オカルトと自然思想の結合又は人間のエゴへの批判岩明 均「寄生獣」 |
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1980年代に至って霊界ものや超能力ものなどのオカルト的題材を扱った
作品がマンガの世界にも数多く登場したのは、科学技術文明の物的繁栄の過剰
に対する精神的、内的世界への回帰願望を反映した現象であったように思う。
その流れは、基本的には現在も続いているのであるが、以前に比べると非現実
的な、空疎で奇抜な要素が少なくなって、SFではあってもどこかリアルな筋
立てや理論付けが行われているのが近年の特徴である。
岩明均の「寄生獣」は、1990年にマンガ雑誌に連載開始された当初から、
SFお決まりの「地球外生命」を、人間の体内に侵入させるという新鮮な発想
と自然環境問題を自然の側から見る視点を絡ませて人間のエゴイズムを批判す
るというリアルな基本思想から、多くのコミック読者に注目された作品であっ
た。人間の身体の一部に自分でも気づかなかった能力が潜んでいたらとか、一
夜明けると昨日の自分ではない自分に変身していたらといった変身願望ないし
変身への恐怖といったものは、自己のアイデンテイテイの確立過程では恐らく誰
しも一度は経験することかも知れない。そうした意味でもこの作品はリアルな
面白さを持っている。その上、主人公は寄生獣と対決する単なる人間の利益代
表であるだけではなく、自ら寄生獣と共生しなければならない自然擁護者でも
あるから、自然破壊者としての人間を批判し、人間のエゴイズムを戒める自然
界全体の代表者としてのパラサイトに共感する。
従って、「寄生獣」は人間に反省を促すために作者が人間の体内に送り込ん
だ作者自身の自然思想だったと考えることができる。ただこのマンガを読む時
に注意しなければならないことがある。それは、増えすぎた人口を減らすため
に人間を大量殺戮するという発想は、いかにも乱暴であり、SFだからこそ許
されるということである。 例えば、不良少年の浦上が若い女性を殺害した上に、
その腹を裂いて内臓を取り出し、次のように言う場面がある。「けっこうぶっ壊れやすいぜ、この玩具…」
こうした人間の、ないし生命の物象化が人間のエゴイズムへの批判として、
あるいは自然界のすべての生命の尊厳と平等性を表現するために描かれたのだ
と、冷静に受けとめられる人だけが読者ではないと思うからである。
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