谷口ジロ− |
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「犬を飼う」 |
「犬を飼う」は、「犬を飼うのが子供の頃からの
夢だった」という作者自身と思われる男が、犬を飼うために郊外の一戸建ての 貸し家に引越した時に始まる。彼の妻は最初それほど犬を飼うことに乗り気で はなかったが、生後2ヶ月の可愛い子犬をもらってきて飼いはじめると、夫と 一緒に愛情を注いで犬と暮らすようになる。それからいつの間にか14年、タ ムタムと名付けられた犬は、その寿命の最後を迎える。 老衰のために日々弱々しくなっていくタムタムを精一杯看護する夫妻の愛情 と、それに応えるかのように最後の最後まで力の限り生き延びようとする犬の 凄絶な生命力と、そして遂に力尽きて「カクッ」と息途絶えてしまった愛犬の 死に寄せる夫妻の悲痛な哀切とが、実に感動的に描かれる。 さらに付言するならば、「生きるという事、死ぬという事、人の死も犬の死 も同じだった。」(41頁)と作者の言うように、日一日と老衰していく犬の物言 えぬ苦しみとそれを精一杯看護する夫妻の労苦と悲しみを通して、このマンガ は、私たちに同時に人間の場合の終末期医療のあり方をも考えさせる。本格的 な高齢化社会の到来を迎えて、誰しも避けて通れない身近な家族の寝たきり老 人や痴呆性老人、あるいは末期ガン患者のホスピスのあり方について、このマ ンガは多くの示唆を与えてくれる。 老衰し、点滴だけで1ヶ月、さらに点滴を中止してからも1週間も生き続け た生命力とは、何だろう。近所のおばあさんは言う。 「いつまで生きてるつもりなんだろねえ。早く死んであげなきゃだめじゃな いかね。でもね、死ねないんだよ…。なかなか…死ねないもんだよ。」 (32 〜33頁) 間近に迫った死を看取る「家族」の思いを、主人公は次のように表現する。 「苦しくないのだろうか、それだけが気がかりだ。タムをそっとなでてやる と、まだ目をしばたく。すっかりやせて骨が手にさわって哀しい。タムの がんばっている姿が痛々しく、よけいつらくて哀しい。」(39頁) そしてタムは、「コクッ」と真夜中に息絶える。14年と10ヶ月の生涯と いうから、犬としては立派な大往生であろう。そして最後に作者が述懐する思 いこそ、死が何であるかを私たちに暗示的に教えてくれる。 「たかが犬一匹…、しかし、なくしたものがこれほど大きなものだとは思わ なかった。そしてタムの死が私たちに残してくれたもの…、それはさらに 大きく大切なものだった。」(42頁) 犬の死が残してくれた大切なものとは、一体何か? 皆さんはどう考えますか? 是非、このマンガを一読・一見して、考えてみて下さい。(私の考えは、「哲学の部屋」で、読んで下さい。)