ヨーロッパ、マンガ紀行(3)

 

第27日 11月5日(日) パリ滞在4日目にして         晴れ

ユーラジアム訪問そして夜8時発マドリッドへの寝台特急

 夜の7時まで自由に行動するには、まず荷物を駅のコインロッカーに預ける必要がある。そこでメトロで北駅に行き、そこで預けようと思っていたのに、乗り方を間違えてオーステルリッツまで来てしまった。ここはいささか田舎駅みたいで、果たしてロッカーがあるのか不安だったけれども、あるにはあった。しかしフランスは警戒が厳重で、荷物はショルダーバッグまでチェックを受ける。また駅のホームにも自動小銃を抱えた警官が3人巡回しているし、日本では考えられない光景である。

 荷物を預けて身軽になって、北駅まで引き返す。というのは、ヨーロッパで始めて日本の企業で働くビジネスマンの養成を始めたという専門学校「URASIAM」を訪問するためである。この学校では、マンが家を志す学生も受け入れ、その教育を始めたという情報をインターネットで調べてあったからである。どんな学生たちがどんな教育を受けているのか知りたくて訪問したわけである。アポもなく突然の訪問なので果たして対応してもらえるか心配ではあったけれど、住所を頼りに訪ねてみると、日本人の女性スタッフも数人いて、名刺を差し出し意図を告げると、「今は会議中だから、午後3時にもう一度来てくれ」という返事であった。

 

      

*日本の経済や文化を教える専門学校「URASIAM」の看板

 

 そこで、先に用件を済ませてしまおうということで、メトロで「ピラミッド」まで行き、一昨日「PARIS VISITE」を買った旅行事務所(OFFICE DU TOURISMES)に行き、10日と11日のホテルを予約した。今度はセーヌ川の向こうのモンパルナスの方に少しマシな(多分)ホテルを頼んだ。というのも昨日までのホテルは、上階の部屋でトイレの水を流すたびにその音が聞こえ、何だかトイレの水を頭から浴びるような不快な感じだったので、少しはレベルを上げようと思ったので、2日で150ユーロにしたのであった。ここの旅行事務所は手数料無料である。(因みに、ドイツで無料のところはケルンだけだった。)

 予約が済み、確認書をもらい一安心。遅い昼食に、近くの「江戸っ子」という日本料理店で天ぷらうどんを食って、再度「ユーラジアム」に向かう。今度迎えてくれたのは、

教育担当ディレクターのリオネル パナフィ氏と日本人女性スタッフの二人。ゼミ室(といってもすべて教室はゼミ室)でいろいろな話を聞くことができた。ときにパナフィ氏の日本語が不明なので、女性スタッフに補足してもらった。

1.     本屋さんには必ずマンガコーナーがある。

2.     フランスでは96年に「AKIRA」が紹介されたのが最初で、それ以降次々と日本の翻訳マンガが出版されている。現在では、月に200タイトルもの翻訳マンガが出版されている。

3.     シャンゼリゼ通りには「バ−ジン」、バスティーユの近くには「フナック」という大手の書店がある。「ジベール」というのもある。

4.     フランスにおける日本文化のビジネスとしての規模は、約5億ユーロであり、その半分をマンガが占める。

5.     フランスでは、少女マンガ、少年マンガ、青年マンガという区別が一般的である。

中でも人気なのは、少女マンガである。

6.     BDとマンガは区別されている。BDは、芸術(アート)の一分野として認められているが、マンガはその中に含まれていない。

7.     BDは、40歳代以上の人が読み、マンガは20歳代の人が読むと言っていい。

8.     アニメに対しては、国が積極的な支援に乗り出しており、今や日本アニメはそれほど見られない。

9.     ユーラジアムには、現在70名の学生がいて、そのうち20名がマンガ家志望である。

10.今現在、10名の学生が実は日本に研修に行っているので、学生が少ないのです。

11.フランスでは、「AKIRA」を筆頭に初めにマンガが入ってきて、アニメが見られ、コスプレに発展した経緯がある。

12.日本の出版関係者は、フランスのビジネスマーケティングのやりかたを理解せず、日本流のやり方を押し付けてくるところがある。広告などやたら文字が多くてフランス人は読まない。

13.BDは、48頁が最大である。そして内容よりはむしろ1枚、1枚の絵(イラスト)に重要性があり、読者はそのイラストを切り離して壁に張ったりする。ところが日本のマンガはストーリー重視で、1枚1枚の絵にはそれほど重要性はない。

14.BDに、「アステリックス」(雑誌?)、ジベール(有名マンガ家?)、ダグー?

15.「BDとユダヤ人」展示がある。

16.来年1月、パナフィ氏は日本に行く。

17.スペインから帰ってくる10日、土曜日にご希望ならマンガ家志望の学生を集めて話をさせてもいいですが、という申し入れに、「是非」と依頼し、連絡はホテルの方にする。

 1時間余りにわたり、マンガとアニメに関する情報を聞くことが出来た。最後は、こ

の学校の日本研修に際して私が何らかの協力が出来るかも知れないという提案をした

ら、向こう側がよろしくと言ってきたくらい、友好的に話をすることが出来た。

 マドリッドへの出発までまだ2時間以上時間があったので、予約をしたモンパルナス

の方のホテルまで下見に行ってくることにした。通勤ラッシュと重なりすごい混雑のな

か最寄の駅まで辿り着いたのはよかったが、通りの方向を逆に歩いたためとんでもない

ところに出てしまった。モンパルナスの鉄道駅まで来てしまったようである。急いで引

き返し、ホテルの所在を確認するのは諦め、オーステルリッツ駅に向かう。

 マドリッドへ向かう寝台特急列車は、外見は何の変哲もないが、寝台のつくりは頑丈

なもので、もちろん内からも外からも鍵が掛けられる。1等車も基本的には2人用で、

上下2段のベッドが引き出せる仕組みだが、私はシングルを希望したので2人分を独占

しているわけだ。道理で180ユーロと高いと思った。でもその分快適、気は楽、ホテ

ルにいる感覚、そうホテルに居ながらにして千何百キロも離れたマドリッドまで黙って

運んでくれるのだから、有難いものである。食堂車での夕食は有料であったが、朝食は

込みである。

 ところで、列車が発車して間もなく、車掌が検札に来て、パスポートとユーレイル

パスを持っていってしまって、なかなか返しにこないので少し心配になった。しかしこ

れは到着1時間前に返してくれた。

 13時間の長旅ではあったが、少しも退屈ではなかったし、眠りから目が覚めたらも

う白々と夜が明けつつあったし、すぐにマドリッドに着いてしまった。

 

 

第28日 11月6日(火) マドリッド滞在1日目        晴れ

 

 朝9時半、マドリッド・チャマルテン駅到着。

 近郊線(セルカニアス)に乗り換え、15分でマドリッド・アトーチャ駅到着。

 駅構内の旅行案内所でホテル予約。初めJTBの旅行案内書に載っていた日本人経営

のホテルにしたいと言ったら、それはホテルじゃないからここでは取り扱わない、と断

られてしまった。それじゃどこか他のところを、と頼むと、電話で確認を取って予約し

てくれたのが、HOTEL REGENTE(ホテル・レヘンテ)であったが、これも

案内書に出ていた手頃なホテルだと思っていたところであった。

 「メトロブス」という回数券は10回分メトロとバスが乗れる切符である。地下鉄で

GRANVIAまで行き、そこから2,3分のところにそのホテルがあった。

 ホテルで一休みしたあと、歩いてスペイン広場に行った。スペインの文学といえば、

セルバンテスの「ドンキホーテ」、これはマドリッドの象徴的存在なのか、広場の中央

の塔にセルバンテスの銅像、その前に馬に乗ったドンキホ−テと二人の従者の銅像。こ

の銅像の前で観光客が記念写真を撮っている。

 

        

*サンチョ・パンサと「ドンキホーテ」の銅像があるスペイン広場

 

 小高い丘の「神殿」に行ってみた。よくは分からないスペイン語の解説を読むと、何

でもエジプトのアスワンダムを造るときにスペインも協力したので、そのお礼にエジプ

トから贈られた「神殿遺跡の一部」らしいということが分かった。丘の反対側からはマ

ドリッドの街が一望できた。

 神殿を回り、帰りにネットカフェでメールチェック。パソコンに1ユーロ投入すると

インターネットが始められた。これは便利。残りの時間も表示され、時間が来ると自動

的にネットが切断されるらしい。

 夜、ホテルで無線LANを依頼すると24時間で10ユーロだという。高いのか安い

のか。ロンドン情報を調べる。マドリッドにH・I・Sという日本の旅行代理店がある

という。ここでロンドンのホテルを予約しておいた方がいいかも知れない。

 

 

第29日 11月7日(水) マドリッド滞在2日目        晴れ

 

 10時過ぎホテルを出て、アトーチャ駅に行く。今日は手ぶらでの行動だ。というのも昨夜インターネットでマドリッド情報を調べていたら、マドリッドはスリ、引ったくり、強盗と頻発している危険なところだから十分注意が必要だという警告があったので、

重要なものは持ち歩かないようにしたからである。そう言われてみると、やたら警官の姿が目に付くし、街でも要所要所に警官やパトカーが警戒に当たっている。パリのオーステルリッツ駅では自動小銃を持った警官4人が目を光らせていた。マドリッドでもあちこちに警官の姿が目立つし、パトカーも四六時中巡回しているし、夜中でもけたたましいサイレンの音を響かせてパトカーが走り回っている。これだけ警戒しているので何とか治安が保たれているということなのか?逆に言うとそれだけ危険が一杯潜んでいるということだろう。日本の平和が身に染みる。

 アトーチャ駅で9日夕方7時のパリ行き寝台特急列車の予約をしようと思って案内所に行くと、それはチャマルティン駅でしかやってないという。パリでは国鉄の駅ならどこでも出来たのに、と思いながらホームに入ろうとするが、ここでは自由に出入り。切符売り場で入場券をもらい、ホームに入る。チャマルティン駅で順番待ちの券を取り、待つ。待つ。待つこと1時間、それでも順番が来ない。他にも待っている人がいる。ドイツでもフランスでもそうだったが、こちらの人は随分我慢強い。文句も言わず黙って待つ。とはいえドイツでもフランスでももう少しは効率的に受付をやっていたように思う。スペイン人はあまり効率のことは考えないのか?

 1時間に4人くらいしか進まないので、まだまだ来ないなと一旦外に出て、タバコを喫い、スタンドでコーヒーを飲んで戻ってみると、アレー、もう自分の順番の番号より先に進んでいる。慌てて窓口に行き、「すみません、トイレに行ってました」と切符の予約を頼む。何でだろう、急に国際線の順番が進んだのは?

 まあ、予約が取れればいいか。

 安心して、駅近くのソフィア美術館に行く。ここの目玉はピカソである。ピカソの作品が、初期のスケッチから「ゲルニカ」まで数多く展示されている。特に「ゲルニカ」の前は人だかりである。そうか、「ゲルニカ」はカラーではなく、白黒なんだ。解説を聴かなくてはその絵の意味がよくは分からないが、スペイン語がだめだから黙って鑑賞するしかない。

 ピカソの絵を見飽きて、H・I・Sのマドリッド支店に行く。ここでロンドンの12,13,14日のホテルを予約。ロンドンも物価高らしい。たいしたホテルでもなさそうなのに朝食抜きで一泊112ユーロもする。ドイツなら70ユーロくらいだろう。前払いで336ユーロを払った。まあ最後だから我慢するさ。これですべての予約は終ったと思うと、何だかほっとする。

SOLから歩いてGRANVIAのホテルへ。夜、久し振りにバスタブの風呂に入り、洗濯。

 

 

第30日 11月8日(木) マドリッド滞在3日目         快晴

 

 ヨーロッパは一般に朝が遅い、その分夜も遅い。ドイツではそれほどでもなかったようだけど、パリでも例えばムーランルージェの公演は21時以降だったし、マドリッドに来たらもっと遅くて、フラメンコやその他の公演、果てはレストランの営業も22時以降などという日本では考えられない生活様式である。

 朝、9時過ぎにホテルの食堂に行くと、一杯である。10時過ぎに歩いてSOLからマヨール広場まで行き、インフォメーションで「プラン・ハポン」に参加したいと思ったのだが、単に日本語対応の案内書をくれただけだった。まあ、どうせ歩いて回るだけだから、自分で歩いても同じことだと、案内所の地図にあるルートを歩いてみたが、やはりその通りにはいかない。途中で道に迷いながらも、再びマヨール広場に戻ってきた。

すると、広場の入り口近くにコミック(COMIC)専門の本屋があった。(www.olaventurero.org)1階には日本のマンガは少なかったが、2階に上がるとかなりのタイトルが置いてあった。「桜の国」はここで初めて見た。もとよりスペインには、ピカソやミロなど「マンガ的な」絵が早くからあるので、マンガに対する抵抗感がないのかも知れない。ネット情報では、マドリッドよりもバルセロナの方がもっとマンガに対するファン層が広いようであるが、コミック専門の本屋があるということは嬉しいことである。

 

      

   *スペインでもマンガは広く普及している

 

   *書棚の前に座り込んでマンガを読む少年

 

 プラド美術館は、明日時間を消費するのに取っておこうと思ったが、今日もこれから時間が余っても困るので、今日の内に行っておこう。今日でよかった、と思ったのはプラド美術館について吃驚、何と100メートルくらの長い行列が出来ているのだ。まるでコミケット状態だ。11時15分に行列に並び、入場出来たのは12時、赤外線監視装置をくぐって中に入ると広い。

 

      

    ヨーロッパ中の名画が展示されている「プラド美術館」

 

お目当ての画家を選んで会場を移動しないと、1日あっても足りないので、館内の案内図を見ながら、主に見て回ったのは、次の画家たち。

EL GRECO(LA TRIDAD, EL CABALLERO DE LA MANO EN EL PECHO, ADORACION DE LOS PASTORES)

VELAZQUEZ(EL TRIUNFO DE BACO, LAS LANZAS, LAS HILANDERAS, LAS MENINAS)

GOYALA FAMILIA DE CARLOS 4, LOS FUSILAMIENTOS DEL 3 DE MAYO EN LA MONCLOA, SATURNO DEVORANDO A SU HIJO

RAFAEL(EL CARDENAL)

REMBRANDT(ARTEMISA)

RUBENS (「アダムとイヴ」蛇の代わりに赤ん坊がリンゴをイヴにあげている。             ADORACION DE LOS REYES MAGOS, LAS TRES GRACIAS)

BRUEGHEL(EL TRIUNFO DE LA MUERTE)

その他にも、PATINIR, VAN DER WEYDEN, SANCHEZ COTAN, SOROLLA(CHICOS EN LAPLAYA海辺の子供たち),などだが、印象に残った作品には次のものがあった。

 カルボネロ「死を嘆く図?」葬式

 PRADILLA:DONA JUANA LOCA(1877) 葬式の図

 DEL ALISAL:THE LEGEND OF THE MONK KING(1880)―生首だらけの地獄図

 SOROLLA Y BERUETE:(1863-1923)

  JOSEJIMENEZ ARANDA:「奴隷売ります」(1897)

 何千という展示作品の中で目立つのは、やはり15,6世紀以降の宗教画と肖像画であるが、(恐らく半分くらいはそうかも知れない)異色なのは、ゴヤである。自画像のゴヤの顔も暗かったが、「黒の時代」の数々の絵が、人間の悲惨さ、残酷さ、醜さを表現しているようであった。とりわけ、赤ん坊を頭から食う「悪魔(SATURNO DEVORANDO A SU HIJO)」の絵は何とも異様な絵である。日本で言うと「地獄草紙」であろうか?ゴヤの「マヤ」は残念ながらその展示室が現在クローズということで見ることは出来なかった。

  美術館のセルフサービスのレストランで軽い食事をして、外に出る。合計4時間の絵画鑑賞であった。中年の日本人3人のグループがいたので、お互いに写真を撮ってもらった。ちらほら日本人を見かけたが、殆どは若い女性であった。アトチャ・レンフェからソルまで戻り、ホテルに帰る。

 夜8時、グランビアの路地に入ったところにある日本人経営のレストラン「花友」「大吉」に行ったが、まだ営業しておらず、結局3夜同じ「ZAHARA」で夕食を摂り、ホテルに戻る。明日は、いよいよパリへの夜行列車。しかし昼間5時までどう過ごすか、計画を立てなければ・・・。

 

 

第31日 11月9日(金)

 マドリッド4日目にして、夜行列車でパリへ向かう   晴れのち曇り

 

 永い一日であった。トラベラーズチェックで240ユーロ払って、ホテルを出たのが10時半過ぎ、それから19時丁度発のパリ行きトレンホテルに乗り込むまで時間を持て余したからだ。

 まずホテル近くのグランヴィアの地下鉄駅に行ったら、アトーチャ駅行きの1号線が閉鎖になっている。そこで通路にいる警官に「アトーチャに行くには?」と問うと、「こっちの5号線でピラミドに行けばそこがアトーチャと同じだ」というので、それを信じてピラミドまで来てみると、これが何とアトーチャとは遠く離れたところであった。あの警官、私を騙したのか。仕方なく、通行人に道を尋ねると、バスで行くのがいいよ、と親切にもバス停まで案内してくれ、このバスに乗りなさいとやってきたバスを指示した。確かに、アトーチャ駅まで遠かったが、「メトロブス」を持っていたので助かった。

バスの運転手に、アトーチャ駅に着いたら教えてくれと頼んでいたので、無事アトーチャに着くことができた。それにしても、あのグランビアの警官、どういうつもりで嘘をついたのか?親切な人が多いスペインの印象に少しだけ影を落とした感じだ。

 さて荷物をロッカーに預け、身軽になって、時間潰しだ。折角だから三大美術館を「制覇」するとしよう。まだ行っていない最後のひとつ、ティッセン・ボルネミッサ美術館(MUSEO DE THYSSEN BORNEMISZA)に行こう。というわけでてくてくプラド美術館の前を通って、反対側の角にあるティッセン美術館に行く。途中プラド美術館の前を通り過ぎるとき、プラドの前には昨日以上の永い行列が出来ているのを見て、本当にプラドは毎日がコミケなのだと思った。ティッセンの方は入場者はそれほど多くない。

A+Bの入場券を買ったのに、初めにA館の方を見て、カフェテリアで軽く昼食を摂ったあと、クラナッハとヂューラーのB館に入ろうとしたら、入場券が見当たらない。ポケットを隈なく探せどないので、諦めて外に出る。1時間予定が狂う。まだ2時半だ。仕方なく、先日ダニエルに電話したときに彼が薦めたレティーロ(RETIRO)公園にでも行って時間を潰そう。広大な、よく整備された公園だ。そう、東京の新宿御苑の三倍くらいはありそう、野外音楽堂や池にボートが浮かび、噴水には水が立ち上っている。噴水のロータリーの傍でサックスフォンを吹く「芸人」がいたので、小銭を恵んだ。

 一般にこちらで目に付くのは、「乞食」と「街頭芸人」である。特にマドリッドは「乞食」が多い。「街頭芸人」もいわば「川原乞食」だとすれば、到るところに乞食がいる。ひどいのは、電車に乗り込んできて勝手に楽器を演奏してお金を要求する連中だ。強制ではないが、乗客の中には何がしかのお金を恵む人もいるので、こちらも小銭を出さないと悪いような気になりがちである。

 昨日、マヨール広場で見かけた「乞食」は変わっていた。一人は頭から足の爪先まで全身泥を塗りたくって地蔵さんみたいにジッーとしている。もう一人は同じく全身金箔模様に塗り、黄金の馬に跨った騎士像の姿で身動きひとつせず、突っ立っている「乞食」がいた。これも「芸」の一種なのだろう。

 歩き疲れて駅に戻ったのが4時、5時に荷物をロッカーから出し、チャマルティン駅に向かう。しかしチャマルティンに着いてもまだ2時間近くも時間がある。カフェテリアでコーヒーとケーキで40分、駅の外でタバコを喫って10分、待合ベンチで30分、やっとパリ行きの改札が始まったのが発車30分前。ホームに行って見ると、パリから来たときの車掌たち、顔を覚えていて、こちらですと案内してくれる。

 これで一安心、何事も事故、事件もなく無事にマドリッドを後にすることができた。

 旅も残りわずかとなった。明日の朝は、再びパリ。すべて予約は終わっているのでこれまでよりも気分は楽である。

 ティッセン美術館で印象に残った画家は、以下の通り。

ANONIMO ALEMAN: FOUR SCENES FROM PASSION (1500)

     イエスを十字架から降ろし、棺桶に入れ、丁重に葬るまでの4場面を1枚のキャンバスに描くもの。

VALCKENBURCH, LUCAS VAN(?) : THE MASSACRE OF THE INNOCENTS (1597)  無知な人を次々殺している図

JAN, GOAERT (1507-1508) : ADAN Y EVA   オリーブの実でイブを誘惑しているのは蛇。

ANONIMO VENECIANO: THE LAST SUPPER (1570)

SS , FRANCESCO (1805) : WINTER LANDSCAPE IN THE APENSINES

VERUET, CLAUDE JOSEPH : 「地中海の漁村の夜の風景」月夜の光と焚き火の光りが見事(1789,PARIS)

PISSARO, CAMILLE : THE ORCHARD AT ERAGNY (1903)

GAUGUIN, PAUL : DOGS RUNNING IN A MEADOW (1903)

                 : MATA MUA (1892) タヒチの女たち

BERNARD EMILE : BATHERS (1941)

MARTIN, HENRY 「種まく人」ミレーの落穂ひろいにそっくり

MAXIMILLEN : 点描画法

CROSS, EDMUND : レンガ画法

 数々の名画を鑑賞して疑問に思ったことがあった。それは、

1.山や谷間、森の中でなぜ女性の裸が描かれるのか?

2.写実でないことはマンガ的であることに通じるか?

ということである。帰国したら、調べてみる必要がある。

 

 

第32日 11月10日(土)  パリ着 パリ滞在通算5日目   小雨

                 サンジェルマン散策

 晩夏のようなマドリッドから一転初冬のパリに着いたのは朝8時35分、まず荷物が邪魔になるので、9時半に予約しておいたモンパルナス近くのホテルに行くも、チェックインは午後1時からだということで、荷物をフロントに預け、ルーブル美術館近くのマンガ喫茶「うらばん」に行く。メールチェックをしてロンドンの地下鉄情報をみて時間を潰し、最後に店長(野村さん)の電話を借りて、URASIAMに電話をするが、日本語を話すスタッフが誰もいないというので、要領を得ず、ホテルに帰る。もしかしてメッセージが来ているかもと思い、フロントに尋ねるも、ないという返事。ユーラジアムの件は諦める。

 3時半、再び外出。サンジェルマン・デユプレで地下鉄を降りて、大通りを散策。途中にあった大きな本屋に入ってマンガの事情を視察。ここではバンド・デシネ(BD)の中の3分の1くらいがマンガであった。ドイツではどんなマンガがあるか、それらのタイトルをメモしたのだが、ここではもうメモする余裕もなく沢山の翻訳マンガがある。日本の本屋のマンガコーナーと変わりなく、たいていの日本マンガが翻訳出版されている印象である。BDの売り場にもマンガの売り場にも子供だけでなく、結構な大人たちも来て本を買ったり読んだりしているのはフランスならではの現象である。これはもう立派な文化現象、ないし社会現象であろう。翻訳マンガの中には、例えば「TETSUKA OSAMU」と題した手塚紹介のマンガ本のようにフランス独自に編集したものがあり、そのうち日本に逆輸入されることも考えられる。それに、日本では殆ど知られていない日本人マンガ家のマンガがフランスで評価され、日本に逆輸入されることもありうることである。

      

         *マンガ売場は人でいっぱい

 

      *我が懐かしき「サルトル・ボーボワール」広場(サン・ジェルマン)

 

 観光客だらけのシャンゼリゼ通りよりも、サンジェルマン通りの方が活気があって面白そうである。明日は、時間があればソルボンヌの方か、モンパルナスの方を歩いてみよう。ホテルへの帰り、アレージアの駅前のレストランに入って、5分待っても注文聞きに来ないので、黙って店を出たが、これは無視されたのか、座ってはいけないテーブルに座ったためか分からないが、初めての経験である。

 ホテルで無線LANでインターネットをやりたいと言うと、「クレジットカード」で自由に出来るよという返事。何でもクレジットカードの時代のようである。しかしどうも私には抵抗感、というより不信感がある。感覚が古いのだろうか。

 ホテル近くのお菓子屋さんから買ってきた、ワインでも飲んで寝ることにしよう。夕べの列車が暖房が入らず寒くて、風邪をひき、鼻水がとまらない。

 

 

第33日 11月11日(日)  パリ滞在通算6日目     晴れのち雨

                長女と会い、モンパルナス塔とオデオン散策

 朝9時、日曜日なのでゆっくりしていたらホテルの従業員がドアをノックして朝食だよと知らせに来た。狭く薄暗い地下の食堂に行ってみると、黒人の女性が3人もいて働いている。このホテルは黒人が多い。フランス人は1人のようだ。

 今日は、ワーキング・ホリデーの資格を持ってこれから一年間フランスで暮らす長女がパリに着き、昼過ぎに会おうと約束してので、それまでエッフェル塔や対岸の王宮などを回って時間を過ごした。エッフェル塔では、観光客が列を成し展望台へのケーブルカーを待っている。もうひとつの登り口は、歩いて登るらしく、料金も安めで列もそれほどでもないのだが、今更歩いて登る気もせず、行列に並ぶ気もせず、対岸の王宮の方へ行く。それにエッフェル塔の下は、丁度セーヌからの川風が吹き抜ける通り道になっていて、風が強く、寒かった。

         

           *セーヌ川からエッフェル塔を見上げる

       

 さてパシー駅の近くで長女に電話しようと思ったが、昨日買っておいたテレフォンカードが国際対応のカードで利用法が分からない。電話のカード投入口に差し込んでも吸い込んでくれない。仕方なく、どこかで電話を借りようと泉子のホームスティ先の近くへと歩きながら、電話の出来る所を探す。日曜日なので、なかなかそれが見つからない。少しは賑やかなパシー広場まできたら、幸いに電話とインターネットサービスの店があった。早速、ここに電話をしたいのだがというと、料金後払いだ、そこの電話を使えという返事。何とか長女に連絡を取ることが出来てほっと一安心。10分くらい待ったら、泉子とホームスティ先の主人・ディナン氏二人で会いに来てくれた。78歳の老人である。一緒にコーヒーでもと誘うが、断って先に帰ってしまった。

 長女とレストランに入り、サラダとビールで軽く昼食を摂りながら話をする。こちらは明日パリ北駅からユーロスターに乗れば、ユーロはもう必要ない。残りのユーロの現金600ユーロを泉子にあげる。夕方に帰ればいいというので、二人でまずモンパルナス・タワーに行く。地上200メートルからのパリの全景が望める屋上で、二人して記念写真を撮った。

 

*サン・ジェルマン側よりモンパルナスタワーを望む

 

 次に行ったのは、オデオンである。長女が携帯電話を買いたいというので、FNACの店に行ったのだが、残念ながら日曜日で閉まっている。すると、長女が初めの1ヶ月通う学校がこの近くだというので、そこに行って見ることにした。「EuroCenter」は、サンジェルマン大通りから川寄りに100メートルくらい入ったところにあった。再び大通りに戻り、長女はここで日本(目黒の自宅)に電話をかける。

 で、4時半。それじゃ、名残惜しいけど、これで別れるとしよう。地下鉄のホームで「じゃ、元気でね。」

「お父さんも気をつけてね!」

 

 フランス革命の歴史的意味に関心を持ち、拙著「歴史と社会思想」の中でルイ16世の処刑の場面を描いたことがあり、「池田理代子のマンガ「ベルサイユのばら」を学生たちに勧めている私としては、パリに来てバスティーユ広場を見過ごすことは出来ない。

メトロを乗り継ぎ、バスティーユ広場に向かう。もちろん今では革命当時の様子を語るものは何もない。広場の中央に聳える「自由の女神」に象徴的に革命の精神を感じ取るだけである。しかも広場の一角が道路工事中とあって、広場の周りのレストランとカフェだけが賑やかである。それでも革命当時のことを想像するだけで何かしら不思議な感慨に浸ったのだった。

 

      

*フランス革命時にルイ16世を処刑したバスティーユ広場

 

 

第34日 11月12日(月)  パリからロンドンへ  

ロンドン滞在1日目      快晴

 今朝は早めに食堂に行くと、やはり他の客は少なかった。

 ちょうど9時にホテルを出発。パリ北駅に着いたのが9時半、しかし地下鉄からユーロスターの改札口まで辿り着くのに20分を要した。つまり反対方向の出口から出たために迷ってしまったのだ。駅員に何度か尋ねてやっとユーロスターの改札口に辿り着いたということだ。余裕を持ってホテルを出てよかった。

 入国審査を経て、お金をポンドに交換して待合室で約30分ばかり待ってようやく列車に乗り込む。列車自体は、何てことはない、ドイツのIECの方がいいくらいだ。2等車だったからかも知れないが、通路も座席も窮屈で、快適とは言えない。3時間くらいの乗車だから、我慢もできるが。いつ海に潜り、ドーバー海峡の海底トンネルからいつ出てきたのかも全く分からない。つまらないといえばつまらない。しかし3時間でパリからロンドンまで運んでくれたことだけは確かだ。時刻表では2時間となっていたが、それは時差が1時間あり、ロンドンに入ったら時計の針をまた1時間逆戻りさせなければならなかったからだ。時間を人間が勝手に操作しているようなものである。しかしそれはそれでいいのかも知れない。なぜなら時間というものはそもそも人間が便利なように考え出した約束事にすぎないのだから。

 ウオーターロー駅の地下鉄乗り場で、10ポンドのオイスター・カードを買って、地下鉄(ロンドンでは、UNDERGROUND 、通称 THE TUBEというのだそうで、確かにチューブのように車両が丸っこい)でボンドSTまで行き、そこで中央線に乗り換え、ランカスター駅で降りる。リフトで登り外に出て見る。さて目指すエドワードホテルは右か左か、丁度そこに駅員がいたので、スプリング通りはどういけばいいのかと訊くと、「右に行って右に曲がり、少し行ったら左だ」と教えてくれる。礼をいってまず一服するかとポケットからタバコを出して火をつけたところに先ほどの中年の駅員が戻ってきて、この駅近くの拡大図を示して、「ほら、こういうふうに行くのですよ」と念押しに教えてくれる。何て親切な駅員だろう!

 ホテルの印象もフロントの対応も悪くはない。部屋は確かに広くはないが、ネット情報にあったほど悪くはなさそうだ。ネットも部屋で出来るし、冷蔵庫がないかわりに

ポットと紅茶・コーヒーが置いてある。禁煙なのがつらいが、仕方がない。

 一休みして、ハイドパーク(ケンジントンパークとつながっている)に行って見る。その広いこと、広いこと!川にそって歩いているとハトやら水鳥やら白鳥やらが群れをなし、木陰からリスがちょろちょろ出てきて餌をねだる。途中に、ピーターパンの小さな銅像が立っているが、殆ど注目する人はいない。川が終わったところの先はもう繁華街、有名なデパートらしいハロッズに入って見ると、それこそ有名ブランドの高額な商品ばかり、2階に行こうにも階段もエスカレーターもない、変なデパートである。

「ハイドパークは時間制限があり、気をつけろ」とホテルで言われていたので、閉園になる前にホテルに帰る。

 夜、ホテルの近くのインド料理店で辛いカレーを食べる。インド人のウエイターが気遣って旨いナンを追加してくれる。

 ホテルの受付に、部屋でインターネットをやりたいといって1時間の券を2枚注文。しかし実際には1時間で済んだので、もう一枚は明日使おうと思って取っておいた。

(これが失敗、次の日は使えなかったのだ。)

 

 

第35日 11月13日(火) ロンドン滞在2日目     曇り時々雨

 

 朝食は別料金であったので、昨夜朝食を追加してくれるよう頼んでいたので、問題なく食べられた。といいてもトーストも断ったのでごく簡単な食事である。

 10時頃、ホテルを出るとき、マンガを売っている本屋さんを知らないかと尋ねたが、

「BOOK STORE」では通じないらしい。1キロほど先の商店街(BAYSWATER)に行けば本屋さんもあるだろうというので、歩いて行ってみたが、本屋らしいものは1軒もなかった。その代わり、読売新聞を売っている店があったので、買ってみた。千円くらいする。久しぶりに日本の状況が分かった。新しい「テロ特別措置法」が今日衆議院を通過する予定らしい。株価は最安値だが、円は高騰しているらしいことが分かった。

 ここから観光バスに乗ってみようかとチケットは買った(19ポンド)ものの、乗り場で待っていても、THE ORIGINAL TOUR のバスはなかなか来ない。来るのは、BIG TOUR というバスばかりだ。そこで二階建ての路線バスでピカデリー広場行きが来たので、それに乗る。そこから歩いてPOPアート美術館とポートレイト美術館へ向かう途中で雨が降り出したので、傘を買う。ポートレイト美術館は、要するに15,6世紀からの有名人の肖像画を何百と並べたもので退屈極まりないが、自分の知っている人物だけに注目して見て回った。ニュートンやジョン・ロックなど。現代ではダイアナ妃、チャールズ皇太子にエリザベス女王などの皇室の肖像画もあった。

    

    *肖像画だけを集めた「ポートレート美術館」

 

 そこからトラファルガー広場はすぐ近く、トラファルガーの海戦でナポレオンに勝利したネルソン提督は、イギリス人にとっては大英雄らしくその銅像の大きく高く聳えていること、驚くほどである。その正面にナショナル・ギャラリーがあったのに見逃して

しまった。明日、改めて行く事にしよう。

 さらにウエストミンスター、ビッグベン(国会議事堂)を見学。結局ウオーターローまで来てしまった。テムズ河の袂に、「Kafe MANGA」なるものがあったので、写真に収めたが、店内にマンガの本がないのにはがっかりである。

       

 *テムズ河畔のカフェMANGA

 

歩き疲れて、地下鉄でホテルに帰る。

 夜、夕食に出るとき、フロントの髪の薄い男に、どこかいいレストランを紹介してくれ、というと、どんなものが食いたいのかというから、魚だというと、それは知らないと軽く断られてしまった。仕方ないので、ランカスター駅から来る途中にあったISLANDとかいうレストランに入った。小柄な女性に、「このホテルの宿泊者か」と問われ、違うというと名前を訊かれた。これも初体験。しかし普通に食事をして、最後にデザートを薦めるので、アイスクリームを頼んだら、1500円もする三色アイス、確かに味は上品で良かった。

 

 

第36日 11月14日(水) ロンドン滞在3日目      晴れ

       古本屋街CharingCrossRoad+名画鑑賞

 

 ホテルを出て近くのパディントン駅に行き、明日のための荷物預かり所があることを確認。地下鉄でレセスターまで行き、「日本でいえばさしずめ神田に当たる古本屋街」と旅行案内書にあったチャリング・クロス・ロードを歩く。古本屋が5,6軒と新刊書店が2軒しかなく、とても神田には及ばない。しかし大きな書店が1軒あって、ここにはある程度日本の翻訳マンガが置いてあった。ここでは、GRAPHIC NOVELSという分類の中の一つにMANGAがあった。従ってイギリスではCOMICという言葉は使わないらしい。なるほどGRAPHIC NOVELの方が格好いい。資料として幾つか買いたいところだが荷物になるから控えざるを得ない。

 

       

    Graphic Novelsの中にMANGAがある

 

 大英博物館の近くにカーツーン博物館なるものがあることを知り、探して行った。近くで通行人に尋ねても、「さー、そんなものは知らない」という。大した博物館ではないことは確かだ。MUSEUM STR.から脇に入ったところに小さな博物館があった。おばあさんばかりで運営しているようだ。イギリスでもかなり早くから「風刺画」の伝統はあるようで、その歴史が分かるような展示だ。1階がいわば一コマ・マンガ、2階が八コマから十六コマの短編マンガである。2階の一室にはテーブルと色鉛筆、紙が用意されていて、子供たちがここで絵を描くのだという。2階にいたお婆さんが私にわざわざ紙と「マンガの描き方」という本を持ってきて、私にもこれを見て描きなさいという。私は自分の似顔絵を描いて、下に署名した上で、お婆さんに渡した。すると、「おお、EXELLENT !」といい、これをここに張っておきましょうという。恥ずかしいですよ、というと、ここに来た子供たちが描いた絵も、ほらそこに張ってあるでしょう。あなたは絵描きか何かですか、というので、いえいえ私は日本のマンガとアニメを研究している者です、といって名刺を渡すと、「ええ、教授ですか?」と驚くので、「まあ、そうです。」すると、そのお婆さん、名刺と先ほど描いた似顔絵を一緒にガラスケースの掲示板に張るという。

 1階のショップで土産物を物色しているとき、先ほどのお婆さんが降りてきて、ショップのおばさんに説明している。「日本から教授が来ている・・・」

 1個0.6ポンドの安いバッジがあったので、これを20個と薄いマンガ本2冊を買って外に出る。

          *小さなマンガ美術館

 

 折角ここまで来たのだからと、BRITISH MUSEUM に入って見た。殆どの展示品が海外から持ってきた戦利品だ。考古学にはあまり興味ないので、中央ロビーから見渡すだけにする。特別展として「THE FIRST EMPEROR」と銘打ち、中国展をやっているが、そのポスターに描かれているのは、兵馬傭の兵士の絵だ。これを秦の始皇帝と誤解する人がいるに違いない。館内のセルフサービスの食堂でビールと野菜サラダを食い、トイレを済ませて外に出る。

       

       *大英博物館(入場料無料とは驚き!)

 

 もう一度レセスターに引き返し、トラファルガー広場に出て、ナショナル・ギャラリーに入る。無料なのがいい。あるは、あるは・・、名画の数々・・。自分の知ってる画家を選んであちこち見て回る。

 

       

      *トラファルガー広場と国立美術館

 

 ここで選んで鑑賞した作品の主なものは、以下の通り。

 Leonard da Vinci

  Michelangelo

  Raphael

  Rubens

  Van Dyck

  Cezanne

  Monet

  Van Gogh

  ルノアール

 ゴーギャン

 ドガ

ゴッホの「ひまわり」をはじめ10作品ほどを直に見られたのには感動、ドガの「踊り子」も良かったし、モネの緑一色の川と橋も良かった。これだけのものをよくぞ集めたし、またそれを無料開放とは感動ものだ。寄付の代わりに19ポンドの買い物をした。

 外に出たらもう薄暗い。ピカデリーまで引き返して、地下鉄で帰ろうと思って歩き出すと、左手に「H・I・S」の看板が見えた。「オイスターに幾ら残っていればヒースローまで行けるか?」というのが気になっていたので、それを尋ねた。「普通で4ポン ドだからそれ以下だと思うが、詳しくは分からない」という返事。5ポンド残していれば確実らしい。「H・I・S」を出て少し行くと、今度は「WAGAMAMA」の看板が目に入る。中華料理屋だ。中華料理屋でも日本語の「わがまま」を看板にしているのだから日本人の経営かと思ってしまう。中に入ると、日本人はいない。中国人でもない。

よくは分からないが、とにかく味噌ラーメンとアサヒの缶ビールを注文。他のレストランに比べると幾分安めだ、といっても12.5ポンドだから、日本円に換算すると3000円相当、決して安くはないのだが、他が高いのでつい安いと錯覚してしまう。

 地下鉄は、ピカデリーから一本でパディントンまで来てしまうのだった。

 夜、携帯に長女から「携帯電話を買った」というメールが入っていた。早速、返信をしたけれども、試みに、パリにいる長女の携帯電話に繋がるかどうか、自分の携帯電話から掛けてみた。すると、繋がるではないか。三日ぶりに娘と話をする。

 

           *ピカデリー広場

 

第37日 11月15日(木) 

ロンドン滞在4日目にしてヒースロー空港より帰国

 

 3日間滞在したEDWARD HOTELを10時過ぎにチェックアウト、パディントン駅の荷物預かり所に行き、大きな荷物を預ける。預ける際に色々聞かれる。自分で詰めた荷物か、貴重品は入ってないかといったこと。身軽になって、先に買ってあったTHE ORIGINAL TOUR のバスに飛び乗ったはいいが、幾つかルートがあって、これは日本語のガイドがないので、乗り換えなさいと言われる。ベーカーストリートに来たら、親切にも係りの人が呼びに来て「ここで向こうのバスに乗り換えなさい」と指示して、イエホーンを手渡してくれる。そこで待っているバスに乗り換えが、2階席は最後列の席しか空いていない。屋根がないので寒い。しかし写真を撮るには屋根がない方がいい。寒さを我慢して座っている。ロンドン塔で途中下車、トイレを済ませ、川べりの撮影ポイントへ。日本の高校生らしい団体が記念写真を撮っている。「どこから来たの?」と訊くと、「埼玉から」という。一人の男の子にシャッターを押してもらう。

 ロンドン塔に入場するのはやめにして、キーホルダーを3個買って、再びバスツアーのバスに乗る。渋滞でなかなか進まないので、トラファルガー広場でおり、地下鉄で再びベイカー・ストリートに向かう。シャーロック・ホームズ博物館を訪ね、キーホルダーを幾つか購入。しかし架空の人物なのに、銅像があり、博物館まであって様々な土産物まであるとは、何とも驚きである。ロンドンでは、実在の人物以上の存在になっているというべきである。

 

        

*シャーロック・ホームズ博物館

 

        

        *架空の探偵・シャーロック・ホームズの銅像

 

        

     *ロンドン橋

 

 *ロンドン塔

 

   

         

         *裏通りの小さな公園にあるチャプリンの像

 

 地下鉄でパディントン駅に戻り、荷物を受け取り、再び地下鉄でヒースロー空港に向かう。パディントン駅からヒースロー空港に行くには、循環線(circle line)でアールズ・コートまで行き、そこでピカデリー線に乗り換える。パディントンで地下鉄の列車がなかなか来ない。待っている間に、ベンチの横に座っていた老人が話しかけてきた。何でも20年ほど前にインドから来た人らしい。日本に行ったことがあるか、訊いてみたところ、日本だけでなく世界中あちこち行ったことがあるという。ヒースローまでどれくらいかかるか、訊いてみたら、45分くらいだという。4時半には着きそうである。

15分くらい待たされてようやく来る。乗り換えのアールズ・コートでもだいぶ待たされる。ヒースロー空港のターミナル3に着いたのが4時半。地下鉄のオイロカードを清算し、搭乗手続きを済ませ、入国審査、コートや上着はもちろん、靴まで脱がされチェックされる。しかしもう安心だ。免税店で紅茶とモンブランの万年筆を買う。しかしまだポンドの現金が余っているが、成田に着いたら換金しよう。

 6時半、日本航空402便に乗り込む。満席でなく、ゆったりとしている。ワインの小さなボトルを2本空けた。飛行機は順調だ。あとは成田に着くのを待つばかり。少し眠ることにしよう。

 

 

第38日 11月16日 (金) 16時成田着

 日本時間16時、成田空港に到着。

 38日間にわたる永い度もようやく終わった。

それにしても飛行機になぜ寝台がないのだろう? 絶対に必要だ。