手塚治虫「きりひと賛歌」

小学館文庫、1994年(初出「ビッグコミック」1970年4月より
1971年12月まで連載)


(あらすじ) M大学医学部付属病院は日本を代表する
医療機関で、そこの第1内科医長竜ケ浦博
士は日本医師会の有力な会長候補であり、
その権威は絶対的ですらある。この病院に
徳島県の犬神沢村で発生したモンモウ病と
呼ばれる奇病の患者が入院したところから、
このマンガは始まる。
竜ケ浦博士のもとで働く青年医師、小山内
桐人がこのマンガの主人公である。
モンモウ病を伝染病だとし、それを学会
発表することでさらに自分の名誉を高め、会長
選挙を有利にしようとする竜ケ浦に対して、
弟子の小山内桐人は風土病だと考えているた
め、竜け浦にとって小山内は邪魔な存在であ
る。そこで竜ケ浦は、陰謀をめぐらし、小山
内を「調査・研究」の名目で現地に住まわせ、
村の村長に頼んで小山内をモンモウ病に伝染
させ、医局からも追放することにしたのだ。
陰謀とはしらず、小山内は現地に向かい、
そこで自ら奇病に罹ってしまい、犬のような容貌に変形して、苦難の人生が始まる。
現地であてがわれた女「たづ」と村を脱出する途中、暴漢に襲われ、たづを強姦の上、
殺されてしまう。一人、麓の温泉場に逃れた小山内だが、たまたまそこにきていた台湾の
大金持ち一行に捕らえられ、船で台湾に拉致される。
犬の顔をした珍しい人間として見世物とされ、数々の屈辱を受ける。同じ囚われの身の
麗花と命からがら脱出し、飛行機でドイツに向かうが、途中、アラブの砂漠の中で、再び
囚われの身となる。しかしここでも医者という技術が二人の命を救い、貧しい村人の診療
にあたる。
一方、小山内の同僚の占部は、竜ケ浦の代理として南アフリカの学会に出張したときに、
ローデシアの鉱山でモンモウ病と同じ奇病が発生していることを知り、調査に出向くが、
そこで奇病に罹っている修道女と一緒に殺されかける。二人は何とか命を取りとめ、一緒
に日本にやってくる。占部もまた、モンモウ病が伝染病ではなく、鉱山の湧き水に含まれ
る物質によるものだと考え、竜ケ浦と対立する。占部もまた、竜ケ浦に疎まれ、自殺に追
い込まれる。
竜ケ浦は、医師会の選挙で会長に選ばれるが、その時、小山内は帰国し、竜ケ浦の陰謀
の証拠をもって、復讐に現れる。復讐を遂げた小山内は、貧しい人たちが待つ砂漠の国に
帰って行く。

(解説)
このマンガが描かれた1970年と言えば、日本でも全共闘の若者たちの反乱が大きな
社会問題になった年である。とりわけ、既成の権威の象徴は東大医学部であり、医学界で
あった。
このマンガにも登場するように、若い医師たちの「青医協」の反乱が東大紛争の発端で
あった。 このマンガは、そうした背景の中で描かれた。これ以前に、医学界の権威主義を
批判したものとして、山崎豊子の「白い巨塔」が有名であるが、この小説と手塚のマンガ
を単純に比較することは出来ないが、小説がノンフィクションであるのに対して、マンガ
は完全なフィクションである。
その意味では、この小説を知っている者にとっては、マンガには、当然のことながら、
リアリテイが欠如している。専門的な医学知識は諸処に散りばめられているけれども、非現
実的なエピソードや物語展開は、飛躍が多く余りにもマンガ的である。例えば、大蛇が赤
ん坊を飲み込む場面や、人間を天ぷらにするショウ、修道院の院長が奇病に罹った修道女
とそれを見た占部を「白人社会にあってはならぬこと」として射殺する場面等。 さらには、主人公の悲惨な人生を強調するために設定された、モンモウ病が多発する
「徳島の山奥の村」の陰鬱と野蛮さ。台湾の大金持ちの非人間的行為など、フィクション
とはいえ、あまりにも非現実的であり、差別的ですらある。もちろん、作者の意図は、
人間性を忘れた医学界の権威主義を批判し、ヒューマニズムに基づく医療のあり方を訴え
るところにあるが、それが感動をもって伝わらないのは、そうした幾つかの欠点があるか
らである。その意味では、この作品は手塚の失敗作といってもよかろう。


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