音の世界をマンガでどう表現するか

さそうあきら「神童」

双葉社:
(東海大学新聞1999年9月20日号掲載)


コミックが今や立派なメディアであることは誰しも認めるところ
であるが、文字情報のみの小説やエッセイ同様、コミックが旧メディア
にとどまる大きな理由は、それが直接的な音声表現を持たないという点
にある。音声表現はコミックのもっとも苦手な領域である。
それゆえコミックの作者たちは様々な工夫をこらして独特の音声記号を
発達させ、読者に音声を感じさせようと努めてきた。それらの多くは読
者の共通感覚に訴え、読者自身のいわば脳内イメージとして再現される。
その意味では、コミックにも間接的に音声表現は存在すると言えるので
あるが、ただそうした音声表現は誰にでも共通に知覚される一般的な音声
に限られる。微妙な音、音質といったものは絵や記号で表現するのはむず
かしい。ましてや、ショパンやリストのピアノ曲を絵と文字と記号で表現
することはほとんど不可能に近い。だからこれまで音楽家の生き様や音楽
の知識をテーマとした作品はあっても、曲そのものをテーマにしたコミック
はなかったのである。
その意味で、ここに紹介するさそうあきらの「神童」は、この困難なテーマ
に初めて挑戦した意欲的な作品として注目されてよい。もちろんコミック
であるからそれなりの誇張や脱線はむしろ読ませるための工夫であり、味付
けである。主人公のピアノの天才少女、成瀬うたを小学五年生という設定に
したのはいかにも非現実的であるように思われるが、しかしマンガ的には、
これが正解である。音楽界の時に醜い内情を語るでも、非現実的な子供の目
から描くことによって「毒抜き」の効果があり、読んでる方も笑っていられ
るのである。この手法は、社会批判のマンガなどによく使われる。
もう一人の主人公、菊名和音は八百屋のせがれであり、特別の「天才」でも
「神童」でもない庶民の立場を代表する。この凡人だが地道に努力する善良
な男と、自由奔放な天才少女の「神童」との対照的な組み合わせを軸に話を
展開したところが巧妙である。また、この少女がピアノ一筋というのでなく、
野球大好き少女でしかもその道においても抜群の能力をもっているというの
が、話の幅を広げ読者を楽しませてくれる。そのつど演奏されるピアノ曲は、
それを知ってる人にはそのメロディが音として再現される工夫がなされている
が、しかし知らない人には、いささか不満が残る。マンガ表現の限界を感じさ
せる点を差し引いても、記念すべき秀作には違いない。


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