反戦平和へのアピール


中沢 啓治

はだしのゲン

汐文社:コミック版全10巻(1975年初版)
1973年春〜1974年夏に「少年ジャンプ」(講談社)に連載。


画家の平山郁夫氏に「広島生変図」
という絵がある。(1979年、広島県立美術館)
産業博物館を中心に真っ赤に燃える原爆投下
直後の炎の空に人類救済の願いを込めた不動
明王が描かれている。これはその絵を模した
イメージ図である。

広島の原爆を直接、間接にテーマにした
文学作品や評論は色々あるが、児童マンガで
真正面から原爆を描いた作品は数少ない。そ
の数少ない作品の一つが、この中沢啓治の
「はだしのゲン」である。こうした余りにも
深刻で悲惨なテーマは、誰にでも描けるものではないし、それに笑って読
めるものでもないので、マンガの特性である「面白さ」という点でもマン
ガになりにくい題材であることは間違いない。しかしこうした題材がマン そのことはこのマンガが登場したのが1970年代に入ってからであっ
たことと符合している。作者自身が広島で原爆を体験した被爆者の一人で
あること、そしてその体験を戦争を知らない世代に伝えたいという動機と、
マンガ表現が成熟した時期に差し掛かったことなどがあいまって、恐らく
このマンガが登場したものと考えられる。もっとも連載途中で「編集部と
の意向の食い違いなどで、不本意ながら連載を打ち切らざるをえなかった」

(第2巻の横田喬の解説による。250頁)

らしいのだが、こうした作者と出版社、特に大手の出版社との間の「意
向の食い違い」は、現在でもしばしば起こる問題であるようだ。
「意向の食い違い」が具体的にどのような内容のものかは不明だが、推測
するに恐らくそれは「思想の食い違い」であり、大手出版社による「思想の
自主規制」によるものだろう。掲載雑誌の発行部数何百万部を誇る大手の出
版社ほど、「思想的に偏っている」とか「政治的に特定の政党や団体に肩入
れしている」とか言って批判されることを強く恐れるものだからであり、こ
のマンガには結果的にそうした誤解を生む要素が多分にあることは否定でき
ない。というのは、このマンガは単に「原爆の悲惨さ」を通して反戦を訴え
るだけではなく、「庶民史観」とでも言うべき明確な視点に立脚した反権力
・反体制の思想書にもなっているからである。
第1巻の巻末で、文芸評論家の尾崎秀樹が「この劇画のポイントは、被爆
者たちの悲惨な生活の実情をとおして、戦争のむごたらしさえぐりだしたと
ころにあるといえよう。」(274頁)と解説している。確かにそれに違い
はないのだが、それだけではないのだ。作者は確かに眼を覆いたくなるよう
な原爆の悲惨さを映像化し、そうした悲惨さ現出させた戦争を批判するが、
さらに作者の批判は戦争を引き起こした指導者や権力者に、戦争で金儲けを
企んだ戦争屋に向けられ、あるいは戦争中は「鬼畜米英」と言って戦争に協
力していた人々や、教え子を「お国のために」戦場に送り出した教師たちが
戦後は一転して民主主義を唱えたり、以前から戦争に反対していたような顔
をして政治家になったりすることを痛烈に批判しているのである。作者の反
権力思想は、戦争責任をも問題にしているのである。だから、天皇の戦争責
任すら明確に問うているし、作者の「庶民史観」は、アメリカの原爆投下の
責任すら追及している。この部分こそ、作者の渾身の主張であり、鬼気迫る
圧巻であり、私の考えではこのマンガの最大のポイントである。
それは、第7巻の最後のところにある。
原爆症で死期の迫った母親が、新婚旅行で行った京都の楽しい思い出から
「もう一度京都へいってみたいね…」と言うのを聞いた主人公ゲンは、必死
で働いて資金を稼ぎ、兄弟皆と母親を京都旅行に連れて行くが、そこで母親
は血を吐き死んでしまう。母親の亡骸を背負ったゲンは、「東京へ行く」と
言う。

「元、東京へいってどうするんじゃ…」と、兄の浩二。
「連合国司令官、マッカーサー元帥にあうんじゃ」
「マッカーサー元帥におうてどうするんじゃ」
「アメリカが広島と長崎におとした原爆の罪の深さを言うたるんじゃ。
どれだけひどい地獄をつくりだし、いまもつづいているかたっぷり知ら
せてやるんじゃ。アメリカが原爆でなん十万人の人間を地獄のように苦
しめて殺す権利がどこにあるんじゃ」

最愛の母親を「殺された」ゲンの怒りは、さらに天皇へも向けられる。

「それともう一人、お母ちゃんを見せてやるやつがいるんじゃ」
「もう一人、だれじゃ」と、兄の昭。
「天皇じゃ、天皇にお母ちゃんを抱かせて心の底からあやまらせてやるん
じゃ」
「バカタレ、おそれおおくも天皇陛下に」
「なにがおそれおおいんじゃ、天皇はクソもすりゃ、ヘもするただの人間
じゃ。天皇は戦争をすることを決定し、日本人をなん百万人も死なせた
戦争の最高責任者じゃ、お母ちゃんを殺した責任者じゃ、天皇はお母ち
ゃんに土下座してあやまるんがあたりまえじゃ。わしは天皇から一言で
もすみませんでした、許してくださいと言う言葉を聞いたことがないわ
い。…わしのこの耳で天皇の戦争責任をはっきり聞かんと気がすまんわ
い。最高の責任者がはっきりけじめをつけないと、日本中みんないいか
げんになってしまうわい、なっとくせんわい、お母ちゃんの死がむだに
なってしまうわい。」

(以上、第7巻224頁から250頁まで参照)

主人公ゲンの口を借りて発せられたこうした戦争責任論が、作者の勇気あ
る真の主張であることは間違いない。今振り返ってみると、よくぞここまで
言い切ったという印象を拭えない。特に、天皇に関する発言は右翼の攻撃の
的になるはずで、出版社が「日和る」のも当然かもしれない。
このマンガに遅れること15年も後に、本島長崎市長が「天皇に戦争責任
あり」と発言して右翼に襲撃されたのは、1989年の1月のことであった。
この点では、マンガの方がはるかに先を行っていたと言えるが、ある意味で
は子供相手のマンガである故にそれが可能であったとも考えられる。言論の
自由は、マンガ表現においてもっとも広く守られているということかも知れ
ない。

反核・反戦・平和運動の格好の教材として、今や
このマンガは多くの小・中学校の図書室にも置いて
あるという。部分的には、類型的な、あるいは理想
的な発言も目につくが、全体としては「踏まれても
踏まれても前向きに強く生きる」という主人公ゲン
に託された作者の人生観と生命への讃歌が、この悲
惨な物語に救いを与えている。原爆についての記述を他人事のように3、4
行で済ませてしまう日本の歴史教科書などより、このマンガを読むことの
方がどれだけ生きた歴史教育になるか知れない。広島の原爆資料館とともに
このマンガは戦争を知らない人々にとっての原典であり、平和運動の原点に
なりうる人類の貴重な遺産と言ってもよかろう。ちょうど、ピカソの「ゲル
ニカ」や丸木位里・俊夫妻の「原爆の図」がそうであるように。


E-mail:moon@wing.ncc.u-tokai.ac.jp


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