鈴木翁ニ「こくう物語」


―寂しき人生とほんとのトモダチー


今を去ること四十年、一九六四年に「カムイ伝」の白戸三平を中心に創刊されたマンガ雑誌「ガロ」 が日本のマンガ史に残した多大な功績は二つの意味で重要である。その一つは、多くの優れたマンガ 家がこの雑誌から育っていったという意味からであり、もう一つは手塚治虫によって引き上げられた マンガの社会性に加えてさらにこの「ガロ」によってマンガは文芸の域にまで高められたという意味 においてである。あるいは、こう言ってもいい。メジャーな雑誌では不可能であった強烈な個性を持 った大人のマンガとその作家たちを培養したのが「ガロ」というマイナーな雑誌であった。永島慎二 やつげ義春、林静一や蛭子能収、数え上げればきりがない。鈴木翁ニもそんな一人であり、彼が「こ くう物語」で「ガロ」に登場したのが一九七九年から八一年であった。ここに紹介する「こくう物語」 は昔の「こくう物語」に新たに描き下ろしの章を加えて二00二年に出版されたものである。多分新 たに描き加えられた最期の二章に時代背景とストーリーの飛躍の点で若干の違和感はあるものの、全 編を通して流れる作品の詩情と作者の密やかなメッセージには変更がないので、よしとしなければな らない。  題名にある「こくう」とは、「虚空」のことである。「虚空」とは一般的には「大空(おおぞら)」 のことであるが、仏教語としては「色や形など一切の実体のない空(くう)」を意味する。果たして 作者はどちらの意味で「こくう物語」としたのか?作品の内容から推察するかぎり、それは二つの意 味を重ね合わせたところに平仮名の「こくう」という字が使われたのだと思われる。つまり、生きる ことの寂しさ、寂しさの中にかけがえのない喜びをもたらす「ほんとのトモダチ」、しかしそれもい つかは去ってしまい、おおぞらにトモダチの姿を想い描くことしか出来ないのが人生であり、本質的 にそれは寂しく、実体のない「虚空」であるというものである。  今の若い人々にとってはもはや古典とも言うべきこうした詩情豊かな文芸性の強いマンガ作品も、 人生を考えるためにもぜひ一度は読んでほしいものである。きっと静かな音楽を聴くような心地よさ を味わうことが出来るはずである。

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