大塚 英志+森 美夏
「北神伝綺」

―民俗学はミステリーなのだ!

角川書店、上下2巻



原作の大塚英志はすでに10年前に、柳田国男をミステリー仕立て
にしたら面白かろうに、と述べていたが、誰もそれをやらないのでついに
自らの手で創作したらしい。柳田国男は、言うまでもなく日本民俗学の樹
立者であり、その著書「山の人生」や「遠野物語」は現在でもよく読まれ
る名作である。
しかし、この作品は柳田の学説を紹介するといったものではなく、むしろ
柳田のある学説の変節を昭和初期の日本の文化情況の中で、破門された弟子・
兵頭北神なる人物を通して告発するという形で展開される。ある学説とは、
平地から離れた山間に生活の拠点をもち独自の文化や生活様式を形成して
いる「山人」に関するものである。「山人」伝承は昔から日本全国にあり、
その実態は不明な点が多く、多くは「山男」とか「山姥」「天狗」「山鬼」
などの妖怪として語られる。柳田は当初この「山人」を「遠い昔、日本民族
より先に日本列島に住みついた土着の民の末裔」と考え、その実態を解明し
ようとしていたのであるが、1934年から3年間大々的に全国の山村調査
を行ったのち、なぜか「山人」の研究をやめてしまったのだった。
それはどうしてなのか?
この謎解きは、主人公の北神が超国家主義者で、いわゆる二・二六事件の
首謀者とされる北一輝と対面した場面で解き明かされる。作者は、北に次の
ように語らせる。
「山人、この大和の地で陛下の血につらならない存在、万世一系の呪縛か
ら解放されたもの、…そんなもの、本当はいない」のだと。
「いない」というより、「いてはならない」のである。なぜなら、もしそう
なら天皇家は日本列島への侵入者ということになってしまうからである。つま
り柳田の「山人」説は、当時の天皇制軍国主義の抑圧下に沈黙せざるを得な
かったという訳である。序でに言うなら、柳田と同時代の折口信夫は、もと
もと海の民が山に移り住んだのが「山人」の主な起源だという説を唱えたの
だった。
このように柳田の「山人説」を巡ってこの物語は展開されるのであるが、
その間にもちろん様々な虚実入り交じったエピソードが描かれる。これらの
登場人物の行為やエピソードをそのまま事実だと思ってはならない。基本は
あくまで実在の人物の名を借りた創作である。この虚構のミステリーは、民
俗学への招待に他ならないのである。そして森美夏の作画は、ミステリーの
雰囲気をうまく演出している。



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