ああ……直江……。
直江……。
あたたかい……。
とてもあたたかいよ……。
おまえがいなくて……ずっと、ずっと寒くて凍えていたけど。
死とは……思ったよりずっと暖かいものなんだな……。
もう、おまえがいない夜の寂しさに、たえることもないんだ……。
おまえがいない苦しみを、もう、感じることもないんだ……。
もう……二度と。
椿は、もう咲いてしまったよ……。
おまえとここに暮らしていた頃、ふたりで苗木を植えた寒椿。
花開くのを、あんなに楽しみにしていたのに。
その花を見る前に、おまえは旅立って行ってしまった……。
雪の中で咲く椿を、ひとり眺めて……。
この花を、おまえと一緒に見たかった。
白に埋もれるその赤さを、ふたり共に愛でたかった。
ああ……。
流れおちる血が、まるで雪原に散り落ちた椿のようだ……。
斬られるように、あっけなく散っていく落椿。
それでも、来年にはまた、おまえは美しい花を再び咲かせることができるんだ。
もう、オレは、これきり最期だけど……。
──高耶さん。
おまえの声が聞こえる。
これはまぼろしか。さっきの幻想の続きなのか。……それでもいい。
それでもいいから、もっとおまえの声を聞かせてくれ。
──高耶さん……どうして……。
直江……どうして泣いているんだ。
どうしてそんなに悲しそうな顔をしているんだ。
泣かないでくれ。おまえが泣く必要はない。オレは、本当に幸せだった。
おまえと一緒にいられて、幸福だった。
直江の指が頬に触れる。
流れ落ちた涙の跡をやさしく拭う。
高耶はゆっくりと瞼を開いた。
淡く霞む視界が、まぼろしの男の線を結ぶ。
はぜる炎が、横顔を照らす。
青白い唇を開いて、
そして……。
「なおえ……」
手の平のぬくもりを感じる。
「戻ってきて……くれたのか……」
淡く微笑みを浮かべる。
抱きしめる腕に、力がこもった。
頬を濡らす涙までもが、あたたかい……。
「泣くな……」
かすれる声で、小さく囁く。
「泣くな……直江……」
ゆるゆると傷ついた右手を上げて、男の頬に添えた。
「笑って……」
笑ってくれ……。
「最後なんだから……」
潤む両眼から、涙があふれる。
ああ……とまってくれ、涙よ。
お願いだから。
最後に、別れを言うのだから。
「死なないで……」
高耶の身体を抱きしめながら、子供のように首を横に振る。
「俺を置いていかないで……」
髪に顔を埋めて、溢れ落ちる涙が後を絶えず降りそそぐ。
「逝かないで……」
嗚咽の合間から、直江の言葉が届く。
直江。
直江……。
終わりじゃない。
これが終わりじゃない。
その想いが本当なら、結ばれた縁は尽期の先まで続いていく。
たとえ一度ふたりの道は別ちても、その先の場所は必ずある。
想いは永劫を生き続ける……。
もう、オレは二度とおまえを疑わない。
信じ続けると。決してたがえることはないと。
だから、約束しよう。
もう一度約束しよう。
ながの別れにはならない。互いの想いの永劫を誓い、二世の契りを結ぼう。
そうすれば必ず再び逢えるはずだ。いつになるかは分からないけれど、想いは綿々として大地に残り、尽きることなく歴史を紡ぐ。
たとえそれが遥か千年の先だとしても、出逢えばきっとわかりあえる。
こんなに愛しているのだから……。
だから、笑ってくれ。
次に出逢う時まで、その笑顔が瞼に焼きつくように。
そうすれば、一生忘れない。
おまえと共に生きた、そのかけがえのない日々を……。
さぁ。だから……。
「直江……」
まばたきもせずに見つめあいながら、命の名を、その唇につむぐ。
「ありがとう……」
ありがとう……直江。
オレに、本当の幸福を……与え続けてくれて。
いまオレはこの地上の誰よりも、この上なく幸福だ……。
「高耶さん……」
愛しい男を、その眼に映し。
美しく、万感の想いを込めて微笑する。
いままで終生抱き続けてきた、すべての想いをこめて。
最後の言葉を呟いた。
愛してる……。
告白は夜のしじまに小さく溶けて、高耶は永き、やさしい眠りについた。
身体中にあたたかな男のぬくもりを感じながら。
──終わりはやってこない。
想いがそこに残るかぎり、新たな生命が必ずや生まれ出ずる。
それまでの、少しの別れだ。
ただ一人を信じ続ける心が、歴史上の何ものも及ばぬほどの奇跡の力を持つことを、
世界中の全存在に、オレたちが証明しよう……。
そのときまで……。
さよなら、直江……。
天に在りては 願はくは比翼の鳥となりて
地に在りては 願はくは連理の枝とならん
直江が遥か未来、“約束の時”を迎えた、その時。
願わくば、幸福な奇跡が訪れることを、心から祈って……。
2004年6月15日 二人に捧ぐ