古代伝奇ロマン


星野 之宣

宗像教授伝奇考

潮出版社:希望コミックス
第1集(1996年5月第1刷発行)、第2集(1996年12月第1刷発行)
初出は、「コミックトム」1995年7月号より1996年5月号に連載


東亜文化大学の民俗学教授宗像伝奇
(ただくす)は、九州福岡県の宗像大社
摂社・海照火明神社の神主の次男坊。
つるつる頭に口髭、黒いマントを羽織った
特異な風貌。彼の研究テーマは日本各地
に残る色々な伝説を日本だけの問題として
ではなく、世界全体の中で考察する、つま
り世界的規模での伝説の伝播という視点から考察するという雄大なものである。
最初に取り上げられる伝説は、いわゆる天女で有名な「羽衣伝説」である。こ
の「羽衣伝説」で知られるのは、静岡の三保の松原であり、滋賀の余呉湖である。
三保の松原では、天から舞い下りた天女が松の枝にかけていた羽衣を通りすが
りの漁師が隠したので、天女はやむなくその漁師と結婚するが、のちに羽衣を取
り戻して天に帰っていくという話だが、余呉湖の場合は8羽の白鳥が舞い下り、
羽衣を脱いで娘に変身して水浴をしていたところ、やはり通りすがりの男に羽衣
を盗まれた末娘がこの男と結婚し、のちに羽衣を探し出し天に帰っていくという
同じパターンの話である。

宗像教授の考察では、こうした羽衣伝説は中央アジアに原点をもつと思われる
「白鳥処女説話」の一変形らしい。「紀元前2千年頃からのアーリア人の大移動
がこの伝説を運んだことはまず間違いない」(第1巻の9頁)としても、しかし
どうしてそれが世界中に伝わっていったのか、その原動力が何だったのか、それ
が宗像教授の研究課題である。その謎を解くきっかけが、教授の学生である伊香
真奈の両親が出雲から持って来た北斗七星を刻んだ鉄剣にあった。教授は早速そ
の鉄剣が出てきたという真奈の実家に向かう。そこは、島根県斐伊川上流の多々
良村で、ここにも白鳥沼という沼があって昔から白鳥伝説が残っているらしい。
そもそも「たたら」とは、「砂鉄を使って鉄を造っていた人々」のことらしい
が、ここで教授は鉄器文化の象徴である鉄剣に描かれた七星、つまりプレアデス
星団(日本名すばる)と白鳥伝説との関係を探り当てる。
教授の推理によれば、白鳥伝説のそもそもの起源は古代ギリシャのオリオンと
プレアデスの神話だという。

「プレアデスとは美しい七人の姉妹の名だった。いつも森の中で遊んでいたが、
ある日猟師のオリオンに襲われた。シリウスという犬を連れて、迫るオリオンに
プレアデス七姉妹は逃げ惑い神々に助けを求めた。
神々は姉妹を鳩に変えて空似逃がしてやった。そしてそのまま天に昇らせて七つ
の星にしたのだという。その後、七つの星は六つの星になった。それは姉妹の一
人が人間に恋して姿を隠したとも、あるいは彗星となって飛び去ったためとも言
われる。」(第1巻21、22頁)

このギリシャ神話こそ白鳥伝説・羽衣伝説の原型ではないか、というのが教授
の推理である。そしてこの白鳥伝説と鉄器文化の関係とは、世界最初の鉄器民族
であるアーリア人のヒッタイト古王国の勢力拡大に関係があるという。歴史書に
よれば、現在のトルコのアナトリア高原に紀元前1680年頃成立したヒッタイ
ト王国がオリエント世界で大国になった理由は、鉄器と馬にある。ヒッタイト人
は、前400年ごろに浸炭法によって鋼を発明、この鋼の製造法を国家機密とし
たのであったが、前1200年頃このヒッタイト王国も東地中海に起こった大規
模な武装難民集団である「海の民」に滅ぼされて崩壊した。これにより国家機密
であった鋼製造の技術が周辺に広がり、オリエント世界は鉄器時代に入っていく。


(講談社「クロニック世界全史」参照)


宗像教授の推理によれば、ヒッタイト人の最初の鉄器は隕鉄から造られたとい
うことで、これが星の伝説と鉄との結びつきである。ヒッタイト王国が滅亡して
も鉄器文化はオリエント付近から世界の隅々にまで伝わって行った。そしてそれ
と同時に、ヒッタイト人の星の伝説・白鳥伝説も世界各地に広まって行ったと考
えられる、というわけである。
しかし、鉄は一般的に砂鉄や鉄鉱石から造られる。ならば鉄と白鳥伝説とはど
んな関係があるのか? この疑問に対しても宗像教授の推理は明解である。

「鉄鉱石や砂鉄は磁性を帯びていることが多い。白鳥などの渡り鳥は、一説に
よると、地磁気から方角を知るという。鉄あるところに白鳥あり…とすれば、白
鳥の姿を目印として追い求めた人々(鍛冶職人たち)がいたかもしれない」


(第1巻の80、 81頁)


こうして日本の「羽衣伝説」とギリシャ神話と鉄器民族古代ヒッタイトの文化
伝播の歴史が組み合わされた宗像教授の民俗学的考察は幕を閉じ、次ぎの「浦島
伝説」へとテーマは移るのである。

こうしたいわば「学術的な」テーマを追究したマンガには、賛否両論あること
は確かである。何も学術的な論文をマンガにする必要はないではないか、最初か
ら論文として、あるいは文章として書けばいいのではないか、という意見があり
うる。
私も基本的にはその意見に賛成である。特にもともと文章としてあるものをマ
ンガで「やさしく」読ませるといった類の作品は、大概つまらないし、マンガと
しても邪道である。第一、マンガを馬鹿にしているし、従ってマンガ読者を馬鹿
にしていると思う。例えば、「――入門」とか「――の歴史」とか「――文学全
集」とかいったマンガである。第二に、そうしたマンガにはマンガ家のオリジナ
リティが入り込む余地がない。せいぜいが絵柄の好き嫌いだけである。私も、こ
うしたマンガははじめから原則として読まないことにしている。
しかし、どんな堅い論文的テーマを掲げたマンガでも、作者のオリジナリティ
によって構成されたもので、「面白い」ものは、マンガとして評価すべきである。
星野之宣のこの「宗像教授伝奇考」は、確かに民俗学の論文的趣きをもった
「いやに説明の多い」堅いマンガではあるが、論文というほど緻密な論証がある
わけではなく、飛躍と飛躍の間を幾らかの歴史的事実を織り交ぜて作者の夢のあ
る推理で繋いだSF的ロマンになっていると思われるのだ。というのは、私は民
俗学の専門家ではないので、その推理の学術的評価については、そうした解釈な
いし説があってもいいかな、と思う程度であって、その推理の真偽よりも宗像教
授という主人公のキャラクターとそのフィールドワークの仕事ぶり、そして意表
を突く推理の面白さが何よりも気に入ったのである。それに付け加えるなら、も
ちろんその絵も好きである。
このマンガを読むことによって、民俗学に夢と興味をもつ人々が出るかも知れ
ないし、自分の身近に存在する「伝説」を見る目が違ってくるかも知れない。例
えば三保の松原で「羽衣の松」を見て、遥かな古代のアーリア人の大移動の歴史
やギリシャの星の神話に想いを馳せるというのも、夢があって雄大な視野が開け
ていいものではないか。高校生や大学生に一読を薦めたいマンガである。



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