山上たつひこ「がきデカ」

秋田書店:(初出74年より「少年チャンピオン」連載)
分類:ギャグ



ギャグマンガの系譜と「がきデカ」 ギャグ・マンガの登場は、社会の繁栄を象徴するとともにマンガ自体の
成熟を反映しているように思われる。1960年代から1970年代に登
場したギャグ・マンガの代表的な作品と言えば、何といっても赤塚不二夫
の「おそ松くん」(62年)であり、「天才バカボン」(67年)であり、
それに刺激された過激なエロチック・ギャグ・マンガ、永井豪の「ハレン
チ学園」(68年)であり、さらには大人のナンセンス・ギャグ・マンガ、
谷口ヤスジの「ヤスジのメッタメタガキ道講座」(70年)であろう。
当初の赤塚不二夫のギャグ・マンガは、未だ日常生活の中に特異な人物
を登場させて文字通りギャグ(駄洒落)を中心とした笑いや特異な登場人
物に日常生活の中に生じる非常識な行動をとらせることで笑いを引き起こ
すという「他愛もないマンガ」であったから、いわゆる良識派の大人たち
からもそれほどの反発や批判もなかったように思われる。
ところが時代がさらに刺激を求めるようになって登場した「ハレンチ学
園」になると、ギャグ・マンガが時代への積極的な主張、批判をもった過
激なものへと成長したのであった。特にこの永井豪の「ハレンチ学園」は、
これまで少年マンガにおいてはタブー視されてきた性表現を事もあろうに
学校内に大胆にかつ堂々と登場させ、世の親たちの顰蹙を買ったのである
が、それこそこのマンガの思うつぼであった。それは、ギャグ・マンガこ
そ既成の権威や支配的価値に対する挑戦、あるいは破壊行為として最適の
表現形態であることが改めて確認される結果になった。というのは、それ
がいかに反道徳的であろうと、破壊的であろうと、いつでもこれはギャグ
(駄洒落)であるという逃げ道が用意されているから、読者に喜ばれる間
は安心して非常識な破壊活動を続けられるということが実証されたからで
ある。
この「ハレンチ学園」の系譜を受け継ぎながら、さらに徹底してギャグ
における既成価値の破壊活動を目指し、1972年に青春変態マンガ「喜
劇新思想体系」で、青春の性欲の世界を露骨なギャグにして新境地を開い
た山上たつひこは、続く1974年にはこの同じテーマを少年の世界に持
ち込んで描いた。それが「がきデカ」である。
この作品の成功の秘密は、世間のいわゆる良識や権威や権力といった既
成価値を徹底して破壊してみせたところに感じる痛快さにある。それはご
く普通の人間が願望としては心に抱いていても実際に行動に移すには余り
にも日常の秩序に縛られている既成価値をギャグゆえにいとも簡単に破壊
して見せてくれる。我々庶民にとって日常的な既成の権威、ないし権力の
象徴として主人公・警察官を登場させたところに、作者の優れた発想があ
る。その権威の象徴を徹底的に「こき下ろし」「笑い飛ばす」ことは、我
々庶民にとってある種のカタルシスである以上に精神的抑圧からの解放を
すら錯覚させてくれるものである。恐らく主人公こまわり君が警察官でな
かったら、このマンガの面白さは半減したはずである。
既成観念の破壊は、さらに主人公こまわり君の人間関係にも及んでいる。
その一つは、家族の中の人間関係、つまり親子関係である。「親を親と
も思わぬ」子供の誇張された存在として主人公が描かれ、親の方でもとり
立てて親の威厳や権威を示す風もない。時に子供を叱ったり、手を焼くこ
とがあっても、基本的には、それどころか子供と一緒になって欲情もする
し、見栄も外聞もなく破廉恥もする。あくまでも家庭の主役は子供であり、
親は子供に振り回される。1970年代後半といえども、こんな家庭の実
際にあろうはずもないが、親子関係の変質を誇張された形で表現している
ことは間違いない。
もう一つは、学校での教師と子供の関係における既成価値の破壊である。
教師が生徒に求める旧来の価値を破壊するために、作者は主人公こまわ
り君を通して、教師からその建前を剥ぎ取って、いわばその人間性をむき
出しにする。教師とて好き嫌いもあれば恋もするし、普通の人間と何んら
変わらない、という訳である。
こうした作者の代弁者としてのこまわり君の生活信条は、現象的には破
天荒で破廉恥で常軌を逸しているけれども、基本的には一貫しているので、
主人公を除いた登場人物たちすべてが旧来の価値を体現していると言える
のだが、中でも友人の西条君がその模範的人物である。彼は秀才で美男子
であり、女の子にも人気があり、教師からも期待される人物であり、おま
けに金持ちの坊ちゃんである。勉強嫌いで「出来の悪い」こまわり君とは
何もかも対照的である。だからはじめは西条君を中心に友達は皆こまわり
君を「アホで破廉恥な、どうしようもない奴」と非難するのだが、いつの
間にかこまわり君のペースに巻き込まれ、「アホで破廉恥な」行為に荷担
してしてしまうというパターンが、多くの「普通の」読者の共感と安心感
を生む仕掛けになっている。
これは、言ってみれば「どつき漫才」と「こき下ろし漫才」を一つにし
た関西系の「どぎつい」漫才のマンガ版である。そう思って読むと、こま
わり君の「タマキン」露出も「アフリカ象」や「ガラパゴスの亀」や犬の
「栃の嵐」といった妙なキャラクターの突如としての出現も納得である。
そういえば、確か作者の山上たつひこも関西の出身であった。
それにしても飽きられやすい「どつき漫才」をこれほど長期にわたって
飽きられることなく、しかも既成の価値観念への挑戦というメッセージを
込めて描き続けた若き日の作者のパワーは、大いに賞賛に値するし、ギャ
グマンガの歴史に記念すべき傑作を残してくれた山上たつひこの功績は、
その後小説家に転身した山上龍彦という名は忘れられても、「がきデカ」
という書名とともに決して忘れられないであろう。


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