諸星大二郎

「暗黒神話」

集英社文庫(1997年5月第2刷)
初出は「週刊少年ジャンプ」1976年20号〜25号に掲載


諸星大二郎のアジア古代史学は、
一種独特の世界である。
彼の作品の特徴は、古代史を神話や
宗教や伝説と関連づけながら巧みな物
語を、それもSF的要素とミステリー
的要素を多分に盛り込んで構成してあ
るところにある。そのため、マンガの
中では飛びぬけて文字情報の多い(そ
れも難解な解説文が多い)諸星作品であるにもかかわらず、つい読者
は惹きつけられてしまう。しかし史実と神話と宗教との世界を縦横に
行き交い、現代と古代とが錯綜する諸星作品を最後まで読み終わるに
はかなり根気が要ることも確かである。この『暗黒神話』もその例に
漏れない。
物語は、何故か縄文土器に魅せられた武少年の日本古代史への冒険
譚という形をとっているが、主題は『古事記』や『日本書記』に登場
する神話の解釈、中でも暗黒神とされるスサノオを一つの天体現象の
象徴と解釈する点にある。ただそうした神話解釈だけではマンガ物語
は成立しないので、スサノウと武少年を結ぶキーパーソンが設定され
るが、それがヤマトタケルである。つまり、武少年とヤマトタケルは、
「別べつの時空間に同時に 存在する同じひとりの人間である」(p172)
という意表をつく仕掛けになっている。この仕掛けはもちろん非現実
的であり、違和感を感じないわけではないが、神話の世界に読者を誘
い入れ、古代の神話世界を現在に蘇らせるマンガ的・SF的手法とし
ては面白い。これによってわれわれ読者が自分自身の身を古代世界に
置いて考える想像力を助けられ、古代世界を随分身近に感じることが
出来る。
さて、『古事記』(712年成立、稗田阿礼語り・太安万侶筆録)
の神話によれば、国造りの神イザナギの子供にアマテラスとツクヨミ
とスサノウの三つの神があったとされる。高天ケ原を治めるアマテラ
スが太陽を意味し、夜の国を治めるツクヨミが月を神格化したもので
あることは容易に理解できるが、乱暴狼藉を働きアマテラスが天の岩
戸に隠れる原因を作り、地上に暗黒をもたらし、ついには根の堅洲国
に追放されてしまうスサノウとはいったい何なのか、というのが作者
の主要な問題意識であるように思われる。
このスサノウに関しては、「古くから暴風雨の神とも 蛇神とも 悪
の化身とも いわれているが 本当の正体は 謎なのである。」(p117)
スサノウは確かに乱暴狼藉者ではあるが、根の国への途中、出雲で
は有名なヤマタノオロチを退治し、クシナダヒメを救って彼女と結
婚しているし、その子孫のオホナムチは日本の国造りを完成させた
大国主(因幡の白兎の話で有名)となっている。またヤマタノオロ
チを退治した時に大蛇の尾から取り出した叢雲(ムラクモ)の剣は
アマテラスに献上され、後にヤマトタケルが九州の熊襲征伐に行く
時に伊勢の斎宮ヤマトヒメからこれを譲り受けている。この剣が、
草薙の剣として静岡の草薙神社に祭られているのは、ヤマトタケル
が熊襲征伐のあとすぐさま東方征伐に向かわされ、焼津の野で焼き
討ちされた時にその剣で身を守ったという伝承による。
こうしてみるとスサノウは単なる悪の化身でも暴風雨の神でもな
く、もっと大いなる天体現象の神格化ではないのか 。この疑問を
解く鍵は神馬にあるという。武少年が次々と遭遇する古代遺跡の中
に眠る馬の像、福岡は竹原古墳の壁画に描かれた神馬、大分は国東
半島の磨崖仏馬頭観音、熊本は菊池に伝わる天の斑駒(アメノフチ
コマ)、京都付近の馬を象った石像、これらはいずれもスサノウを
表わしていると考えられる。(「スサノウと馬頭観音が同じものを
別べつの名前でよんだものだとすると…」(p162))
そしてこの神馬こそ、オリオン星雲の近くにある「馬の首」暗黒
星雲を形象化したものであったのだという解釈を、作者は不思議な
道案内人で歴史の証言者である竹内老人に語らせている。(p176f)

「地上は 暗黒におおわれ 夜ばかりがなん日もつづいて 万のわ
ざわいがおこったと『古事記』にある。これが“天の岩戸”伝説と
して知られる古代の大事件…、暗黒星雲が地球を襲った大天変地異
を神話で 表現したものじゃ」(p181)

こうして武少年の古代への冒険は、暗黒神スサノウにより力の象
徴としての草薙の剣を授けられて熊襲征伐を成し遂げたヤマトタケ
ルの辿った道を武少年自身が再び体験するなかでスサノウの謎が解
明されて終わるのであるが、その途上で「邪馬台国」の所在地に触
れているところである。
邪馬台国がどこにあったかという論争は、未だに決着のつかない
歴史論争として多くの人々の関心を呼んでいるのであるが、大きく
分けると九州説と近畿説に分かれる。新たな遺跡や遺物が発掘され
るたびに邪馬台国やその女王卑弥呼と結び付けられ、古代歴史学の
専門家のみならず歴史愛好家の注目を集める。近年では佐賀の吉野
ケ里遺跡の発掘時に、そこが「魏志」倭人伝に記載のある「宮室・
楼観・城柵」を備えた立派な遺跡であったことから、これこそ邪馬
台国の所在地だったのではないかと騒がれたり、あるいは卑弥呼が
239年に魏に朝貢した折に鏡100枚をもらった記載されている
その鏡こそ近畿地方から多く出土している三角縁神獣鏡に間違いな
いし、その後の大和朝廷に繋がる畿内に邪馬台国はあったのだと推
理されたりしていることは、周知の事実である。
『暗黒神話』における諸星説は九州説を採っているが、場所は大
分の国東半島のすぐ近く宇佐を中心とする中津平野だとする説であ
る。その理由として、「全国八幡社の総本山 宇佐八幡は 古くは八
幡(ヤハタ)とよび、ヤマタイから変化したよび方で その祭神 ヒ
メ大神が邪馬台国の女王卑弥呼である」(p84)という伝承に従ってい
る。もちろん、そうだと断定しているわけではなく、一つの説とし
て物語中に紹介しているだけである。

尚、同書には「徐福伝説」も収録されている。「徐福伝説」とは
秦の始皇帝の時代(BC200年頃)に、始皇帝の命を受け、不老
不死の秘薬を求めて蓬莱山を目指して大勢の童男童女とともに海を
渡って来た斉の人、徐福の話である。蓬莱山とは、当時中国で、東
の海にあって仙人が住むと考えられていた伝説の山であるが、我が
国では富士山などの霊山をさす。徐福たちは北九州から熊野を経て
富士山の山麓に漂着し、そこに住みついて再び中国には帰らなかっ
たともいうが、その後の運命については定かではない。




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