谷口ジローの人生論マンガ


東海大学新聞1997年7月5日号 掲載


          「日常性の中の感動を描く…谷口ジローの人生論マンガ」
・・・・「立派な文学作品だ」

一九六十年代後半から七十年代に登場した永島慎二の「フーテン」や、
つげ義春の「ねじ式」、あるいはまた林静一の「赤色エレジー」といった
人生論マンガは、どちらかというと社会の底辺に生きる貧しい人々の生き
様に共感を寄せた、従ってどこか心寂しい哀愁を漂わせた作品が多かった
のであるが、日本社会が高度経済成長を遂げて以来そうした人生論マンガ
は久しく途絶えていた観がある。二十数年の歳月を経てバブル経済崩壊後
に再び登場した人生論マンガの主人公たちが、もはや貧しい人々ではなく、
ごく普通の一般市民であったのは当然の成り行きであったろうが、しかし、
それだけにごく平凡な市民生活を通して深い人生論を語るには、それなり
の現実を見据える確かな視点と豊かな表現力が必要条件である。その点で、
谷口ジローの人生論マンガは、その条件を十二分に満たした優れた作品と
なっている。
一九九一年に描かれた「犬を飼う」は、ただ飼い犬の老衰していく姿と
それを懸命に看護する若い夫婦の交情を淡々と描いたものに過ぎないのだ
が、それがジーンと心に響く感動を呼ぶのは、そこに生命への尊厳と死の
哀しさとが的確に表現されているからである。また「欅の木」は、老夫婦
が定年後に移り住んだ郊外の家の庭に残る欅の大木一本の話(内海隆一郎
原作)に過ぎないが、それを自然と人間との心の触れ合いにまで深めた感
動的な絵物語に変えてしまう作者の力量は賞賛に値する。さらに「父の暦」
では、父親と息子の間に何となく出来てしまったわだかまりの感情を中心
に家族の絆の問題が描かれる。父の死によって初めて父親の優しさ、悲し
さを悟り、そして永年父親に心を閉ざしてきた自分を悔いる主人公の涙は
和解の象徴である。これによって私たちは、息子にとって父親とは何なの
かという普遍的な問題について考えさせられる。
このように九十年代以降の谷口作品はごく普通の人々の平凡な日常性の
中に積極的な人生の意味を見出し、ありふれた生活描写のコマを丹念に積
み重ね、しかも叙情性たっぷりの絵とあいまって静かな感動を呼ぶ。従来
私小説が得意としたこれらの日常性の中の感動をマンガという表現手段に
よっても表現出来ることを証明した谷口の人生論マンガは立派な文学であ
ると言えよう。



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