MANGA FROM manga

仮想現実としての性表現

--山本直樹の感覚(東海大学新聞96年4月20日号掲載)

性は人間の本性に属するものであるから,昔から文学や映画におい

てしばしば取り挙げられてきた重要な領域である。 従って、マンガ

に性表現が取り挙げられるようになったということは,文学や映画

と同じように,マンガが立派な一人前の文化になったということの

何よりの証明である。

しかし、マンガは子供や青少年の見るものであって,セックス描

写など飛んでもないといった古い大人たちの道徳的な既成観念が根

強く残っていることも確かである。だから、その性表現をめぐってはしばしば論議が起こ

り、ときに「有害だ」として規制が行われる。

新世代のマンガ家で、もっぱら「少女エロ・マンガ」を描いている山本直樹が、91年

に出した「BLUE」が東京都の「有害指定」を受け、回収されたのもその一例である。

この本に限らず、山本直樹の作品に登場するのは、多くは高校生や中学生などの少年少

女であり、「露骨な」性表現が必ず描かれるので、一見しただけでは「ひどい」と思われ

るかも知れない。そして確かに、作者の遊び心と読み手へのサ−ビス精神から描いたとし

か思われないような駄作もないではない。それらは、彼のもう一つのペンネ−ムである森

山塔の名で描いているものに多いところを見ると,どうやら描き分けているらしい。

 しかし、山本直樹の「エロ・マンガ」の本質は別なところにある。彼は、性行為から愛

とか憎しみとか所有欲といった人間くさい感情をいっさい剥ぎ取ったところに残る「気持

ちよさ」の感覚的快楽だけを描くのである。この「明るいエロ」といわれる感覚世界は,

まさに今流行のバ−チャル・リアリテイの世界である。

 彼の本質は、性を仮想現実の中で描くことによって、その中で遊ぶ子供たちの自由

さと面白さを理解し得ない大人たちを批判するところにあると思われる。と同時にま

た,彼の最近の作品にはその仮想現実の浮遊した空間に生きる若者たちに対しても警

告を発するようになってきている。それは例えば、「夏の思いで」に見られる現実感

覚を失くした異常性欲者の犯罪や、「生きる意味を知ったなら、求めるものをこの地

上に捜すことになるだろう」という歌詞に示されている。

 家族の絆やいじめが描かれる「ありがとう」なども、山本直樹の「意外な」現実感

覚と、マンガ家としての可能性を示す好例である。


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