古代史空想ロマン


山岸 涼子

日出処の天子


白泉社:花とゆめCOMICS「日出処の天子」第1巻〜第11巻参照。
初出は、白泉社:雑誌「ララ」に1980年から1984年にわたって連載。
角川書店:山岸涼子全集1〜8及び9「馬屋古女王」参照。角川版の山岸涼子全集1
の初版は、1986年3月。


「日出処の天子」とは、言うまでもなく古代飛鳥
時代の偉人として名高い「聖徳太子」のことであ
る。もっとも、「聖徳太子」という呼び名は、後
の人々が付けた尊称であり、生存中は「厩戸皇子」
と呼ばれた。この厩戸皇子が生まれたのは敏達3
年(574年)であり、推古女帝の即位に伴う
抜擢により事実上の摂政として国政に参画したの
が、太子19歳の593年のことであり、それ以
来、「冠位12階」を定め、「17条憲法」を発
表して意欲的に政治・行政改革を進める一方、仏
教文化の摂取普及に努めた古代大和朝廷のいわば
中興の祖である。

「日出処の天子」とは、607年に中国の隋に
公式に派遣した第1回の遣随使・小野妹子に携えさせた国書の冒頭に、
太子が「日出処の天子、書を日没処の天子に致す」と書いたところから
来ている。

山岸涼子の比較的初期の傑作「日出処の天子」は、太子11歳の頃から始
まり、この国書を書くところまでの約20年間の「聖徳太子物語」である。
従って、それ以降太子が622年2月22日に48歳で亡くなるまでの晩
年の15年間の物語は、池田理代子の「聖徳太子」に譲る。
山岸作品の「余りにもマンガ的な」太子像については、評価は大きく二
つに分かれるように思われる。一つは、もちろん批判的・否定的な評価で
あり、もう一つは作者の一種独特な感性からくるスト−リ−構想の面白さ
を肯定的に評価するものである。

否定的な評価の理由は、いくつかある。

  @ 太子が、非現実的なエスパ−(ESPer/extrasensor perception
を持つ者・いわゆる超能力者)として描かれているため、歴史的実在
の人間が空想的な虚構のキャラクタ−に捏造されているという批判が
ある。
この点については、作者の全くの捏造というわけではない。平安時代に書
かれた「聖徳太子伝暦」などの太子伝は、太子信仰に基づく怪異談で埋め
つくされているとからである。(武光誠著「聖徳太子−変革の理念に生き
た生涯」社会思想社・現代教養文庫、1994。21頁参照)作者がそうした
後世の伝説的な太子像を参考にしながら描いたことは十分想像できるし、
またこうした脚色はマンガだからこそ許される虚構でもあろう。事実、こ
の点については、作者自身が、作中人物の「妖気」を問われて、次のよう
に語っている。
「読者へのサ−ビスとしても美しく書かねばならなかったのです・・」

(NHK編・歴史への招待第4巻「聖徳太子と蘇我一族」日本放送出版
協会、1989。58頁参照)


従って、この作品は、歴史物語として読むとその虚構性が目立ってしま
うので、歴史物語のスタイルをとったファンタジック・ヒュ−マン・スト
リ−として読むべきであろう。

A 太子を同性愛者として描いているのは、太子の品位を汚す「けしから
ぬ」行為であるという倫理的批判がある。
確かに、この作品では厩戸皇子と蘇我毛人との超能力的霊感による同
性愛的交流を中心に物語が展開されるが、太子が同性愛者であるという
解釈は、何の根拠もない。これは完全に作者の創作であろう。因みに、
池田理代子「聖徳太子」では、同性愛は全く描かれず、太子と毛人との
関係もそれほど親密な関係ではなく、むしろ対立的関係として描かれて
いる。池田作品では、太子と小野妹子との間の霊的交流が描かれる。
いずれにしろ、美少年系の同性愛的雰囲気は、1980年代の少女コ
ミックの一種の流行と考えられるのであり、作者の「サ−ビス精神」の
発現と考えた方がよさそうである。それが「けしからぬ」のかどうかは、
マンガに何を求めるかの問題であろう。

B 山岸作品では、蘇我毛人とその妹である刀自古郎女との近親姦とその
結果、太子の子として生まれた山背大兄皇子の存在が、物語の展開上、
重要な位置を占めているが、これらの人間関係は余りにも突飛な想定
であるという批判がある。
因みに、毛人と刀自古郎女とは同母兄妹として描かれているが、池田作品
では異母兄妹とされている。どちらが正しいのか、正確には判らないが、
恐らく異母兄妹説の方が通説であろう。だとすれば二人が仮に男女の関係を
持ったとしても当時にあっては倫理的に批判されるところではない。
しかし、山背大兄皇子がその二人の子供であることを承知していながら、
太子が自分の子供として育てたとする山岸作品の想定は、確かに「マンガ的」
である。

以上の他にも、このマンガに描かれる聖徳太子像は、歴史学が明らか
にしている太子像と大きく異なっている点が多々目につく。例えば、太子
が女嫌いで、結婚しても妃に指一本触れなかったとか、早くから政治の中
枢にあって、裏で皇位継承すら操っていたというような解釈である。実際
には、太子には生涯で4人の妃があったし、8人もの子供をもうけている。
また、太子は皇族としては傍系に属するのであり、推古女帝の時代にあっ
ても太子は、蘇我馬子とともに推古天皇の「補佐役にすぎなかった」ので
あり、朝廷の中で名実ともにようやく皇太子として認められるようなった
のは、607年頃であると考えられる。

(前記、武光誠「聖徳太子」89及び93頁参照)


こうした歴史的な事実という視点だけから言えば、このマンガには余り
にも欠陥が多い。だからこれを「歴史物語」として読むことは出来ないし、
またその必要もない。マンガは決して事実のみを描くものではないし、ま
た事実を描けば面白いかというと、必ずしもそうではないからである。マ
ンガの真情は、第一に面白さにあると思うし、このマンガは一種のファン
タジ−として読めば、実に面白いのである。現実のドロドロした人間関係
や権力闘争やその結果としての陰謀、凄惨な殺し合いといった人間ドラマ
が、何とも美しいファンタジ−に昇華させられているのだ。そのため、こ
のマンガには、暗さも陰惨さもなく、嫌みもない。超能力や霊的交流や近
親相姦といった非日常的世界の雰囲気を美しく(少女マンガ的に)描くこ
とで、そうした暗さや陰惨さを消し去っているのである。しかも次に何が
起こるか期待を持たせるスト−リ−展開になっているから、つい読者はそ
の不思議の世界に惹きこまれてしまう。
これは、「雰囲気を楽しむ」という少女マンガ特有の特徴を持ったマン
ガとしては、かなり上質の作品であると思う。



E-mail:moon@wing.ncc.u-tokai.ac.jp


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