「昭和22年、まんが史上革命的といわれる「新宝島」で衝撃的なデビューを
した手塚治虫は、つづいて「ロスト・ワールド」(昭和23年)「メトロポリ
ス」(昭和24年)「来るべき世界」(昭和26年)と、次々に名作を発表し
て、まんが少年たちの心を完全にトリコにしてしまった!」(第1巻14頁)
また、戦後まもなく発刊された少年まんが月刊誌で、二人がよく投稿し、入選
したという「漫画少年」(学童社)は、昭和22年から30年まで刊行されたこ
とがわかる。(第1巻37頁)
同じく、「漫画王」(秋田書店)は、昭和26年に発行され、そこには手塚の
ほか寺田ヒロオや馬場のぼるといった人気作家が登場している。序でに当時の少年
雑誌をこのマンガの中からいくつか列挙してみよう。(第2巻856頁)
「少年クラブ」(講談社、戦前からある歴史と伝統を誇る正統派雑誌)
「少年画報」(少年画報社、昭和23年創刊、福井英一、のちに竹内つなよし
の「赤胴鈴之助」を連載)
「冒険王」(秋田書店、福井英一の「イガグリくん」を連載)
「おもしろブック」(集英社、昭和24年創刊、山川惣治の「少年王者」を連載)
さて、才野茂と満賀道雄の二人は、満賀が富山の地方新聞社にしばらく勤務した
後、本格的にマンガ創作の活動に専念するため、上京する。そこで二人が住むよう
になったのが、漫画史上に名高い、手塚治虫を教師役に集まった漫画家集団「トキ
ワ荘」(豊島区椎名町五丁目2253番地)である。
「トキワ荘の青春」は、日本で漫画家という職業が成立し、一般化していく過程で
ある。因みに、トキワ荘という漫画学校から育った人たちに、前述の寺田ヒロオ、
森安なおや、永田竹丸、つのだじろう、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、鈴木伸一など
がある。
「まんが道」は1982年4月、井上靖の「あすなろ物語」の
なろう! なろう! あすなろう!
明日は桧になろう!
という引用で終わっている。但し、「未完」とあるから、そのうちにきっと昭和
30年代後半以降の続編が描かれるに違いない。