MATSUMOTO TAIYO

松本大洋「日本の兄弟」

--天翔ける心象風景


(東海大学新聞98年6月5日号掲載)

松本大洋という人は、ちょっと変わった傾向の特異なマンガ家
である。彼は、九十年代に入っての例えば『青い春』や『鉄コン
筋クリート』、そしてここに取り上げる『日本の兄弟』などの作
品において、その絵柄といい、登場人物あるいは動物といい、話
の内容といい、その展開の仕方といい、これまでの日本のマンガ
には見られなかった新しい手法と領域を開拓しつつあり、今最も
注目されるマンガ家の一人であるように思われる。
彼の特異さは、登場人物の特異さからくるというよりも、むし
ろその奇抜な発想とそこから出てくるユニークなイメージをあた
かもジグソーパズルのように自由自在に組み合わせて、全体とし
ては読者を不思議な内省の世界に引き込んでしまうというところ
にある。そしてそうした奇抜な発想の源泉は、彼の現代日本に対
する、特に文明社会の象徴としての都会(街)とその中に閉じ込
められた人間たちに対する否定的な現実感覚であるように思われる。
そこから大都会の人工的なコンクリート・ジャングル、ジェット機や電車や車の
喧騒の中で、自己のアイデンティティを見出せない人間の孤立感や閉鎖感、空虚感
や崩壊感といった心象風景が描かれる。だからそこに描かれるビルも住居もいつで
も歪んで倒れ掛かっているし、そうした心象風景を体現した登場人物たちも孤独な
変人(「何も始まらなかった一日の終わりに{チャリの巻}」)であったり、人格
破壊者(「日本の友人」)であったり、三十になっても幼児のような兄弟(「日本
の兄弟」)であったりするのである。
これらの人物たちは、人工的で無機的な文明社会のいわば被害者であると同時に
それへの批判者として現われ、ある場合にはもっぱらそこからの逃避を試みるか、
またある場合にはそれへの果敢な闘いを挑むのである。逃避する先はどこか?それ
は、作者の夢想する五十年前か百年前の素朴な自然の中の田舎であったり、空飛ぶ
くじらが潮吹く地球の裏側であったり、死後の世界であったりするわけだが、それ
らが果たしてユートピアであるかどうかは保証のかぎりではない。また崩壊した現
実への果敢な闘いが無謀な狂気であり、挫折することは作者も百も承知である。に
もかかわらず、空虚な日常、閉塞した日常、分散化したアイデンティティからの飛
翔は、思想的にはやや説得力不足とはいえ、多くの若者たちの共感するところであ
る。まだ若い作者の豊かな可能性に期待したい。


E-mail:moon@wing.ncc.u-tokai.ac.jp


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