林 静一「赤色エレジー」


小学館叢書:1992年4月刊(初出、1970年1月ー1971年1月)


 タイトルにある「赤色」とはどういう意味なのか?
作者は、どこにもその説明をしていないし、このマンガを名作と評する人たちも何も
解説してくれないので、未だに分からない。 普通、「赤」は共産主義運動のシンボル
として、ないしその運動家たちに対して用いられる。あるいは、赤貧、赤裸々の「赤」
は、「ありのまま」「まったくの」という強調の意味を持つ。この場合、そのどちらな
のか。
 歌手のあがた森魚がこのマンガに触発されて作ったとされる「赤色エレジー」(詩人
の林あまりが後書きにそう書いている)の歌は、どうやら後者の「赤」に解釈している。
この場合、「赤色エレジー」は、「まったくの悲しい歌」であり、その内容からいっ
て「赤貧の悲歌」ということになる。事実、同棲中の二人の若い男女、一郎と幸子の生
活は赤貧というにふさわしく、一郎は父親の訃報の知らせにも田舎(岩手)に帰る金も
なく、「おやじのばか!」と畳に突っ伏して苦悶するほどである。全編が「貧しさ」故
にお互いに「傷を舐めあい」求め合い、労(イタ)わりあいの悲しい生活の描写で満ちて
いるし、時折、思い出として描かれる岩手の山奥の故郷の風景も侘びしく、裸電球にバ
タバタと羽打ちつける蛾のもがきも二人の生活を象徴している。「赤色」の「赤」が、
「赤貧」の「赤」だとする解釈ももっともである。
 しかしどうもそうとばかりは言えないようなのだ。この作者が、単に貧しい生活を描
いただけとはとても思えない。この作品が描かれた昭和45年前後の日本の状況を考え
てみれば分かるように、日本の経済は貧しいどころか、高度成長の真っ最中である。
昭和39年に「新幹線」が開通し、40年代に入ると「所得倍増計画」は日本経済を
海外に雄飛させ、「エコノミック・アニマル」を生んで行く。その意味では、天下泰平
の時代であり、大学生がマンガを読み、豊かさ故に大学が遊園地化していった時代であ
る。だから、この時代に「赤貧」がテーマとなる背景はどこにもないのである。
もし、「貧しさ」のテーマが人々の共感を呼ぶとすれば、それは、日本が豊かになる
前の時代に対するノスタルジーでしかない。さもなければ、その「貧しさ」は、日本人
の精神的貧困でなければならないだろう。
 この作品に登場する幾つかの時代背景、高倉健のヤクザ映画、藤けい子の「夢は夜ひ
らく」から推測すると、昭和30年代後半から40年代と考えられる。ということは、
いわゆる60年安保挫折後の時代である。したがって、このマンガの「赤色」は、「赤
貧」ではなく、「共産主義運動」ないし「左翼運動家」の「赤色」でなければならない
だろう。
そうなのだ。作者は、日本の共産主義運動の惨めな貧しさ、あるいは元運動家の挫折
後の悲しき末路を「エレジー」として描いたのだ。「エレジー(elegy)」とは、挽歌、
悲歌のことである。共産主義運動、ないし進歩的革新派の惨めな貧困は、高度成長後の
日本の豊かさの中にあっては、ますます際立つ。それは、とりもなおさず、日本の精神
的貧困を意味する。物的豊かさの中で精神的に豊かに生きることが、どれだけ辛いこと
なのか、このマンガの訴えはそこにある。
 最後のシ−ンがそれを象徴しているし、その台詞は印象的である。
嘔吐した汚物を「きれいにしなくちゃ」とタオルでゴシゴシせんべい布団をこすりな
がら、「苦しいよ、苦しいよ」とうめきながら、呟く。

「でも・・・ 明日になれば、朝がくれば・・・苦しいことなんか忘れられる」
「昨日も、そう思った・・・」

「明日になれば、苦しいことも忘れられる」と毎日思って暮らすというのだから、
結局、苦しさの連続であり、生きることはこの苦しさに耐える以外にないのである。
 このマンガの絵は、全編が詩であり、詩がマンガになったのである。マンガ詩という
分野を認めるとすれば、その先駆けはつげ義春であり、林静一においてそれが確立され
たと言える。



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