもかなりしつこかったな」 景虎はそんなに気にしていない風だが、直江は内心怒りで引きつっている。 (この人を部下にしたい?) この誰にもへつらうことをしない、気高い人に。 誰よりも上に立つのが相応しい人に。 (自分の部下になれ?) そんな傲慢なことを考えるだけでもおこがましい。 直江の眉間に深い皺が刻まれる。 と、思考モードに入った直江を引っ張り戻すように、景虎が席を立つ。 「あんまりもたもたしてたら逃げられる。行くぞ、直江」 *** 今回の作戦も極めてシンプルなものだ。 『この星のステーションにある戦闘機であるF9型の1号機、2号機を使っての攻撃。3号機は逃げられた時に備えて待機。二機で攻撃を仕掛ける。 できれば生け捕りが好ましいが、生死は問わない。攻撃してきた場合は直ちに応戦すること』 これが今回の作戦だ。 迷彩柄の戦闘服に着替えた景虎と直江、堂森、染地他数名が1号機に乗り込む。3号機には長秀が乗り組んでいる。 染地が操縦する戦闘機の中で、景虎はレーザーガン(MGU)の調整をしつつ隣の直江に、 「一万田は、開崎たちが捕らえられたことを知っているのか?」 「それは分かりませんが、ここ十日ほど連絡が途切れたので、不審に思っているのは確かです」 答える直江のホルスターに収まっているのは、ステーションに備え付けてあるレーザーガンに中川が手を加えて発射速度を上げた、LGDWだ。ちなみに、先日直江が長秀から借りた景虎と同じレーザーガン、MGUは、今回は長秀も出撃するため借りられなかった。 「オレたちに気づいたな」 操縦席の画面に映し出される地上では、調査用に発掘したルースを積み込んでいた奴らが手を止めてこちらを見上げ、しきりに何か叫ぶ様子。 敵かどうか判断はつきかねないが、警戒しているといった感じだ。 攻撃してこないのはちょうど良い。最新鋭の宇宙船に攻撃されれば、いくらか装備の劣る旧型のこちらは圧倒的に不利だ。 「―――不時着と同時に攻撃を仕掛ける。全員位置につけ」 景虎が全員に声をかける。 大友方は人数も多い。奇襲で攻めるのが得策だ。 1、 3号機がほぼ同時に不時着する。 軽い衝撃。 「GO」 景虎の声に、一番手が、二番手が、次々に扉から飛び降りる。 一瞬反応の遅れた敵に即座に狙いをつけて引き金を引く。 辺りは一瞬にして戦場へと様変わりした。 レーザー音、呻き声、叫び、荒々しい足音。 総勢二十名が、大友に襲いかかる。 赤い光線が交錯する中、景虎はMGUを片手に一直線に宇宙船めがけて駆け出した。 「景虎様!」 景虎が、真っ先にこの危険な宇宙船を押さえておきたいのは分かる。分かるけれど、 (どうしてそうやって一人で……っ) 直江は内心責めながら、すぐさま後を追う。 景虎の実力を認めていないわけではない。ただ、ほんの数日前にも一人で無茶をした彼のことが心配でならないだけだ。 ロックされた扉の前で感じた、焦燥感。 開崎の腕に拘束されていた景虎。あの光景が目に焼きついて離れない。 彼がいなくなるかもしれないという不安。奪われるかもしれないという恐怖。間に合わないかもしれないという焦り。 カンカン、と硬質な靴音をたてて前方の景虎を追う。景虎は敵を出会い頭に打ち倒していく。こうも容易く侵入されるとは思わなかったのだろう。遭遇した相手は二人の姿を見とめて慌ててホルスターから銃を抜くが、それよりも先に威力を落としたレーザー光線が放たれる。 長い隔壁に囲まれた通路を、レーザーガンを隙なく構えて走る二人の来た道には、転々と倒した人間が転がっている。 「景虎様!」 ようやく足を止めた景虎に追いついた直江は、軽い安堵の息を漏らす。 「直江、しばらくの間援護しろ」 言うやいなや、景虎は一際大きく頑丈な扉――おそらくは、艦橋の入り口なのだろう――の開閉パネルに接触を始めた。 船橋や艦橋は、動力炉と並んで宇宙船の主要部であるため、侵入者に制圧されないよう、厳しいセキュリティが敷かれている。開くことができるのは、艦長、副艦長、操舵士、機関士、その他階級の高い者だけだ。それも、内側から開かない時は、登録された個体情報を入力しなければならない。関係者以外に開けられるわけはないのだ。 だが、景虎は自分の端末から開閉パネルに接続し、懐柔しようとしている。普通に考えれば無茶なことなのだが、直江は景虎ならばできると信じ、駆けつけてくる警備兵を倒していった。 P@――――! やがて、照合認知の電子音が鳴り響いた。 軽やかに扉がスライドして開く。二人は銃を構え、慎重に足を踏み入れた。 直江は銃口に囲まれることも覚悟したのだが、予想は外れ、広い艦橋には五人の人間しかいなかった。正面の椅子に腰掛けている中肉中背の男と、それを守るようにして控えている屈強な男が四人。 「お久しぶりですな、景虎殿」 景虎を見て、椅子に座っているトップらしい男が口を開いた。 「よもやこのような場所でお会いできるとは、思いもしませんでしたよ」 「それはこちらの台詞だ、一万田殿。開崎、結城、三浦を引き込んで、大友殿は何をなさるおつもりか」 そう言って景虎は一万田に銃口を向けた。俄かに殺気を帯びる警護の男たちを手で制した一万田は、銃口を向けられていることなど微塵も感じていないように笑ってみせる。 「それはあなたの方がよく分かっていらっしゃるのでは?ルースのような貴重な鉱物の存在を知った人間が、指を銜えて見ているはずはないということを」 「やはりルースが目的か」 「こんな辺境の星、他に得る物はありませんよ。義鎮様は、今度ケイサレート星の大統領選に出馬なされる。財源はあるに越したことがないでしょう?」 余裕たっぷりな一万田に、景虎はMGUの威力を殺傷レベルに上げた。 「そんなに死にたいなら殺してやらないでもないが、そうでなければ、さっさと部下を呼び戻して引き上げろ」 殺気を込めて低い声で言い渡す景虎に、一万田はまだ顔色を変えない。悠然と左手の時計を見やり、「そろそろだな」と呟く。 「何?」 訝しげに眉を顰めた景虎に、 「景虎様!」 背後から直江が叫んだ。 直江の示す眼前のスクリーンには、一機の戦闘機が映し出されている。それは、今回出撃させなかった第一ステーションの戦闘機F8型である。しかもあろうことか、F8型は、味方であるF9型を攻撃し始めたのだ。突然の激しい銃弾の雨に、白兵戦をしていた者たちは逃げ惑う。 「貴様、一体何をした」 景虎は、険しい眼差しで全てを知っているだろう男を問い詰めた。 「おや、あなたほどの人がまだお気づきになっていなかったとは。第一ステーションに私の配下の者を潜入させていたんですよ」 一万田の言葉と同時に、F8型から通信が入った。その画面に映し出された男は、 「長野!」 直江の配下の男だった。長野業正。第二隊を預かる少尉である。 直江は忌々しげに奥歯を噛み締めた。 (何たる失態だ) 最近部下になった者とはいえ、今まで気づかずにとんだ害虫を飼っていたものだ。気づかなかった自分に猛烈な怒りを感じ、拳を握り締めた。 そんな直江の心中も知らず、長野は報告を始めた。 「一万田様。開崎殿、三浦殿、結城殿を救出に行ったのですが、開崎殿は頑として拒まれて抵抗なされたため、動けなくし、三浦殿、結城殿だけをお連れしました。また、人質として中川少尉他二名を連れて参りました」 同時に映像が変わり、中川、楢崎、卯太郎の姿が映し出された。気を失わせた上、縄で拘束している。 「ご苦労。おまえはそこで待機していろ」 「分かりました」 そこで通信は終わり、元の画面に戻った。 「如何ですかな?景虎殿」 「き、さま……ッ」 眼差しだけで殺そうとするように、ギリ、と景虎は一万田を睨みつけた。 「銃を下ろしていただきたい。もし、私を傷つければ、三人の人質は儚い人生を終えることになりますのでね」 景虎はゆっくりと見せつけるように銃を握った手を開いた。同様に、直江もまた銃を捨てる。 「ルースを渡していただきますよ」 武器を捨てた景虎は、怒りを押さえるように一つ息を吐いて、 「ああ」 「そしてもう一つ。このせっかくのチャンスにあなたをみすみす逃すような真似をすれば、主君の怒りを買ってしまう。あなたにも来ていただく」 景虎と一万田の交渉を見守っていた直江は、その言葉に眼を瞠った。 「……何、だと……?」 そして次の瞬間には、猛烈な怒りが湧き起こってきた。いきり立つ直江を制し、景虎は「分かった」と頷く。 「景虎様!」 思わず直江は叫んだ。 自分の失態のせいで、景虎をみすみす攫われてしまうなんて冗談じゃない。多少の犠牲は出しても抵抗しようと心を固めた直江を止めるように、背後を振り返った景虎の眼と視線が合った。 (手を出すな。今はまだその時じゃない) そう言うようにかすかに首を振る景虎の眼に強い光があるのを見とめた直江には分かった。彼がまだ諦めていないことが。 「以前お会いした時に、主君はあなたのことが非常に気に入られたようで、事あるごとにあなたを連れてくるようにとおっしゃっていましてな。こうしてお会いできたのは丁度良かった」 べらべらと喋り続ける一万田を制し、景虎は短く言い捨てた。 「御託はいい。さっさとルースを積んで出発しろ」 *** 「これが現在発掘された全てのルースです」 全部で二百キロ余りの銀色の鉱物を自動機械が船内に運び込んでいくのを、直江たちはただ見つめることしかできない。周囲を武装した敵が取り囲んでいる上、景虎と人質を押さえられているからだ。 「もういいだろう?人質を解放しろ」 無事にルースが船内に運び込まれた見届け、景虎は横にいる一万田を急かす。 「いいでしょう。でも、その前に」 一万田は側に控えていた男に命じて景虎を後ろ手に縄で縛りつけ、ようやく三人を解放した。 「武器を持っていなくてもあなたは危険だ。申し訳ありませんがしばしの間我慢していただきたい」 それを見て顔色を変えたのは直江とその場にいた二十名だ。崇拝する景虎に犯罪者のように縛られる屈辱を強いることに猛烈な怒りを覚え、全員が拳を握り肩を震わせる。 (景虎様……。まだだ。まだその時じゃない) 今にも飛び掛っていきそうな己を必死で押さえ、直江は一筋に景虎に視線を注いだ。景虎の顔には、緊張も焦りもない。縛られていながらも、その眼には獲物を狙う猛獣の光が宿っている。 荷物の積み込みを終え、外に出ていた二十人ほどの警備兵たちが船に乗り込んでいく。一人、二人、三人………残り十人………残り七人。 一万田の後から屈強な男たちに囲まれて船に向かって歩かされていた景虎が身動ぎした。その身体を縛っていた縄がぱらりと解ける。それを見た直江は、同時にブーツの踵からナイフを抜き、景虎の背後の男に向かって投げつけた。 真っ直ぐに飛んだ銀色に光るナイフが、男の首の真ん中に突き刺さる。 「うっ……」 うめいて倒れる男には目もくれず、景虎は振り返った前の男の眼を隠し持っていたナイフで切りつけた。 「ぎゃぁーー!」 眼を傷つけられた男は、眼を押さえながら叫んだ。 それで背後の異変に振り返った一万田の首筋に、景虎はナイフを突きつけた。 「動くな!」 戦闘態勢に入ろうとする警備兵を一喝し、景虎はじりじりと後ろに下がった。 「景虎様」 走り寄った直江は倒れた男の装備していた銃をホルスターから抜き、片方を景虎に渡し、もう一丁を構えて銃口を船の入り口に向けた。 「形勢逆転、だな」 直江から受け取った銃を一万田に向け、景虎はニッと笑った。 「さすがだな、景虎殿」 以前その腕前を見ていながらしてやられた男は、苦々しく笑う。 「ルース二百キロはくれてやる。引き上げろ」 「……そうさせていただきますよ」 銃口を向けられたままの一万田はじりじりと後退する。それに続こうとした長野を止めたのは直江だ。 「おまえには残ってもらう」 背筋の凍るような笑みを浮かべた直江は、部下に長野と三浦、結城を引き渡した。 一万田を収容した宇宙船の入り口が閉まり、速やかに飛び立つのを、二人は見守った。 「大尉!このまま逃がしてもよろしいのですか?もし攻撃を仕掛けてきたら……」 上空で攻撃を仕掛けるはずだった三号機を引き上げさせ、最新鋭の宇宙船を無傷で逃がそうとする景虎に、部下たちは焦ったように問い掛けてくる。 「心配ない。安田長秀が攻撃管制を狂わせている」 船橋の入り口を開ける時にブレインに接触した景虎には、それが分かっていた。 「それに―――」 言いかけて口を閉ざした景虎に、周囲の者たちは不思議そうな顔になった。 「今はステーションに戻ることが先決だ。じきに分かる」 この時、景虎の顔に浮かんだ笑みの意味が分かる者は、誰もいなかった。 *** 「よう、お疲れさん」 第一ステーションの管制室に戻った二人に、第三ステーションの長秀から通信が入った。 「ああ、おまえもな」 人払いをしたために直江の他は誰もいないガランとした管制室の中央スクリーン正面の椅子に座った景虎は、背を凭れさせた。 「それにしても、おまえにしちゃ詰めの甘いやり方だったな。まさか無傷で逃がすとは思わなかったぜ」 こちらも人払いした第三ステーションにいる、付き合いの長い長秀には、今回の処置はかなり意外だった。今までの景虎は、手を出してきた奴らにはそれ相応の報いを手厚く送り返すのが常だったからだ。 「おまえは、オレが奴らをこのまま無事に帰すとでも思ってるのか?」 「いんや、全然」 からからと笑う長秀と対照的に、「帰さないんですか?」と訊いたのは景虎の側に佇んでいる直江だった。 「こんの意地の悪いヤツが大人しく見逃すはずねーだろ?こいつは、敵には容赦しねーんだからよ。相手にとっちゃ、鬼だぜ?」 で、今回は何を仕掛けたんだ?と楽しそうな長秀に、景虎は悠然と足を組んで答えた。 「船橋にMGUを置いてきた」 「MGUを?そりゃあいい」 愛用のレーザーガンを置いてきたという景虎に、長秀は手でも叩きそうなほど可笑しそうに笑った。 「MGUに何かあるんですか?」 訊いた直江に、景虎はさらりと答えた。 「あれには、自爆装置がついている。それも、五万トンクラスの宇宙船が吹っ飛ぶくらいのな」 なんて銃だ、と直江は心底思った。合金製の扉を軽く吹っ飛ばすあのとんでもない威力に加え、自爆装置までついているとは……。それを二人に渡した澤木提督の真意を知りたいような知りたくないような。――――まぁ、世の中知らない方が幸せなこともあるのだろう。 「でも、あんなヤツらにMGUをくれてやるのは惜しかったな」 呟きながら、景虎は手元のコンソールを操作し、先程飛び立っていった宇宙船SHV型 を画面に映し出した。 ワープしたのだろう。右下に表示される宇宙船の位置座標は、レルーア星から百光年ほど離れた位置である。 そろそろだな、と独りごち、景虎がまたコンソールを操作すると、船橋の映像が映し出された。 「一万田殿、聞こえるか?」 「景虎殿?」 いきなりの通信驚く一万田の姿が映し出された。 「今から十分後に、その宇宙船を爆破する。死にたくなければ逃げることだ」 「何だと!?」 突然の宣告に驚く一万田を無視し、 「Count Start」 景虎の言葉と同時に、スクリーンに数字が表示される。 10分、9分59秒、9分58秒………。 あちらのスクリーンにも同じカウントが表示されたのだろう。「一体何をした!」そう叫ぶ一万田の声が聞こえてくる。 「爆弾を積んでいるとも知らずに呑気に出発した自分を恨むんだな。……あと9分だ」 一方的に言い捨て、景虎は通信を切った。 画面は元に戻り、暗い宇宙に浮かぶ宇宙船の姿が映し出される。す 「さーて、奴さん無事に逃げられるかな?」 正面スクリーンの二分割した右側の画面の長秀は、意地悪く笑っている。 「あいつの判断力次第だな」 肘掛に掛けた右手に頭を預け、景虎は高みの見物だ。 たとえ無事に逃げられても、そこから最も近い星までは約十二光年。宇宙船ほどスピードの出ない脱出用鑑載艇で無事に帰りつけるかどうかは怪しい所だ。 3分28秒………2分43秒………1分36秒 「あと1分デス」 無機質な機械音が、残り時間を告げる。 画面に映る宇宙船から、二艘の艦載艇が猛スピードで発進する。 52秒………44秒………35秒………20秒……… シルバーのボディの艦載艇が、推進をかけて宇宙船から離れていく。 10秒、9、8、7、6、5秒、4、3、2、1、 「ゼロ」 景虎が呟くと同時に、宇宙船は閃光とオレンジ色の炎を上げ、爆発した。爆炎と宇宙船の破片が、二艘の艦載艇に降り注ぐ。 それを無感情な眼差しで見つめていた景虎は、傍らの直江を見上げた。 「――――オレが、怖いか?」 こんな風に、何の躊躇いもなく敵を葬ろうとするオレは……。 いくら敵とはいえ、こんなことを実行できてしまうオレはおかしいんだろうか。 そんな無言の問いに、直江はゆっくりと首を振った。 「怖く、ないのか………?」 「怖くなんてない」 どこか不安そうに聞き返してくる景虎に、強く、直江は否定した。 本当に残酷な人間は、自分がしていることを残酷とさえ思わない。あなたは、心のどこかで、敵に対して罪悪感を抱いている。仕方のないこととはいえ、それを実行する自分に嫌悪さえ抱いている。あなたは、自分が正しいと思い込んでいる軍人は思いもしない、悩みもしないことに苦しむ優しさを持っている。そんなあなたが怖いはずない。 直江は、景虎に腕を伸ばし、肘掛越しに抱きしめた。 「直江?」 驚いて眼を見開く景虎を胸に抱き寄せ、 「あなたは、優しい人ですね。普通の人間なら苦しくて逃げてしまうことも、あなたは受け止めて思い悩んでしまう。そして、それでもあなたはその苦しみを越えていく」 優しく髪を撫でる直江に、景虎は首を振った。 「優しくなんて、ない……」 こんなに無慈悲に敵を叩きのめす人間が、優しい筈はないのだ。それは誰よりも自分がよく分かっている。 自分を優しいと言う直江の方がよほど優しい。自己嫌悪に陥った自分を慰める気遣いも、こうやって抱きしめてくる腕も、とても優しい。 景虎は、自分を抱きしめる直江の腕に左手を重ね、直江を見つめた。 直江もまた景虎を見つめた。 視線が、熱く絡み合う。 その時。 「………お〜い、お二人さん。オレがいるってこと分かってんのかぁ?」 しばらく傍観していたが、すっかり二人の世界に突入してしまった二人の熱い空気に当てられて気力を失った長秀が、呆れた声を上げる。 せっかくの良い雰囲気を邪魔された直江は、不機嫌な声を出した。 「なんだ、まだいたのか」 直江の中では綺麗さっぱり忘れ去られていた長秀である。 「こういう時は邪魔しないのが筋ってもんだぜ?」 すっかりいつもの調子に戻った景虎が、直江の腕から離れながら悪戯な光を瞳に浮かべる。 「おめーらなぁ……」 これが長い付き合いのある戦友や同僚の言葉だろうか。 なんて薄情なヤツらだ、と長秀は心底思った。 V 「よう、直江。事後処理は進んでるか?」 第三ステーションから安田長秀中尉が自家用機でふらりと訪れたのは、大友の部下である一万田を撃退してから三日後のことだった。 エアポートまで出迎えに来た直江と連れ立って歩く長秀は、相変わらず着崩したジャケット姿だ。違うところといえば、茶色の長髪を束ねるリボンの色がグレーから紫に変わったことくらいだろう。 「まぁ、ある程度はな」 開崎たちの起こした前回の反乱事件、そしてその処罰なしの音沙汰を下し、そして起こった今回の事件。立て続けに騒ぎが起こったために、いくらかざわめいてはいるものの、第一ステーションはようやく落ち着きを取り戻し始めていた。が、 「なぁ、直江。どうして俺たちが通ると、こいつらはこんな大袈裟に道を開けるんだ?」 直江たちの姿が見えた途端、兵たちは顔を強張らせて通路の端にへばりつくように避けて道を開ける。こちらを見つめる瞳に怯えの色が見えるのは、錯覚ではあるまい。 「さあ、どうしてだろうな」 ワザとらしくとぼけてみせるこの男以外、誰がこの現況を作り出すというのだ? やれやれ、と心中溜息を漏らした長秀は、手近な空き部屋に直江を引っ張り込んだ。 「どーせおまえが元凶なんだろ?」 「…………」 大当たりである。兵たちが直江を異常なほどに避けるのは、何も二つの事件が原因ではないのだ。原因はただ一つ。熱烈な景虎ファン(ストーカー)の隠密厳重処罰のためである。 心当たりがありすぎるほどある直江は沈黙を通したが、それは肯定以外の何物でもない。 「大方、大事な大事なご主人様にちょっかいかける不届き者に噛み付いてやったってとこだな」 またもや犬扱いしてみせる長秀。 「忠犬してるねぇ。三浦の副官だった時は、これ以上ねぇってくらい職務怠慢してやがったくせに」 景虎が来るまで、第二ステーションで三浦の副官だった直江。与えられた仕事は着実にこなすが、必要以上に威張り散らして横柄な三浦を、いつも冷ややかな軽蔑の眼差しで見つめていた。長秀は、決して三浦に媚を売ったり馴れ合ったりしない直江が気に入って腐れ縁のような付き合いを続けてきたから、直江が上官というものに好印象を持っていないのをよく知っていた。いや、良い印象を持っていないのは何も上官だけではなかった。「権威」そのものをむしろ軽蔑していた。 「おまえは三浦に尻尾を振って生きていきたいか?」 「まさか」 誰がそんなことするか、と長秀は一言で一蹴する。 (そんなことするなら、景虎の部下になった方がマシだ) 決して仲が良いとは言えない二人だが、互いの実力は認めているのである。 だから、直江の言い分も分からないではなかったのだが。 「そうやっておまえがあいつを守ろうとするのは分かるがな。あいつは頭の上のハエくらい、自分で片づけるぜ」 今までだってそうしてきたのだ。軍人といえど、内部では権力闘争は耐えない。本部となれば尚更だ。様々な思惑や野心が交錯する中で、誰に頼ることなく景虎は自分の身は自分で守ってきた。 「それは分かっている。ただ、俺が彼の手を煩わせたくなかっただけだ」 「………余計な気遣いは、残酷かもよ」 腕を組んで隔壁にもたれた直江が、急に眼差しを鋭くする。 「どういうことだ?」 「どういうこともこういうこともねぇよ。そのまんまの意味さ」 長秀はドサリ、とベッドに腰を下ろし、上目遣いになって、 「野生の虎の世話を焼きすぎるなってことさ。野生の虎は誰にも馴れ合わないが故にサバイバルな世界で生きていけるんだ。王者として必要なのは、庇護や親しみの念なんかじゃない。――――畏怖と敵意だ。でも普通の人間はそんなまともじゃない感情に囲まれて生きていくことはできない。けど、それに真っ向から対峙できるから、あいつは「景虎」なのさ。謙信公に目をかけられ、今は後継者となった」 その能力は、本部でも賞賛と妬み、敵視に彩られてきた。景虎をこの星に左遷した原田大佐も、景虎が生意気で反抗的だから追い出したのではない。人を見る目にかけては定評があった原田には、確固として築いた己の権力を覆す可能性を秘めた景虎の能力が恐ろしかったのだ。 「あいつは必死で自分を磨いてきた。なまじ能力がある分見る目も他人よりも高かったから、自分の能力に物足りなさを感じてたのかもしれねぇ。「景虎」になるために、元から持ってた才能以上のものを手に入れるために、生半可じゃねぇ努力をしてきたんだ」 正直やりすぎじゃねぇかって思うくらいにな、と長秀は苦々しく吐き出す。 「………そうやって、自分を追い詰めて上り詰めて……、彼に安らげる場所はあるのか」 直江は眉間に皺を刻み、今まで見たこともないくらい怖い顔をしている。 「あいつの安らげる場所におまえがなりたい、か?」 「…………」 黙して答えられない直江に、長秀は大きく息を吐いた。 「あいつは常にバリアを張って、息苦しいくらいの警戒を纏って生きてきた。けど」 「本当に強ければ、バリアや警戒は必要なかったはずだ」 長秀は、自分が言おうとしていたことと全く同じだった直江の言葉に内心瞠目した。それは表に出さず、片眉を上げて直江を見上げた。 「そう、おまえの言うとおりだ。本当に強いなら、口さがない言葉や中傷なんかに傷つかない。表向きは平然としているように見えるが、内心は傷ついてボロボロになってた。そう見えねぇよう押し殺してるが、あいつは繊細なのさ」 張り詰めた警戒は、裏返せば弱さの防御に他ならない。 「そうやって傷を負いながらバリアを重ねに重ねて、鉄壁の防御を築いたあいつの中には生半可な覚悟で踏み込むべきじゃない。中途半端な優しさや庇護は残酷なだけだ。野生の虎は自分の身は自分で守る、それが当たり前だ。今まで必死で砥いできた爪や牙を鈍らせるだけの一時的な保護は、あいつにとっては」 命とりだ、と長秀は直江を睨みつける。 「あいつもそれを分かってるから、必要以上に他人を近づけない。ましてや特定の誰かを作るなんて持っての外だ。そんな奴が必要以上に近い場所におまえを引き入れたのが気になってしようがなかった」 「…………」 眉間に皺を刻んだまま押し黙る直江に、長秀は続ける。 「おまえは、あいつをどう思ってる?」 「――――誰よりも、あの人が大切だ」 強く言い切った直江に、長秀は姿勢を正す。 「中途半端な優しさ?そんな薄っぺらい寒気のするような博愛をあの人に押しつけたことはない」 直江は笑みさえ浮かべてみせる。 「あの人が任地を変えられると言うなら、俺もついて行く。どんな辺境の地だろうと、たとえ人事部から許可が下りなくとも、どんなコネや脅しを駆使してでもついて行く」 まぁ、橘の名を使えば、どうとでもなるだろうがな、と直江は呟く。 「あの人もそれを望んでいるんだ。あの孤独な背中は、いつも俺が追ってくるのを待ってる。いつだって待ってるんだ。背を向けても必ず追って来る確かな存在を」 俺はどこまでも、いつまでもあの人の側にいる。 言い切る直江の眼差しは見たこともないくらい真剣で、鬼気迫るような迫力に満ちていた。 (これが、あの直江か……) これが、あの、いつも穏やかで、高すぎる能力を注ぎ込む対象を持たないことに退屈を覚え、淀んでいた直江だろうか。 ふと、長秀はこの星に転任してきて、初めて直江に会った時のことを思い出した。 理性で防御した、能力は高いけど面白味のない奴。それが直江の第一印象だった。だが、階級章に捕らわれて権威に素直に従っている頭の固い奴かと思いきや、実際は正反対だったのだ。部下の能力を引き出すのが巧みで、上官を内心こけ下ろしながら褒め称えるのがひどく上手いというとんでもない奴。上官侮辱は結構重い罪だったから、もちろん面と向かっては言わないが、相手に分からないように貶すのが特技という、奇妙なアビリティーが長秀の好みだった。その上、長秀はそれと似たような特技を持つ人間を一人知っていた。 ――――上杉景虎。 数少ない、長秀の好みに合う人物。 上杉謙信の養子であり後継者と目されていた、ただ一人。 初めはいけ好かない奴かと思っていたら、蓋を開けてみたらあれだ。 強引で能力があって、人の上に立つのはこういう人間だ、という長秀のイメージと悔しいことにピッタリと一致していたのだ。「上杉」の名に負けない、親の七光りなんかじゃなく、常に高みを目指してきた景虎。 でも気に入ったからと言って馴れ合っていたわけじゃない。士官学校でも本部でも、よく喧嘩や手合わせをしては医者の世話になるほど衝突してきた。初めて会った時は取り澄ました坊ちゃん面が気に食わなくていきなり喧嘩を売ったし、二人とも本部勤務になった時に先に昇格したあいつが上官になった時には「上官面したいんだったら俺様に勝ってからにしな」と倒れるまで殴り合いもした。けれどやっぱり腹を割って付き合える親友であり、戦場ではこれ以上ないくらい信用できるパートナーや上官だった。 そんな景虎と直江、二人と出会って付き合ってきて、長秀は思った。 (いっぺん、こいつら会わしてみてェな) 長秀のひそかな願い。だが、それはこうして現実のものとなった。そんなわけで、景虎がここに来ると知った時、長秀は内心で直江が景虎に対してどういう印象を持つか興味を持っていたのだ。が、 天変地異が起こった。 人を寄せつけない景虎が自分の領域に直江を近づけ、人に関心を持たない直江が景虎にこれほどの想いを向けるとは。 全く人生は面白いものだ。人間ここまで変わるとは。 「誰が裏切っても俺だけはあの人を裏切らない。畏怖や敵意なんてまともじゃない感情じゃなく、あの人を想う俺の心で包み癒したいんだ」 外の世界に立ち向かう牙と爪を失わせたいんじゃない。そうじゃない。野生の虎にだって、安心して眠る場所は必要なはずだ。彼が安らげる場所。それになりたいだけだ。彼にとって警戒せずにすむ、疲れた身体を癒すための場所に。 真摯な表情の直江に、長秀はしみじみと感慨を抱いた。嬉しいような、寂しいような、めでたいような、くすぐったいような、微妙な感覚。 (こう、今まで面倒見てきたちっちゃい子供が、保護の手を離れて自立したって感じ?) だが、預かっているそいつらとお遊戯している姿をいざ映像にして思い浮かべると……正直かなり嫌だった。 (この俺が保父さん……いやいや、保父さんという言葉はもう古かった――……保育士、かよ……) しかも預かって育てるのが景虎と直江では、楽しくのほほんとお手てつないでちいちいぱっぱ、はありえない。実に心荒むというか、胃薬が欲しいような状況だ。 「………で、……がひで、……長秀!」 「ああん?保育なら他所をあたりやがれ!」 急にぼおっとしたかと思ったら相槌を打たなくなった長秀に、語りモードから引き戻された直江が不機嫌に何度も呼びかけたら、返ってきた返事がこれだ。直江は珍しく目が点になっている。それを見た長秀は、今までの楽しくない想像はどこへやら、けたけたと笑い始めた。 「長秀。さっきから一体何なんだ」 「いんや別に。こっちのこと」 ひらひらと手を振る長秀に、直江は心底疲れた顔をした。 無理もない。景虎様への熱い想いを切々と語っていた所でこの状況なのだから。 (まったく……) 深々と溜息をついた直江ではあったが、この場を去るわけにはいかない。一つ重要なことを訊かなければならないのだ。 「長秀、一つ訊きたいことがある」 「何だ?」 「どうして景虎様のことをそんなに知っているんだ?」 これである。たとえ話の途中で笑い出したことを水に流しても、これだけは譲れない。 鬱陶しいほど暑苦しい直江の視線に、長秀は悪戯心を酷く刺激された。 「そりゃ、あいつと一緒に暮らしてたからに決まってんじゃねーか」 ピシリ―――ッ。 セ氏マイナス数十度の氷が一瞬にして張られた音が確かに聴こえた。 予想以上の効果に長秀は内心小躍りしながら、表面はなに当たり前のこと訊いてんだ?という風を装う。 「色部のとっつあん、おまえも知ってるだろ?謙信公の元部下で、今も宇宙船の艦長やってる」 直江は凍りついたまま返事をしない。長秀はそれを気にする風もなく、話を続ける。 「景虎は3コ飛び級してただろ?そんで俺が1コ。他にダチに柿崎晴家って奴がいて――こいつは飛び級してねーんだけど――月(ルナ)にある士官学校で俺らは同期だったわけよ」 何だかんだ言って、長秀もかの難関な士官学校でスキップするほど優秀なのである。 「そんでまぁ、三人一緒に卒業したわけだ。そしたら偶然、三人とも本部勤務になっちまって、そん時に謙信公の部下だったとっつあんが三人で住めるトコ見つけてくれて、三年間一緒に暮らしたんだ。でもよく考えたら、士官学校の頃からあいつらとは一緒だったから、かれこれ六年間か?……晴家もあんなつまんねぇ本部に見切りつけて、こっちに移ってくればいいのにな」 柿崎晴家は、現在連合指令軍本部の通信部に所属する大尉だ。ことあるごとにねちねちと嫌味を言う上官の元で、よくぞ頑張っていることだ。彼女とは所属は違うが、景虎と同じ部だった長秀は、原田大佐に嫌気がさして、左遷という形でこっちに移ってきてしまった。でも、一見事件もなさそうな辺境の星だが、直江もいれば景虎もいるここでは最近は面白いことも多く、意外に日々楽しい。 思い出に耽りかけた長秀がふっと直江に目をやると、 (お〜、回ってやがる) 無表情な直江だが、目に焦りが見える。こんな時、直江が内心ぐるぐると回っていることを長秀は知っている。 (もういっちょ) 「直江、知ってっか?あいつ士官学校で習うグラフィックの才能なくてよ。他は戦略の立案でも航行計算でも何でもできんのに、それだけはガキの下手な絵みてーなの。……まぁ、あんまし必要な科目じゃなかったけどな」 景虎は、士官学校の中学年で学ぶ艦の立体図やら見取り図やらの作成が酷く稚拙だった。どうやら、美術系に弱いらしい。 「そんで教官に何回もやり直しさせられて、しまいにゃ唇噛んで泣きそうになってたから、俺と晴家がこっそり代わりにやってやったりとかしてたな」 士官学校の中学年といえば、普通十五、六歳くらいにあたるが、スキップしていた景虎は当時十四歳だった。自分よりも年上とはいえ、同級生が上手くやるのが余程悔しかったのだろう。進級してグラフィックの講義がなくなってからもずっとグラフィックの練習を積み重ねてきた景虎は、現在では結構上手くなっている。 これでどうだ、と悪戯を仕掛けた子供のように、長秀は直江の反応を窺う。 ピクリ、と直江の指先が動く。 ―――ピシッ。……ピシピシ。 それと同時に氷結に亀裂が入っていくのを長秀は目の当たりにした。 (おっ……?) と長秀が思ったその瞬間、 直江は凄まじい速度で部屋を飛び出していった。 (行き先は……景虎んとこだろうな) どうせ頭の中は、(景虎様、今行きます。俺は決してあなたの側を離れない!グラフィックでも何でも俺に任せて下さいっ!)なんだろうなぁ、と思いながら、長秀は髪をかき上げる。 と、直江が立っていた辺りに、一通の手紙が落ちているのを発見した。 オレンジ色のチェック柄の封筒を、長秀は拾い上げた。景虎宛てだ。 (ラブレター?まさかな) 男所帯のステーションでそんな物があったら怪談話以外の何物でもない。 長秀は封筒から取り出した手紙を読み始めた。 『P.M.10:30 司令室から私室へと戻る大尉。その足取りは―――…………。』 空き部屋であるその一室に、長秀の笑い声が響き渡った。 その後、長秀がこれをネタに景虎をからかい、景虎がそのことで直江を怒鳴り散らしたことは言うまでもない……。 THE END. |