かわぐちかいじ「沈黙の艦隊」

講談社:モーニングKC(第1巻第1刷1989年12月最終巻第32巻1996年6月)
初出1988年「コミックモーニング」44号より1996年13号まで連載。


(あらすじ)
海上自衛隊の潜水艦「やまなみ」の艦長、海江田四郎
は部下乗員20名とともにソ連原潜と衝突し全員死亡し
たという偽装工作により、この世から一旦姿を消して、
秘密の特殊任務に就くことになった。それは、日本政府
と米軍の秘密協定で建造され、米軍の所属となる初めて
の日本製原子力潜水艦「シーバット」の任務に就くとい
うものである。
ところが、海江田は試験航海の途中で、一切の命令系
統から離れ独自に行動するという反乱を起こし、「やま
と」とその乗員がどこの国にも属さない一つの独立国家
であることを宣言する。(第2巻90ページ)
その目的は、国家を超えた戦争抑止のシステムとして、
いかなる国家の軍事力にも負けない「沈黙の艦隊」を創設
することであり、そのことを国際社会が認めるように国連
の場で直接、訴えることにあった。
物語の大半は、反乱以来、国連本部のあるニューヨーク
に向かうまでの潜水艦同士の戦いと技術的な操艦のデテー
ルに費やされるが、要は、「やまと」の軍事力としての
優秀さと艦長海江田の超人的な能力によって、次々と襲うアメリカ軍の攻撃を突破し、
ニューヨーク港に強引に入港した上で、国連総会で「超国家主義」に基づく世界平和へ
の歴史的な演説を行うことに成功する。しかし、最後は、テロリストの凶弾に倒れるが、
その訴えは世界中を動かし続ける。
特に、「やまと」の攻撃を命じられながらも「やまと」の理想に共感した各国のサブ
マリーナーたちは、海江田の親友深町を中心に、「沈黙の艦隊」の「新・独立宣言」を
行う。

(解説)
大胆で、奇抜な発想は、いかにもマンガ的で、非現実的ではあるが、その主張のテーマ
は、いかにも思想的で、現実的である。このマンガの連載が始まったのは1988年であ
るから、まだソ連崩壊以前であり、冷戦の末期である。冷戦の終焉によって世界の軍事情
勢にも変化が現れたが、核兵器の脅威という点では、むしろ以前にもまして、危機的状況
は続いていると考えられるし、さらにはこれまで抑圧されてきた小国家や民族や人種の独
立への動きが一度に顕在化し、各地で紛争が頻発していることを考えれば、世界平和の問
題は今や人類の緊急かつ深刻な課題である。そうした極めて重い課題に真正面から取り組
んだ作者の意欲は、高く評価されねばならない。
思想的には、国家や民族の枠を超えた「世界市民」という立場こそが、真の世界平和へ
の道であるとする「超国家主義」を唱えているわけであるが、確かにこの考え方に間違い
はない。しかし、これは方向としては間違いはないということであって、この思想が世界
の現実に根づくには、おそらく今後200年は要するであろう。それは、ちょうど、カント
の「永遠平和論」の理想が200年早かったのと同じ事情にある。200年前に、カントが「世
界的規模の国家連合」の理想を説いた時、人々はそれを学者先生の机上の空論と笑ったよ
うに、「沈黙の艦隊」もマンガ家の空想の産物と、一笑に付されることは否めない。しか
し、それはそれでよい。潜水艦の戦闘ドラマとして面白いし、思想の基本線は間違ってい
ないのだから、世界平和を考えるきっかけを若い人々に与えることが出来たとすれば、こ
のマンガは十分に存在の価値があるはずである。


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