MANGA FROM manga

マンガになった漫画

雑誌「望星」96年10月号(東海教育研究所発行))

マンガ隆盛の時代である。
全出版物の三分の一は今やマンガだという。どうして
こうもマンガがもてはやされるのだろうか。
 漫画といえば、戦前の「のらくろ」や戦後でも「冒険ダ
ン吉」に「鉄腕アトム」くらいしか思い浮かばない人に
とっては、漫画は子供の読物であって、大人になったら
卒業すべきものだという思いはどうしても拭いきれない。
ところが今では大の大人が電車の中でも喫茶店でも漫画
を読んでいる。これは一体どうしたことなのか。
日本人が幼稚化したのであろうか。そう思われるのも無理はない。
 しかし、これは、マンガの現状に対する認識不足であるようだ。
漫画は、いつの間にか時代の要請に呼応しながら進化を遂げ、
映画や活字文化にも匹敵する情報媒体としてのマンガに成長して
いたのである。
思えば、テレビが普及し映画が衰退していった昭和30年代後半
から漫画が映画に代わって若者を中心に社会に浸透し始めるのである。
テレビの普及は、個人主義的な自由と手軽さを好み、映像に慣れ親し
んだ感覚世代を育て、これがマンガ世代となったのである。
 同じ映像でも、映画の場合は、時間と場所に制約されるが、漫画の場合には、どこ
でもいつでも好きなときに享受できるという自由さと、手軽さがある。それに加えて
漫画の内容が以前に比べると、格段に多種多様になり、「面白い」ものになっている。
 漫画を面白くしたものに、三つある。一つは、漫画を文芸のジャンルにまで高めた
最大の功労者である「漫画の神様」手塚治虫の存在である。彼が医師という社会的地位
のある知識人でもあったということが、漫画にとって大きな意味があった。二つには、
「カムイ伝」の白土三平に始まる劇画の登場である。これは細密描法によるスト−リ−
漫画であり、これが漫画にリアリテイと思想性とを与えた。
 三つには、良質な漫画家の輩出と作画技法の進歩がある。これにより、多くの優れた
内容の漫画とスピ−ド感溢れた物語展開が実現された。こうして、漫画は映像世代の感
覚にぴったりのマンガというメデイアになったのである。
 昭和40年代初頭の「巨人の星」や「あしたのジョ−」に始まり、後半の「ベルサイ
ユのバラ」以降に青春を送った人々は、多少ともマンガ世代といえ、その人々が大人に
なってもマンガを読むのは自然の成り行きであろう。特に、これ以降、「風と木の詩」
の竹宮恵子や「日出処の天子」の山岸涼子、さらには「百物語」の杉浦日向子など多く
の優れた女性作家が登場したことにより、若い女性読者が急増したことが、マンガブ−
ムに拍車をかけた。現在では、幼年マンガから成人マンガまであまりにも多くの漫画が
あるが、そんな中で、大人でも面白い本も少なくない。
筆頭に「無能の人」や「ねじ式」のつげ義春があり、続いて「喜劇新思想体系」の山上
たつひこ、最近では尾瀬あきらの「夏子の酒」や青木雄二の「ナニワ金融道」、坂口尚
の「あっかんべエ一休」などほんの一例である。これらの漫画には、味わい深い人生の哲
学があり、社会批判があり、感動があり、教訓があり、笑いがある。活字文化で育った
人たちにも是非お薦めしたい漫画である。漫画が子供の読物であるばかりでなく、大人
の読物でもあることがお解り頂けると思う。
 漫画は今や、テレビや活字文化と並んで日本の大衆文化の一翼を担う存在だといえる。
そこには、大衆の夢や不満を充足させる情報があり、エリ−トや権力を嘲笑する現状否定
と現状肯定の自己満足的カタルシスの同居があり、娯楽と教養とがあり、要するに何でも
ありの混沌とした成熟がある。これから恐らく漫画も、映画と同じように、自然淘汰され
て、良質な漫画だけが残っていくという時代がくるはずである。


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