永遠の児童SF「ドラえもん」
−藤子不二雄の「夢」の世界


高月 義照



(「東海大学新聞」、1996年10月5日号掲載)

戦後日本まんが界の巨匠、手塚治虫に続いてまたひとり、
その後継者にしてまんがを国民的娯楽とした最大の功労者の
一人である藤子・F・不二雄(藤本弘)が亡くなった。藤子
不二雄のもう一人の我孫子素雄とともに戦後まんがの草創期
から二人が少年まんがに夢と希望を託し、情熱を傾けてきた
様は、その自伝的作品「まんが道」に詳しい。
しかし、何といっても藤子不二雄の児童まんがを国民的な
娯楽としたのは、テレビと子供たちであった。それは、テレ
ビの普及率が90パーセントを越えた1970年以降のこと
で、ちょうどこの年に「ドラえもん」の連載が始まっている。
この70年代は、いわばまんががコミックと呼ばれ始めた時
期で、多くのマンガが中高生から大学生、青年を読者層とす
るマンガに移行していった中で、藤子不二雄は一貫して小学
生や幼児のための児童まんがを描き続けた。まんが家を志し
た時からのその一貫した姿勢は、二人がコンビを解消したあ
とも、「ドラえもん」の藤本の方は死ぬまで変わらなかった。
我孫子の方は、「プロゴルファー猿」や「笑ウせえるすま
ん」といった大人でも楽しめる、比較的シニカルな作品を描
くようになったけれども。
「ドラえもん」が子供たちの圧倒的な人気を呼んだ背景に、それが児童まんがとして希少価値があった
ことは作者自身も認めるところであるが、もちろんそれだけではない。やはり「ドラえもん」を一躍国民
的アイドルにしたのは、そのテレビアニメの放送だったといえる。1970年代以降育った人は、恐らく
皆、藤子まんがを見て育った世代である。「ドラえもん」を筆頭に「オバケのQ太郎」や「パーマン」な
ど、藤子アニメがブラウン官から消えたことはない。現在でも、「ドラえもん」の平均視聴率は20パー
セント、ざっと2千万人の人が見ている計算である。
この人気の秘密は、勉強も運動も苦手な「のび太」と、その彼の劣等感を克服する夢を叶えてくれる不
思議なネコロボットの無尽蔵のアイデアの取り合わせにある。「のび太」は多くの子供たちの代表であり、
すらすら宿題が出来たり、泳いだり、自由に空を飛び回りたいというのも、多くの子供たちの共通の夢で
ある。そんな夢を「ドラえもん」は一時的には叶えてくれるが、もちろん最後は自分で努力しなければな
らないことも教えてくれる。


E-mail:moon@wing.ncc.u-tokai.ac.jp


☆マンガの部屋に戻る